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壊したい。
壊したくて壊したくてたまらない。
自分の腕を引いて走るジーンに、アンジェリカはぼんやりとそう思った。
壊したい壊したい。
自分を壊してやりたい。
自分を、ならば自分であるこの世界全部を壊してやりたい。
それに耐えきれる自信もない。
耐えられない。耐えたくない。思うままに世界を、自分を壊しぬいてしまいたい。
そんな思いが頭の中をぐるぐると回って落ち着かない。
それはある種の恐怖でしかなく、アンジェリカはその感情を無視しようと自然と表情を強ばらせた。
それでも生まれてくる破壊衝動に心臓が高鳴り、アンジェリカは不安げにジーンの名を紡ぐ。

「ジーン、その、」
「今。」

ぴたり、ようやく足を止めたジーンは、がっしりとアンジェリカの両肩を掴んで彼女を見た。
真剣な色を宿す目に、アンジェリカは無意識に後退りをしようとするが、掴まれた事により足で地面を擦るだけに終わった。

「今、どうしてもやりたい事ってある?例えば、猛烈に何か壊したいとか願いたいとか。」

彼は何を言い出したのだろうか。
ジーンの意図するものはわからないが、アンジェリカはこの持て余している感情を少しでも吐き出したくて、素直にそれを伝えた。

「…壊したい。」

やっぱり、とジーンは呟く。
何がやっぱりなんだと目で問えば、彼は悔しそうに奥歯を噛んで、それからわかりやすくゆっくりと説明を始めた。

「アリスは誰かを殺したら、その感情が強くなるんだ。例えば俺を殺したら、君は何かを好きになりたくてたまらなくなる。そうして確かにその感情があったのだと訴えて、君が生きていたんだと、殺されても言い続けるんだ…こんな説明、しなくて済むと思ってたんだけど。」
「…すまない。」
「いや、今回は助けられなかった俺の責任だ。ごめん。」

謝るジーンすら、どこか嫌に思える。
彼を嫌に思う自分が更に嫌で嫌いで汚くて最低でだから死にたい消えたい殺さなきゃ殺さなきゃ殺してあげないとねぇ殺し、駄目だそんなのいけないせっかく一緒にこんなに旅をしたのに駄目だ。
ぐるぐるぐるぐる、今までと違う圧倒的な負の気持ちが頭の中を渦巻いて押しつぶされそうになる。
怖い。そう思ってしまうことが、怖い。
ぐ、と堪えるように俯いていれば、ジーンはそっとアンジェリカの両頬に手を当て、しっかりと自分に視線を合わせた。
それは間違いなくアンジェリカを落ち着かせようとした行動だろう。アンジェリカを思った行動だろう。
だが、それがたまらなく嫌だった。怖かった。恐ろしかった。

「や、やだ…」
「アンジェリカ?」
「やだあ…っ」

最初に夢に迷い込んだあの頃のように体が震える。向けられる視線が怖くて、今にも殺されてしまいそうで、今にも殺してしまいそうで、ただただ、怖い。怖い。恐ろしい。助けて。助けて。たすけて。
もう慣れたはずだったのに、昔に戻ってしまったように体が言うことを聞かなくてどうしても不安で負けてしまいそうで。
心配そうに手を伸ばしてきたジーンを、反射的に切りつけた。

「あ、あ…」
「アンジェリカ。」

ぱたりと彼の手から落ちる赤い血に、さーっと血の気が引いていくのがわかる。
なにをやっているんだ。かれはずっと、いっしょにいて、まもってくれたのに。そんなかれを、きずつけて。
ガタガタと体が震える。零れた血に絶望するのに、もっと見たいとも思ってしまう。
彼ですら、殺してしまいたいと思ってしまう。
思ってしまうことが、悲しくて、怖くて。

「あああ、あ、ああ、」
「大丈夫だ、アンジェリカ。」
「わたし…わたしが…」
「アンジェリカ。」

安心させるように微笑むジーンに、だがアンジェリカはぐしゃりと表情をゆがめる。
そして大きく距離を取ると、初めて会った時のように。いや、その時よりもずっと深い恐怖の中で。
アンジェリカは悲鳴のように言葉を吐き出した。

「どうせわたしが殺すんだろう!君たちも、わたしも、なにもかも、わたしが!」

誰かがわたしを殺すんじゃない。
誰かがアリスを殺すんじゃない。
わたしが。アンジェリカが。アリスが。
わたしがわたしを、殺すんだ。

「待って、アンジェリカ!」

走り出したアンジェリカをすぐに追いかけようとして、足元にあった木の根に躓いて少しバランスを崩せば、彼女は。
彼らの創造主であり殺さなければならない少女の姿は、どこにも見えなくなっていた。





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