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「アンジェ!」

シェリラ達と別れて、再び身を隠すようにして森の中を進んでいたジーンとアンジェリカに、少し上擦ったような声が投げかけられた。
反射的に剣を構えたジーンだが、走ってきたのがハインリヒだと知って構えを解いた…解いたと言っても、警戒はしているようだが。

「…リィンじゃないか。どうかしたのか?」
「あ、うん、ぜー、えっと、はぁ、パテ、パティを、見なかったかなって…」

どこかへ行っちゃったんだ、と息も絶え絶えに説明するハインリヒ。知らないと首を振る二人に、彼はやっぱり残念そうに、でもどこか安心したような笑みを浮かべた。

「そっかぁ…」
「…彼女は、アリスを殺す事を決意したのかい?」

ぴくり、ハインリヒの肩が揺れる。
それは質問だ。
その答えによって、剣を抜くべきかどうかが決まる。ハインリヒは困ったように眉を寄せて、それからゆるゆると首を振った。

「わからない、です。ごめんなさい…パティもまだ、わかってないんだと思うから…でも、僕は殺さないです。アンジェが、アンジェのうちは。」
「…そう。」

くしゃり、ハインリヒの頭を撫でる。
少なくとも彼に剣を抜く必要はない。
アンジェリカは二人のやり取りに静かに桜月を持つ手の力を強めた。
負けてはいけない。
今自分の中に渦巻く破壊的な衝動に、負けてはいけない。それを抑える事が…自分を保っていられる事が出来るうちは、彼女はアンジェリカなのだから。
戦いの音が聞こえる。


勇者になりたかった。
君を守る勇者に。
その君が誰なのかは知らない。
世界そのものだったのかもしれない。
とにかくパトリシアは、ただひたすらに前を見る事でその誰かを守りたかった。

「…っ」

ビリッとパトリシアの服を、クイラの雷が焦がす。
普段は魔術の派手さでカバーしていただけの実力差が、今日は酷く現れていた。
パトリシアの詠唱は長い。その分広範囲に、高威力の魔術を発動することができる。そのための時間稼ぎに普段はチャックのサポートを得ているのだが、今は魔術の詠唱は間に合わないし、チャックを使った技もギョロのサポートによって無効化されている。
今までクイラと戦ったことは多くあった。その時はこんなに圧倒されることはなかった。今まで彼が決して本気でなかったことを、そして今それだけ彼が必死なのだと知って、パトリシアは急に泣きたくなった。

「あんたと戦って、どうしろって言うのかしら…っ」

アリスでもなんでもない。
その先には何も無い。
向いた先には誰もいない。
必死になって、まるで。

「バカみたいかしら…」

パトリシアとクイラによる戦闘が行われていた場所にたどり着いて、アンジェリカはぐっと息をのんだ。まるで初めてここに来た時みたいだ、とどこかのんびり考えながら、アンジェリカはパトリシアに駆け寄るハインリヒを遠く眺める。

「パティ!」
「リィン…に、二人。」

傷だらけになっていた彼女は罰が悪そうにチャックを抱き締めて、三人から目をそらした。
彼女とは対照的に、クイラはぐるぐると長斧を回しながら心底嬉しそうに微笑む。

「わざわざ探しに行く手間が省けたと、オレは喜んでいるぞ。」
「アンジェリカをほったらかしてパティと遊んでるなんて、意外と浮気性だな。」

ジーンのからかうような言葉に、クイラはムッと彼を睨んだ。
睨まれた本人は「少し待って」と手を出して、パトリシアの傍にしゃがみ込む。治癒魔法を発動させようとするジーンに、だがパトリシア必要ないとその手を押しのけた。

「心配ないかしら。どうせアリスにしか殺せないもの。だって、いつだって感情を殺すのは自分の意志だから。」

アンジェリカを見て、それからすぐにそらす。

「…アンジェリカはヒロインかしら。それとも主人公。どっちにしろ酷いかしら。少女のふりして魔王で、魔王のふりして少女なんだもん。」
「…パティ、わたしは…」
「アンジェリカ。」

弱々しい呟き。
だがその次の言葉は、いつもパトリシアらしい強い声だった。真っ直ぐにアンジェリカを見上げて、請うような目を向ける。

「前を向きなさい、アンジェリカ。自分に誇りを持ちなさい。色んな感情や自分を持つことを誇りにしなさい。あたしがあたしでいられる事に、意味をちょうだい。」

意味を。
否定しないで。
受け入れて。
そうしてくれないなら、あなたを殺す。前を向くことも、自分自身を受け入れることも自信を持つことも何もできない自分ならいらないから。
私は誰よりも私を知らなくて。
私は誰よりも私を知っている。

「感情をコントロールするのは意志。意志を持つのは自分。あたしはあんたなのよアンジェリカ。あたしが迷うって事はあんたも迷ったって事。全部背負ってそれでも前を向いてくれるなら…パティだって、アンジェリカを殺さないかしら。」

それは宣言だ。
アンジェリカを殺さないという宣言。
ずっと変わらない、ずっと変わらないでくれた自分の中の感情に、アンジェリカはふわりと笑った。
変わらないのだ。
どんなに迷って揺らいでも、持っている感情は変わらない。
変わらないでくれる。

「…ああ、そうだな。これも全部、わたしなんだもんな。」




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