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「…あ、そうだこれ返す。着替えるなら着替えて。」


はいとあの青い服を渡されて、ラルドは少しだけ戸惑うように受け取る。

唯一、両親と繋がるそれ。
ジョンに直して貰ったそれ。
やっぱりこっちがいい、とラルドはそれを抱き締めた。


「窓からは少し高いか…せめてあともう一つ下に行ければ…」

「行けると、思っているのかね?」

「!」


扉から聞こえた声に、オシリスはばっとラルドを自分の後ろに庇う。

そこにゆったりと立っていたのはフォルキシアだ。
彼はぱちぱちと拍手をして、表面には笑顔を…だがだが目は無表情のまま、オシリスを見た。


「いやぁ、ここまでよく頑張ったね。同族意識でも残ってたのか…でもよくない。だってこの先は、彼らにとって良いことなんて一つもない。」


背中の痣によって強いられる生活。それを君も知らないわけじゃないだろう?

言外に込められたその言葉に、オシリスは黙って彼の足元を見た。
知らないどころか、それは自分も体験した事だ。
それは確かに事実であり、たとえそれ以上の幸福があるかもしれないと思えど、言い返す事は出来ない。

フォルキシアはオシリスのその様子に満足そうに笑みを浮かべ、再びラルドに向き直った。


「おいでラルドくん。君に降りかかる全てから儂が守ってあげるよ。もう、そんなものに縛られなくていいように。」

「…縛られてるのはそっちなんじゃないですか、ホルス公。」

「…君は、本当に威勢がいいね。」


笑って、だが次の瞬間フォルキシアは甲高い音を響かせてオシリスの頬を打った。

真っ赤になった頬に思わずラルドが小さく悲鳴を上げるが、オシリスは動じる事なく再びフォルキシアに向き直る。
向き直って、ラルドを決してフォルキシアの前には出さなかった。


「…っ」

「幸福の子、聞こえる?」

「え…」

「外。聞こえる?」


静かに言われ、ラルドはちらりと窓の外を見る。
相変わらず空と海と船しかないその場所。
その窓から見えるのはフォルキシア船を乗り付けてある港船と、その近くをうろつく軍人だけだ。

ラルドは急いで、言われた通りに耳を済ましてみる。

聞こえてくるのは聞き慣れた波の音と人々の足音と、そして…誰かを呼ぶ、声。


「ラ…ドー…どこ…ー!」


だんだんはっきりしてきた声に、ゆっくりと目を見開いていく。

それはここ最近ずっと聞いていた声で、自分に色んなものをくれた人の声で、だんだんと見えてきた姿は、何度も求めてしまったあの暖かい、人。


「ラルドー!どこにいるんだー!」


そこにいたのはたった一人で港を走る、アルヴァートだった。


「ラルドー!」

「こいつ!いつの間に!」

「やべっ」


どうして、と小さく呟く。
届くわけはないのだけれど、それでも呟かざるを得なかったのだ。

どうして彼が一人でここにいるのか。
あんな、軍人に追い回されるなんて初歩的なミスをしながら、何故自分を拒絶した子供のいる場所にいるのか。

すぐ傍から返ってきた声は明確な答えではないけれど、ラルドに更に信じられないという気持ちを強くさせた。


「…海の方じゃ、あいつの仲間が軍船相手に戦ってる。君を奪い返しに来たらしい。」

「…なんで、」

「さあ?少なくともあっちにいた方が君にとって幸せなんじゃない…あの人には痣、ついてないのにね。」


どうして、どうして、どうして。

ラルドは理解が出来なかった。
自分には何の価値も無いと思っていたし、大きなそれらしい実害が無いだけでみんなを不幸にしたと思っていたから。

どうして、どうして。

ラルドは理解するのが怖かった。
それは自分自身を許す行為であり、それによって与えられる好意を返せる自信なんてなかったから。

どうして。

酷い事を言った気がする。
それなのにどうしてあんなに、彼は。


「ラルドー!」


彼は自分を呼ぶのだろう。

自然と浮かんできた涙を目にいっぱいに溜めて、ラルドはあの眩しい存在を見た。
憧れた存在を見た。
自分にとっての幸福を見た。

アルヴァートを、見た。