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強く地面を蹴って魔物との距離を一気に詰める。剣を勢い良く振り下ろしながら、それを自分を軸に回転させるようにして突き飛ばす。魔物が振りかざす爪を一歩後ろに下がる事で避けて、そこから更に強く踏み出した。一度魔物の脇腹を引き裂くように背後に回り、再びそこから衝撃波に近い力で剣を振るう。流れるような動きに当然のように
魔物はついていく事が出来ず、そのままどう、と倒れ伏した。まだ微かに動いているのを見ると、殺してはいないようだ。
ジーンは呆然と小さく悲鳴を上げているアンジェリカに駆け寄ると、しゃがみ込んで彼女を真っ直ぐに見つめる。

「怪我。見せて。」

近付くなりそう言ったジーンに、アンジェリカはびくりと体を震わせた。それから自分が怪我をしていた事を思い出して、彼は自分を殺さないのだから怖がる必要なんてないのだと必死に言い聞かせる。と言っても、もう怪我の方は血も止まっていて、痛みだけが残っているだけだ。その事に安堵と、少しの気味悪さを感じて…アンジェリカは、64回ではこんな物かとゆっくりと息を吐いた。
ジーンには心配ないと首を振る。そもそも今戦って疲れただろうと言えば、ジーンはむっと眉をしかめた。それからグッと強くアンジェリカの腕を掴んで、肩に手を翳して先程と同じ淡い光でそれを包み込んだ。

「っほぇわぁっ!?」

途端、ぞわりと体の内側から込み上げる形容しがたい感触が襲ってきて、アンジェリカは悲鳴を上げた。思わずジーンの手を叩いて、ギッと彼を睨む。

「何をするんだ!」
「治癒魔法だよ。ほら、まだ怪我が残ってるだろ。」
「いい。構わないでくれ。今の感覚は耐え難い。」
「我が儘言わない!」

逃げようとするアンジェリカをがっしりと掴んで、痛がる彼女の声を聞かずに再び治癒魔法を施した。
もがぁっと変な悲鳴を上げるアンジェリカに、ジーンは眉をしかめたまま治癒魔法をかけ続ける。体の細胞が無理やりに早く動いて、怪我が塞がっていく。その感覚は体の
内側を蹂躙されているようで、くすぐったいような気持ち悪いような感じがして気味が悪い。
しばらくして、ようやく全ての傷が癒えたと判断したらしい。離れた手に、アンジェリカはほっと息をついた。

「よし。他には無いか?」
「…そもそも、放っておけば治るんだ。実際治りかけだったし。どうせまだまだ死なない。そう言ったのは君だろう。」

わざと不機嫌に言えば、ジーンは申し訳なさそうに目を伏せる。
それは彼の優しさからなのだろう。だが、アンジェリカはその態度に何故かふつふつと苛立ちが湧き上がるのを感じた。
それはようやく『絶対に自分を殺さない』人物に会えた安心感からだったのかもしれない。ずっと走り続けていたアンジェリカにとってようやく立ち止まれる時間だったからかもしれない。どんな理由にしろ、気が緩んでいた事だけは確かなのだろう。
内側から込み上げてくるごちゃごちゃとした感情に任せて、アンジェリカは半ば叫ぶように言葉にした。

「大体!なんなんだ此処は!わたしを殺してどうなると言うんだ、わたしはこんなにも自殺願望が強い奴だったのか?」

ぼろぼろと、落ちる。
それが涙だと気付けないままに、言葉を吐き出していく。痛くてどうしようもないのは、治癒してもらった傷なのか心なのか、それすらわからない。

「殺せばいい。わたしも君もみんなみんな殺せばいい。わたしはわたしを好きになれないだから消えて無くなればいい!この世界は、わたしはそう望んでいるのだろう!?」

ギチ、と爪が地面に食い込んで、剥がれそうなピリリとした痛みが走る。力を入れすぎて青白くなった指に、ジーンは、やはり黙ってそっと目を伏せた。
聞かなければならないと思ったから。
独りきりの彼女の声を、アリスである彼女の声を、聞かなければならないと思ったから。
泣いている女の子の、声を。
抱きしめてあげられない代わりに。

「君だってわたしを殺すんだろう。こうして助けてくれたって、最後にはどうせ君もわたしを殺すんだ。どうして。なんで。どうせ殺すくせに!」

どうして助けるんだと怒鳴って、ただ静かに聞いているジーンの胸を叩く。力任せではあるが、痛くはない。
非力な少女。殺されるだけの少女。
何度も何度も叩く。叩く。それでも彼はビクリともしないし、零れる水も止まらない。止まらない。

「ああ、そうさ!わたしは、わたしは…っ」

わたしは、わたしを殺したくてたまらないんだ。
引きつった声でそう絞り出すように叫ぶアンジェリカの頭を、ポン、と優しく撫でる。アンジェリカが泣き止むまで、ジーンはずっとそれだけを繰り返した。抱き締める事も答える事もしない。ただひたすらに頭を撫でてやる。存在を示すだけの行為に、だがそれだけがいいと、アンジェリカは緩く首を振った。

「…君が嫌いだと言えば、この世界はすぐにでも消えて無くなるさ。此処は君の世界だから。君のための、君による、君の世界だから。」

優しく紡がれるそれは、だが決して優しい内容ではない。

「君が『要らない』と言った感情は魔物になる。そして、否定されたその悲しさを晴らす為に魔物は暴れる。それに連鎖して住人は襲われて死んで…この世界は、すぐにでも消えて無くなるんだ。」

だからみんな君を殺そうとするんだ。そう話すジーンの目はどこか遠くて、アンジェリカはずび、と鼻をすすった。
世界を消してしまうだなんて魔王のようだ。悪役の代名詞の魔王。必ず主人公に倒されてしまうそれは、登場人物たちから見れば殺すべき存在だ。
まるで同じだなと考えながら、頭を撫でてくれる手に無意識に頭をすりよせる。甘えるような仕草にジーンは柔らかく笑って、また頭を撫でた。

「世界が死んだら、心のなくなった君も死ぬ。世界を生かしても君がずっとここにいたら現実の君は死んでしまって…結局世界も死ぬんだ。」
「…だからって、殺して帰すだなんて、無茶苦茶だ。わたしはそんなに無茶苦茶な人間だったんだな。知らなかった。」
「誰だって自分の全てを知っている訳じゃないよ、アンジェリカ。」

ぽん。一度強く手を乗せて、ジーンはゆっくりと立ち上がる。キョロキョロと辺りを見渡す彼に、先程の魔物が目を覚ましたのかと一瞬体を強張らせるが、どうやらそうではないらしい。未だに動かない魔物を確認して、アンジェリカはジーンを気にしない事にした。
その代わりのように、ジーンの言葉を確認するために頭の中で数度繰り返す。
殺してでも現実に帰す。無茶苦茶な理由。どう足掻いても世界を滅ぼしてしまう魔王だから、勇者達は殺す。それだけの話。それだけの、話なら。放っておいてくれたっていいのにと思うのは勝手だろうか。

「君達はわたしに…アリスに何を求めてるんだ?世界平和?」
「君が生きること。」

つぷり、摘まれた花の音が、やけにはっきりと聞こえた。
それもそうだ、アンジェリカは呼吸を止める勢いで驚いたのだから。
あんなにも明確な殺意を向けて来た人々の望みが、『殺す相手が生きる事』だなんて信じられない。思わず黙ってしまったアンジェリカに、ジーンは肩をすくめて話を続けた。

「ただ、君に現実の世界で生きてほしいだけなんだよ、俺達は。」

一輪、摘んだ花と、地面に落ちたアンジェリカの刀を拾って、再び彼女の前にしゃがみ込む。
一番最初に護身用だと彼が渡した刀。結果として、アンジェリカの血だけを流したそれを大事そうに抱える。それから真っ直ぐに…そういえば、彼はいつも話す時は真っ直ぐに彼女を見つめる…真剣な色を宿す瞳を、アンジェリカに向けた。

「君が帰る為の方法を、俺も一緒になって探そう。その為なら君の剣にも盾にもなってみせると誓う。君を、守らせてくれ。アンジェリカ。」

まるで騎士が主に忠誠を誓うように。
座り込んだ彼女の前に片膝をついて、刀と花を一輪、両手で大事そうに持ち上げてアンジェリカに差し出しては頭を垂れる。
恭しく差し出されたそれをしばらく呆然と眺める。
既に持ち馴れてしまった刀と、花。
そういえば、ゆっくりと花を見るのも久しぶりだ。そう思うと、自然と頬が緩むのがわかった。

「…意味がわからないな。生きてほしいのに殺すだなんて。」
「はは、だよな。でもそういう解りづらい優しさもアンジェリカなんだ。」
「面倒な奴だな。なぁ、ジーン。」
「ん?」

笑う事なんて、この世界では初めてだ。泣きそうなほ頬を緩ませて、アンジェリカはゆっくりと刀と花を受け取る。
ジーンも、やはり自分なのだと、そう思った。
だってこの光景は、アンジェリカもかつて『彼女』に対して行ったものとそっくりだからだ。なんだか愛しくなって、アンジェリカはゆっくりとジーンを見た。

「いつか、両手いっぱいの花束をくれないか?あの子に贈れなかった、わたしの代わりに。」

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