40
「ヴェ、ヴェルディ。」
ひょっこり、翌日の朝になって、ラルドは洗濯をしていたヴェルディを家の影に隠れながら呼ぶ。
ヴェルディはそれに洗濯を干す手を止め、こてんと首を傾げて彼に近付いた。
「ん?どうかしたんか、ラルドくん。」
「あ、あの、その…」
ラルドはしばらく恥ずかしそうにヴェルディを見ては目を逸らすという動作を繰り返して、やがて「トイレ…」と小さく呟く。
どうやら他の面子はまだ寝ているらしい。
初めて訪れるこの場所のトイレがわからないのも仕方ないが、聞くに聞けないのだろう。
「ああ、トイレしたいんか。ほな、ここやったら別にええよ?」
ヴェルディの言葉が上手く理解出来ず、は?と首を傾げる。
彼女はにっこりと笑うとラルドに向かって手を伸ばした。
「ほれ。」
「〜〜っ!?」
べらっとラルドのワンピースを捲って、その下にあるズボンを脱がそうと手をかける。
慌ててワンピースごと抑えるが、ヴェルディはケラケラと笑って「大丈夫じゃって!」とその手を緩める事はしない。
「どうせここ庭代わりなんやし、かまへんかまへん。男の子なんやし平気じゃろ?」
「や、や…っ」
海賊船にもトイレらしいトイレがあったわけじゃない。
だが存在しなかったというわけでもなく、少なくともこんな船先の丸見えの所ではなかったと、ラルドは必死にズボンを抑え続けた。
しばらくヴェルディとの攻防戦が続いて、そろそろ涙的な意味でラルドに限界が近付いた辺りだ。
「うー…飲みすぎて頭痛い…」
「ちょっとヴェル、何か飲みも…きゃあああああああ!?」
ようやく起きたらしいディランとカタリーナが悲鳴を上げる。
事情を知らなければ単純に「嫌がるラルドのズボンを脱がそうとしている」光景にしか見えない。
「な、なななな何やってんだいけしからもっとやれいや違くてちょ、ちょっとおおお!!」
「ああリナちゃんディランくん、おはようさん。」
陽気に挨拶をするヴェルディからべりっという勢いでラルドを奪う。
そのままディランにしがみついた彼の代わりに、カタリーナはがっしりとヴェルディの両肩を掴んで詰め寄った。
「いたいけな子供に何やってんだい!」
「別に何も変な事はやっとらんよ!ただトイレさせたろー思っただけじゃって!」
「なんでアタシを呼ばないんだい!」
「君達二人とも最低らから!よーしよしラル、トイレはあっちれすよー」
「ぅ、うぅ、ぁぅ…っ」
「あんな変態からは早く離れましょうねー」
ぐしぐしと泣きじゃくるラルドをあやしながら奥へと入っていくディランとすれ違うように、ライノルズが目を擦りながらやってくる。
彼はラルドすれ違いざまにラルドを見て、それからディランに叱られた二人を見る。
少しの間黙って二人を見ると、ああと納得したように頷いた。
「…ああ、ヴェルちゃんとリーナちゃん、どっちが原因?」
「ヴェルディに決まってるだろ。船長は?」
「まだ寝てるよ。」
即答したカタリーナの顔を「鼻血も拭きなさいよ」とごしごしと手で拭ってやる。
即座に手を叩かれるライノルズを見ながら今の内にとヴェルディは洗濯に戻り、手早くそれを終わらせた。
よいしょと空になった籠を持ち上げて、そのままライノルズに押し付ける。
「ほな、うちはちょっとお出かけするから後はよろしゅうな。」
「はいはい。ラル坊に何か買ってきてあげなよ。」
「ラルドくん、何買うたら許してくれるかのぅ…」
たははと苦笑いを浮かべて、彼女は近くに結んであった小舟のロープを解いた。
乗り込んで、ゆっくりと漕ぎ始める。
その背中にべーっと舌を出すカタリーナの隣で、ライノルズは知らない後ろ姿の小舟が彼女を追うように水面を進むのを静かに見つめた。