9


「凄いな…町全体が図書館みたいだ。」

4人で街道を抜け、ようやく辿り着いた町…研究都市と呼ばれるヴェルサスという町は、それ自体が本に埋もれているような場所だった。
誰が読むんだというような大きな本や、研究資料を纏めたのであろう本。皆一様に学生服や白衣に身を包み、道端も研究室も関係なく、色々な物を広げている。
急に小さな爆発を起こした実験器具に体を跳ねさせるアンジェリカに、ジーンはくすりと笑った。

「その発想は間違いじゃないよ。事実、世界の図書館だなんて呼ばれてたりするからね。」

世界中の本や知識、記録が集まる場所であり、この場所だけはどこの国にも属していないのだと優しく教えるジーンの手をきゅっと握って、アンジェリカは感嘆の息をもらした。その手を軽く握り返してから、アンジェリカを見て満足そうに笑っているパトリシアの方を向く。

「じゃあ、俺達はここでお別れかな。」

ジーンの言葉に、パトリシアはきょとんと目を瞬かせた。それからゆっくりと言葉を復唱して、むぅっと頬を膨らませる。

「えーっまだいいじゃない!宿で一泊くらいなら一緒でもいいでしょ!」
「でも、君達も調べ物があるんだろう?パティは勇者なんだから、人々を優先しなきゃ。」

言われて、パトリシアはグッと言葉を飲み込んだ。まだアンジェリカといたいようだが、彼女にはそれ以上に『勇者』という誇りがあるようだった。
ただの自称かと思っていたが、思っている以上に彼女はきちんと『勇者であろうとしている』ようだ、とアンジェリカは密かに目を見張る。

「リィンもありがとう。」
「い、いえ。僕は欠片も役にたちませんでしたから…」
「そんなことないさ。アンジェリカと沢山話をしてくれただろう?」
「…楽しかった。」

ぽつりと呟いたアンジェリカに、ハインリヒはてへへと恥ずかしそうに笑った。ジーンもハインリヒの頭を撫でて、彼のズレてしまっていた眼鏡を直してやる。
それが聞こえたのは、優しいその手付きに、パトリシアがずるいかしら!と叫んだ時だった。
唐突に聞こえた、何か巨大な物が衝突する音と振動。
ジーンは思わずフラついたハインリヒとアンジェリカを支えて、「ついに来たか!」「お前ら急げ!食い止めるぞ!」とざわめきだした町の学者達を一人捕まえる。
一様に駆け出した人々の事を聞けば、学者は慌ててジーンの肩をゆすった。

「何かあったのか?」
「あんたのその服、騎士様か!丁度良い、今、ヴェルサス西高原から魔物の群れが来てるんだ。繁殖期だから、時期的に仕方ないんだが…とにかく、町の外で食い止めないと。」
「パティも手伝うわ!」

繁殖期の魔物達が餌を…人間を捕まえるために町に降りてくるのはそんなに珍しい話ではない。
しかし、ここの魔物は一度に大量にやってくるらしく、毎年大きな被害が出ているのだ。数で来るというそれにパトリシアは「勇者だもの!」
と力強く申し出る。

「リィンはアンジェと宿で待ってなさい!帰ったらベッドダイブするんだから!」
「待ってよパティ!」

がっしりと…ハインリヒにしては珍しいほど強く手を握って、パトリシアを引き止めた。
ジーンは学者に先に入り口に向かうように言って、二人を見つめる。キッと睨んだパトリシアにも、ハインリヒは泣きそうなまま叫ぶように言葉を紡ぐ。

「何かしら!」
「危ないよ、いくらパティが強くても、詠唱時間の長いパティに数で来られたら…それに、もし町の中に来たらどうするんだよ!」
「そうならないために行くのよ。大体、パティ一人じゃない。ジーンも町の人もいる。怖がる必要なんてどこにも無い。町の中に入っちゃったら、リィンが守ればいいじゃないかしら。」
「む、無理だよぅ!僕はもうぎゅぎゅ」
「ハインリヒ。」

ぎゅう、と、強く頬を抓られる感触に、ハインリヒは情けない声を上げた。
頬を抓っているパトリシアは、今までアンジェリカが見たことのない程真剣な眼差しをハインリヒに向けている…パトリシアの瞳はいつも真っ直ぐ前を見ていたが、こんな目は初めてだと、彼女も自分である事を忘れて呆然とその姿を見た。ハインリヒも、目に溜まった雫を必死にこらえて彼女を見ている。

「たまには前見なさいよ。後ろ向きになるなら後ろ向きに足掻きなさい。あたし達はあたし達であることに誇りを持つべきなのよ。」

そう静かに告げて、彼女は手を離した。
それからずっと黙っていたジーンに目配せをして、一つ頷いてから町の入り口へと駆け出した…もう、魔物との戦闘は始まっているのだろう。聞こえる音に、パトリシアは魔術を詠唱しながら走る。
すり抜けてしまった手を、背中を見て、ハインリヒはぐっと涙をこらえた。

「アンジェリカ、宿で待っててくれ。」
「わかった。気を付けて。」
「ああ。」

ジーンとアンジェリカはそれだけを言って、互いに背を向ける。
たったそれだけの会話を交わして、そしてアンジェリカはハインリヒの手をそっと握った。

「行こう。わたし達では足を引っ張ってしまう。」


- 9 -

*前次#


ページ: