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がむしゃらに走って、走って、走って。
ようやく足を止めた時には、見覚えのある教会の前にいた。
あの時と変わらず清涼な空気に包まれたそこ。まるで最期にたどり着いた楽園のようだとぼんやり思って、入口に立つ誰かをそっと視界に入れた。

「またお会いしましたね、アリス。私はとても嬉しく思います。」
「アイシア…」

色とりどりの、両手いっぱいの花束。アンジェリカが前にクイラに差し出したものよりもずっと立派な花束を持って、アイシアがそこで微笑んでいた。
すぐ隣にはユーリウスも立っていて、二人はぼんやりと立ち止まったままのアンジェリカにそっと近寄る。
彼女が以前話さなかった会話を思い出して泣きそうに苦笑する。
そして、まるで許しを乞うようにぽつりぽつりと言葉を零した。

「そうか…君が言わなかったのは、こういうことか…」
「私たちの最期の足掻きです。」
「いろんなものが…ごちゃまぜになって…でも…そんなのは…どうでもいいんだ。我慢するのは、慣れてる。今までだって、普通だったことだ。」

いつもぐちゃぐちゃだったから。
そんな自分が大嫌いだったから。
だからそんなことはどうでもよかった。なにより、なにより、今のアンジェリカを苛むのは、なによりも。

「わたしは、何よりも、自分の手でだれかを殺してしまったことが嫌なんだ…っ」

雨の中に落ちた彼女を思い出すだけでどうしようもなく体が震えた。耐えられないとしゃがみこんで自分を必死に抱きしめても消えない。消えない。なくならない。この気持ちごと壊したいのに、なくならない。
彼女に無理やり殺された自分そっくりの少女とは違う。間違いなく、アンジェリカが自分の意思で彼女を殺したのだ。間違いなく、アンジェリカが、殺した。

「あんな簡単に、殺してしまったことが嫌なんだ。わたしが殺されるのだと思ってたのに、わたしが殺すんだ。わたしが、わたしがわたしを、わたしが!」

悲鳴のように叫ぶアンジェリカを、アイシアはそっと抱きしめた。
その拍子に彼女が持っていた花束が散って、やわらかい香りと一緒に辺りを覆う。

「私を殺して、アリス。」

そっと囁かれた言葉に、アンジェリカはひゅっと息をのむ。アイシアは優しく、穏やかに、幼子をあやすように囁く。

「生きるために自分を愛せない人もいます。だから私を殺すことは決して、おかしいことじゃありません。私を殺して自分を好きになって。自分の素敵なところを見つけて。きっと、それがあなたの帰る道になる。」
「や、やだ…」
「アリス。」
「いやだあ…!」

アイシアを突き飛ばして、黙ったままのユーリウスに助けを求めるように見上げた。

「君は殺されてもいいのか!?アイシアを止めてくれ…!」
「別に。アイシアの勝手だろ。」
「君も、殺すかも、」
「自己防衛なんて生存本能だよ。それを殺すって…それは生き物じゃない。そんなアリスならいらない。」

そっけなくそう返す子供に、どうしてそんな、と言葉を返そうとしても喉につっかえてしまって何も出ない。
うつむけば、アイシアがまた優しく声をかけた。

「忘れないでアンジェリカ。それは最初からあなたのもの。あなたの中にあったものだってこと。だから…大丈夫。」

絶対に彼女は微笑んでいるだろうとわかる。
満ちたりたような穏やかな微笑みを浮かべているのだろうとわかる。わかるから、耳を塞いで目を閉じてしまいたかった。

「私を殺して幸せになって。」

落ちてきた言葉に、アンジェリカはぼんやりと目を細める。まばたきをしたら涙が零れてしまいそうだった。
殺して幸せになんか、なれない。
同じように言った少女を殺して、わたしは今こんなにも怖い。壊したい。泣きたい。今までどこに隠れていたのだと聞きたいくらい、ぐちゃぐちゃだ。
…そうだ、と。アンジェリカはつぶやく。
これは元々自分の物だ。
自分の中のほんの一面が、少しだけ前に出て来ているだけなのだ。
それだけなのだ。
生きたいのも、殺したいのも、壊したいのも、全部。

「…そうですわ。そして、だからこそアリスは否定されるのです。」

凛とした声が響いた。
バッとそちらを見ると、そこに立っていたのは見知った三人。
その中央に立つ少女…シェリラは兄に似た真っ直ぐで力強い、穏やかな微笑みを形作りながらふわりとスカートを持ち上げて挨拶をした。
それに、後ろに立っていた焔と儚も続く。

「お久しぶりです、アンジェリカさん。」
「アリスを、殺しに来たぜ。」

言葉と同時に放たれた魔術に茫然とすれば、目の前でそがはじかれる。
アイシアの防護壁だと気付いた時には駈け出していた焔がもう目の前まで来ていて、ぎゅっと目を瞑った。
瞬間、響いた金属音。
恐る恐る目を開ければ、焔とアンジェリカの間に剣を割り込ませるジーンの姿があった。
どうしてここに、という質問は声にならない。ただジーンは彼女を守るようにしっかりと立って、立って。
彼らは一度距離を取って、それから、それから。

「…久しぶり、シェル。」
「はい、お久しぶりです。お兄様。」

兄妹はそう、微笑みあった。





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