14
相変わらずこざっぱりとした船長室で、アルヴァートとラルドはベッドで向き合うようにして座っていた。
慣れない手つきで、ライノルズに貰った紙を見ながらアルヴァートの手当てをする。
間に流れる空気は無言で、包帯を巻き付ける音と救急箱を漁る音だけが響いた。
カタリーナのおかげでアルヴァートの肩を掠めるだけに終わった傷に、申し訳なさと後悔から涙が滲む。
だがギリギリでそれをこらえて、不器用ながら手当てを終えたラルドの頭をポンと撫でた。
「ありがとな。」
それだけを呟く。
ラルドはそれに不安を感じて顔を上げるが、やはり言葉は出ない。
俯いて何かを言おうと口を開閉させて、ぎゅうっと目を瞑る。
アルヴァートはそれに何の反応をするでなく見つめて、彼が言葉を発するのを待つ。
そして…ポツリ、ようやく少年は言葉を紡いだ。
「…おれ、何も持ってないぞ。」
絞り出した声はか細く震えていて、それだけでもこの幼子が必死に言葉を出したのだとわかる。
宣言して、何か吹っ切れたのか。
いつもからは考えられないほど饒舌に言葉を吐き出し始めた。
「幸福の子供、だとかそんなの嘘だ。誰も幸せになんか出来るわけない。むしろこうやって、傷つけてばっかりなんだ。だからおれは、だから…」
「今、怪我の治療してくれたろ。」
ラルドを遮って、アルヴァートは自分の体に巻き付けられた包帯にそっと手を当てる。
いっぱいいっぱいと言った感じに巻かれたそれを撫でる彼に、ラルドはついと目を逸らした。
「…おれのせいだし。」
「でも俺はそれを嬉しいって思った。あとカタリーナがお前を随分と気に入ってるよな。ライノルズも珍しくちょっかいかけないし。お前がその幸福のうんたらって知らない他の奴らもみんなお前を可愛がりたくてたまらないって言ってたしよ。」
ひとつひとつ、指折り数えながら言葉を連ねて行く。
それはとても些細な事すぎて、それだけでは何が言いたいのかわからない。
けれど、それを紡ぐ顔はとても優しくて、落ちてくる言葉はとても柔らかいから。
まるで“自分が好かれている存在”なのだと言っているのだと、錯覚してしまう。
ぽんと撫でるように前髪をかきあげるこの男の手は乱暴で無造作だけれど、暖かくて優しいから。
「なぁ、お前はみんなに好かれてるじゃねぇか。何も持ってない奴が誰かに好かれたりするかよ。」
甘い言葉が、まるで本当みたいに思えてしまうんだ。
「な、なんで泣くんだ!?」
今までこらえていた涙がぼろっと零れる。
まばたきをする度にぱたぱたと零れてしまうそれは止める事も出来なくて、ラルドは途方に暮れたように泣き続けた。
その様子にアルヴァートもギョッとして、あたふたと両手をさまよわせる。
それから困ったようにラルドの両頬を撫でて、わざとらしい程明るい声を出した。
「よ、よーし、なら元気になるように歌を歌ってやるぞ!しーずむー、うーみにー、ゆぅうぅやぁけえひーとーでー、きーみとぼーくーとーでせぇかぁいーだよー。」
相変わらず奇妙なリズムで奏でられる歌は正直上手くはない。
しかしラルドはぎゅうっとその体に抱き付くようにして服を握り締めて、その歌に耳を傾けた。
小さな嗚咽と陽気な歌声が、このこざっぱりとした部屋に響く。
信じてはいけないと思った。
いつか終わってしまうのだろうから。
踏みにじられるくらいなら、失うくらいなら、この手に何も残らないというのなら、何もいらないと思っていたのに。
世界も全部、無かった事にしてしまいたかったのに。
深海を生きる魚が海の底へ帰るのを止めるように降り注ぐ光に、笑顔に、歌に、涙が止まらない。
嗚呼、嗚呼、陸まで上がってもいいのですか。
ここにいても、いいですか。