8


「アンジェ!」
「!?」

ガバアッと背中から強い衝撃を受けて思わずジーンから手を離す。突然の衝撃と感触に対応出来なくて倒れそうになる体を必死に踏ん張って見れば、背中にしがみついている、柔らかい黄金。
それが前に出会ったパトリシアだと気付いたのは、後ろから小走りに走ってくるハインリヒを見てからだった。
彼女はアンジェリカを強く抱き締めると、そのまま頬を擦り付けるようにぐわんぐわんと体を揺らした。

「まさかこんな町で出会えるなんて!これはもうパティとアンジェの間には運命があるとしか思えないかしら!」
「パティ、アンジェが困って…」
「チャックもリィンもそう思うでしょ!もうパティが普通の子ならアンジェを旅に連れて行くのに!」
「うぅ、そうやってすぐに…」
〈マスター、自分も気持ち悪いです…〉

ぐわんぐわん、パトリシアとともに揺れる人形とアンジェリカは、互いに無表情ながらもどこか辛そうに見える。実際に目が回ってしまっているのだから当然だが、何故懐かれたし、という単語がまず頭の中で繰り返された。
ジーンも驚いて、対処が出来ていない。なんとかして振り絞った言葉も、「…知り合い?」
という当たり障りの無い言葉で、パトリシアを止める事には繋がらない。
何故かハインリヒの方が目に涙を溜める状態になっているし、誰も止められないようだ。アンジェリカは恐怖を通り越して目が回って気持ち悪くなってきた体を奮い立たせて口を開いた…といっても、しっかりとした言葉にはなっていないのだが。

「え、と…は、ハインリヒ、と、」
「パトリシアよ!可愛らしくパティって呼んでほしいかしら!アンジェはジーンと旅をしてるの?どういう関係?今魔物が増えてるのに大丈夫なのかしら?」
「俺を知ってるのか?」

きょとん、とハインリヒを見るジーンに、彼は居心地悪そうに頷く。
なんでも、彼女は騎士の有名どころは全員覚えているらしい。それは自分達が旅先で不利にならないためと、彼らより先にアリスを殺したいという思いからきたものらしく、ジーンは苦笑した。
それから、いいから質問に答えてよとアンジェリカを強く抱き締めながら睨むパトリシアに肩をすくめる。

「俺とアンジェリカは旅を始めたばかりなんだ。アンジェリカは俺の妹で、昔は体が弱くてね…アリスが消す前に、色んな事を見せてあげたくて。」

もちろん、妹だという事も体が弱かったというのも全て嘘だ。町に入る前にした打ち合わせ通りの嘘に、アンジェリカも打ち合わせ通りに頷く。
ジーンには本当に妹がいるみたいだし、自分も病弱な友人がいたから、もしその時の事を聞かれても大丈夫だと気を張れば、パトリシアはふぅんとだけ言って、再びアンジェリカにすりよった。

「じゃあパティの旅の話も聞かせてあげるわ!宿はとった?まだならとりにいきましょう!リィン、先行ってるからアンジェを連れてきて!」
「え、ちょ、」
「待ってるからねー!」

パッとアンジェリカから離れ、ジーンの手を掴むとすぐにパトリシアは走り出す。突然のそれに反応出来たのは頷いたハインリヒだけで、ジーンはよろけながら彼女に連れられて行った。
必然的に、残ったのはハインリヒとアンジェリカだ。
二人は…というより、アンジェリカは暫く呆然とパトリシア達の消えて行った方を見ていたが、ハインリヒに声をかけられてゆっくりと歩き出した。

「えと…じゃあ、行こう。」
「そうだな。」
「…」
「…」
「その刀、君のなんだよね?」
「ジーンに貰ったんだ。うまくは使えないが。」
「そっか…」

しかし、二人の会話は続かない。
アンジェリカは大して気にしていないのだが、ハインリヒにとっては随分と居心地が悪いらしい。必死になって会話のネタを探すが浮かばないようだ。
そんな彼を横目に見るのはなんだか楽しかったが、彼も自分のどこかの部分だと思うと、なんだか不思議な気持ちになる。

「…えと、その刀に名前はあるの?」
「名前?何故名前なんだ?」
「あ、いや別に特に意味はないんだ、パティは魔法にも勝手に名前つけたりしちゃうから君もなのかなって…ごめんなさい勝手なイメージです気にしないでくださいぼくなんてどうせ気にする価値もないんですその程度の人間なんです…」

うっかり本音を漏らしてから、アンジェリカはとりあえずハインリヒを無視して名前か…と考えを巡らせる。
必死に出してきた話題だ、乗ってやらなくては、と義務感めいたことを考えて、どうせなら綺麗な名前か愛着の湧く名前にしようと候補を上げていく。
アイリス、アリシア、アイリーン…ヒイラギ。

「…桜月。」
「え?」
「名前…桜月、かな。」

大切な彼女の、名前だから。
そうとは呟かなかったが、なんとなく伝わったらしい。ハインリヒは柔らかく笑って、いい名前だねと返した。

「ああ、ようやく来た!二人とも次はヴェルサスなんでしょ?パティ達もそこでアリスの資料が見たいの。なら次の町まで一緒に行きましょう!」

宿に着いてすぐ、反対意見など存在しないだろうと確信したようなパトリシアの発言に、アンジェリカは小さく首を傾げた。
別に彼女達が共に行動するという事にはなんの不満もない。パトリシアは自分がアリスなのだとは知らないし、知っているはずのハインリヒもパトリシアに言う気はないらしい。そもそも彼はパトリシアが自分の話を信じるはずがないとも思っているようだ。一緒に行動することは心強いし、また安心もできる。
なので当然、アンジェリカが気になったのはそこではない。彼女が気になったのは目的だ。気になったのは、パトリシア達がアリスの資料を探すのだと言ったこと。

「資料なんてあるのか?」
「ヴェルサスは研究都市だからね。人形についてや世界について、あとは妖精についてとかも色々研究しているんだ。」
「ようせい?」
「願いかしら!」

はてはて。
ジーンに聞いたところで、疑問は増えただけだった。
研究都市と言うからには、資料などがあるのはわかる。
アリスの存在も世界の常識のようだから、まぁあってもおかしくないのだろう…しかし、妖精と願いが繋がらない。そう首を傾げれば、ハインリヒがずれてきたメガネを両手で直しながら説明しようと口を開く…すぐに、パトリシアの人形であるチャックに邪魔をされるのだが。

「あ、えと、パティが言いたいのは、その…」
〈自分達が感情の一部であるように、妖精は願いの部分なんですよ。ここでの願い事には、『努力』とか『願う』とか『頼る』とか…あとは『憧れ』とかも含まれますね。そういう部分の人以外とはほぼ無縁ですから知らなくても仕方ないんですが。〉 「そ、そうなんだよ…妖精使いの人とかもいるし、もっと深い人だと天使とか人魚とか、人なのか魔物なのかわからない形をしてたりもするんだよ…」
「なるほど、そうなのか。じゃあ妖精使いというのは願いを叶えてまわる奴なのか?」
「ううん、えと、」
〈妖精使いは、妖精の体の中に刻まれている魔法術式を操って魔法攻撃、魔力放出の中距離攻撃、魔力を具現化しての近距離攻撃などと様々な能力を持っています。〉 「…うん、なんだ。」
「ほぅ…なんだか凄いんだな。」
「妖精も妖精使いもどっちも、出会うのは難しいけど、観光にはある意味ぴったりかしら!」

肩を落としたハインリヒを無視してふふっと笑うパトリシアに、アンジェリカはそっと考えてみる。
ゲームなんかに出て来る妖精と、それを操るという人間…それもまたゲームのキャラのような人物なのだろうか。アンジェリカは無意識にそれを『彼女』でイメージし、幻想的で可愛らしい想像に顔を綻ばせた。

「そうだな、確かに観光にはいいな…じゃあアンジェリカ。俺達は妖精について調べてみよう。」

帰る方法について何かわかるかもしれないよ、と目で伝えるジーンに、アンジェリカは「わかった」とだけ答える。
正直、今の彼女は帰る方法よりも妖精に会いたい、という思いの方が強かった。



- 8 -

*前次#


ページ: