72
てとてとてと、小さな足音が響く。
それはこの船においては聞き慣れた可愛らしい物で、同時に少しだけ久しぶりに聞く音だ。
その足音の持ち主であるラルドは、その「少し前」よりもどこか力強い足取りで船内を歩き回る。
そして出会った船員一人一人に自分から話しかけた。
「じ、ジョン!」
「ん?どうしたぁ坊主。」
「あ、の、まだちゃんと言ってなかったから。服、ありがとう。」
そう真っ直ぐに自分を見上げるラルドに、ジョンは胸がじんと熱くなるのを感じる。
もちろん彼はありがとう巡りをしているだけらしく、それを言われたのは自分だけではないのだが、嬉しい物は嬉しいのだ。
「なんでぇ坊主、随分成長しちまって…」
「おどおどしてんのもめんげかったが、あれもめんげぇなぁ…」
我が子の成長を見守るように涙を拭う仕草をして、ジョンはソンと共にラルドの背中を見る。
ずっと隠れていただけの彼は、アルヴァートに打ち解けてから自分達から逃げる事はしなくなった。
やがてきちんと会話が出来るようになり、こうして彼から話しかけてくれるようになった。
自分達に対してだけなのかもしれないが、ゆっくりと、だが確実に歩き始めたラルドに思わず笑みが零れる。
それはずっと様子を見ていたカタリーナも例外では無く、彼女は嬉しそうにしゃがんで彼に向かって腕を広げた。
「なぁ坊や、アタシには?アタシも頑張ったんだけどな〜」
「…サン、セイ。あの…」
「スルー!?」
綺麗に彼女の横を通り過ぎて、後ろで甲板掃除をしていたサンとセイの所へ駆けていく。
初対面がいけなかったのか、相変わらず彼女には近寄ろうとしないラルドに、カタリーナはえぐえぐと泣き崩れた。
その肩を、アルヴァートがポンと叩く。
「泣くなカタリーナ。あれはラルドなりの照れ隠しなんだ。」
「でもぜんぢょ〜、アタシまだ名前も呼ばれでない゛〜」
「俺は呼ばれたぞザマミロ!」
「ちくしょうこのクソ船長おおおおおお!」
しゃがんだまま彼につかみかかって、そのまま勢い良くアルヴァートの頬を引っ張った。
それに負けじとアルヴァートもカタリーナの頬を引っ張り、やがて両頬をぎぎぎ、と勢い良く引っ張り合う形となる。
もちろん止める者は居らず、それどころか座ったまま戦いを繰り広げる二人を煽る声ばかりが上がった。
そんな中で、サンに頭を撫でられたラルドは意を決したように二人に近付く。
そしてそのままカタリーナの頬にちゅ、と小さく唇を押し付けた。
ぽかんとする彼女に、ラルドは真っ赤な顔でぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「…別に、嫌ってるわけじゃ、ないし。その…ありがとう。」
「…っ!」
「うわああリナぁぁああああ!?」
「姉御が真っ赤にいいいいいい!!」
勢い良く鼻血を出したカタリーナからアルヴァートはさっとラルドを遠ざける。
結果として一人鼻血の海に沈んだ彼女に、周りは慌てて鼻に詰める物を探した。
その時の彼女の表情はまた素晴らしい程に幸せそうなのだが、鼻血により全くわからなくなっている。
その様子を見て、アルヴァートは自分よりずっと下の方にあるラルドの頬をぷにとつついた。
明らかに不機嫌そうなそれは、単純な嫉妬だ。
ぷにぷにと何度もつつきながらラルドの様子を厭らしく伺う。
「ラルド、俺にはねーの?」
「…う。」
「大嫌いは嘘なんだろー?」
「うー…」
ニヤニヤと笑顔を浮かべ始めた彼に、ラルドはぎゅっとそのコートを引っ張った。
笑顔のまましゃがみ込んだアルヴァートの鼻先に、少し背伸びをするようにして唇を押し付ける。
そのままぽすりと、ラルドは真っ赤になった顔を冷まそうとアルヴァートに抱き付いた。
「…アルヴァートは、でかいから届かないんだ。」
「ラルドを抱き上げるためにでかいんだ、許せよ。」
ちゅ、と額に落ちたアルヴァートの唇に、ラルドは暫しムスッとした後、えへへと小さくはにかんだ。
安心しきったような笑顔がなんだか嬉しくて、アルヴァートも柔らかく笑う。
こんな日々がずっと続けばいいと、誰もが思ったのだろう。
だが、ラルドの背中越しに遠く見える海の上を見て、アルヴァートはそれを未来に繋ぐにはどうするべきだろうと、ラルドを強く抱き締めた。