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「人形?」

きょとんと首を傾げるアンジェリカに、ジーンは軽く頷いてみせる。ようやく入った町で、ジーンは自分の上着を羽織るアンジェリカの手をひきながら彼女の質問に答えていた。
サイズが合わなくて裾を持って歩く彼女は、クイラやパトリシアが持っていたウサギのぬいぐるみが気になっていたらしい。確かに喋り、魔法を使ったそれを聞けば、返ってきたのは『人形』という単語であった。

「そうだ。基本的に持ち主のもう一つの在り方で、補助魔法とか特殊技とかを使えるぬいぐるみ。」
「意外とまんまなんだな。だから喋れるのか?」
「魔法を使わないとしても普通に喋れる。不安定な部分の人達が持ってる事が多いけど…パトリシアは会った事がないから、わからないな。」

ふぅん、と呟いて、アンジェリカは更衣室のカーテンを閉めた。
着ていた服が血と雨と泥で随分汚れてしまったのだ。
更に度重なる魔物とアリス殺し達との遭遇に、切れたり破れたりと結構悲惨な事になっている。ジーンの上着もサイズが合わないし、アンジェリカの着ていた服はここでは浮いてしまうので、アリスだとバレやすいだろう…そう考えて、まず服を買いに来ていたのだ。ボロボロになった服を脱ぎながら、カーテン越しにジーンの話に耳を傾ける。

「クイラの人形はギョロ。補助魔法タイプだけど、まぁ…面倒くさがりなんだ。あんまり戦闘には参加しない。怠惰の部分だよ。」
「存在全てがアリスの感情である、というやつか。」
「そうだ。俺が『何かを好きだと思う感情』であるように、人形も感情なんだ。魔物だってそうだしな。」

それぞれが自分である。
それはこの世界に来て一番最初に言われた事だ。
理解できたのは随分後だが、今はちゃんと理解している。
つまりは『命』として存在しているもの全てがもう一人の自分なのだ。もう一人の自分達が自分を殺そうとしている。魔物も町の住人もパトリシアもハインリヒも、そしてクイラも。
殺そうとしないのはジーンだけなのだ。その理由は知らないが、アンジェリカは聞かない事にしている。
理由は、怖いから。
今この瞬間も、本当は逃げ出したいほどに怖い。恐怖がこびり付いて、体が震えている。
視線が。声が。気配が。自分の周りにあるもの全てが。怖い。見ないで。近寄らないで。怖い。怖い。
だって、どうせみんなわたしを殺そうとしているんでしょう?
本当はジーンでさえ、信頼しきっているわけではないのだ。きっと、アンジェリカがそうしようもない奴だと知ったら殺される。そう思ってしまっているのも事実なのである。

「…怠惰…そしたら、クイラはどこの部分なんだ?」
「クイラは…お、可愛いじゃないか。」

なんでもないように、だがやはり強張った表情で静かにカーテンを開けたアンジェリカに、ジーンは優しく笑いかけた。
右肩だけを露出し、胴体部分は左だけ切れ込みが入った左右非対称の服。動きやすいように左右にスリットがついているスカート。貧乏性なのか、破れた靴下だけを買い換えたせいで片方だけがオーバーニーソックスになっている。三つ編みにして纏めたせいで、左右で長さが違うのもよくわかり、完全な左右非対称の格好となってしまった。 だが、アンジェリカ自身が髪を整えたくないと言うので、ジーンはそのまま彼女を連れて会計へと向かう。
彼は昔…というか、アンジェリカを最初に助ける前までは騎士として働いていたらしく、金銭的な心配は当分無さそうだった。

「後は、刀を抜けるようにしないとな…戦い方もある程度は覚えておいた方がいい。もちろん俺が守るが、流石に数相手で来られたら困るし。」
「…そうだな。教えてもらえるか?」
「もちろん。そのために刀を渡したんだ。」

会計を済ませて、それから今度はこれから必要になるだろう道具や薬品などを買いに行く。
とりあえずアンジェリカを殺さないまま帰す事に決めたのだが、ジーンもその方法は知らなかったらしい。まず方法を探す事から始める事になり、それならばとこの町から東に向かい丘を超えた場所にある研究都市、ヴェルサスを目指す事を決めたのだ。そのためにもきちんと道具を揃えていこうと、各店をまわっていく。
その間ずっとアンジェリカはジーンから離れないようにしていたが、同時に決して自分から触れようとはしない。危ないからと手をひかれた時でさえ、どこか怯えたように震えてしまう。ジーンはもちろん気付いていたが、同時にその理由もわかっていたから何も言わず、ただ穏やかに微笑んでみせた。

「あ、そうだ忘れてた。」
「何をだ?」
「さっきの質問。」

忘れてた、と声を上げた時は、既に日が傾いていた。
アンジェリカも綺麗に忘れていたらしく、少し悩んでから質問がクイラの事だと思い出す。

「クイラは、まあ、魔物に結構近い部分なんだが…アリスにとって、ある意味凄く重要な部分だな。」
「凄く重要な…?」
「ああ。クイラは、『自分自身が大嫌いな自分』だから。」

自分自身が大嫌いな自分。
それはまさしく、自分自身だ。
大嫌いだと、ジーンと合流するまでに何度思っただろう。アンジェリカは自分が大嫌いだった。だからどうしようもなく、自分だった。

「自分が嫌いだから、この世界も嫌いで、アリスなんて大嫌いで…」

アリスにとって重要な、というのは、アリス自身がこの世界を…自分が消える事を願うからなのだろうか。
自分を嫌う。
それはつまり、この世界の全てを嫌うという事。
結局は部外者という感覚が拭えないアンジェリカと違って、彼は、クイラはそれをどう思うのだろうか。生きてきた世界を嫌うことしかできない自分を、彼もやはり、大嫌いだと思うのだろうか。
なんとなく思考を沈ませていると、頭をぽんと優しく撫でられた。思わず体が強張るがすぐに力を抜く。これはもう馴れた手の感触だ。

「あんまり深く考えなくていいよ。そもそも深く考えるようなものじゃないし、な。」
「…でも、」
「理解をしたいと思うならさ。」

にっこり、見上げた彼は笑って、アンジェリカの頭から手を離した。それから優しく手を握ってやる。
それにまた彼女は体を震わせたけれど、本当はこうして触れ合うことが嫌いではないことも、彼は知ってる。自分は彼女の一部でしかないのだから。

「まずは自分の事を知ろう。それから考えてあげてほしい…彼は、君なんだから。」

わたしは、と小さく呟いて、それから黙り込む。
きっと、考えているのだろう。
それでいいと、ジーンは小さく笑った。
ここは彼女の世界なのだ。
彼女が、彼女と向き合い考えて、そして彼女の…


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