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夕暮れ。
青い世界が唯一赤い世界に変わる時間。
アルヴァートは一人海を睨むようにして、遠く見える船の黒い影を見た。

昼間から見えていたそれは、一定の距離を保ちながらもこちらの船を追いかけてきている。
恐らく深夜か夜明けかに襲撃してくるつもりなのだろう。

そして恐らくその指示は、ラルドを逃がそうとしたという彼の必死の抵抗だったのかもしれない。


「やっぱり来たっぺか?」


野太いソンの声に振り返れば、船員のほとんどがそこにいた。
ちらほらと見えないライノルズなどの面々は、ラルドと共にいるか夕食の支度をしているかのどちらかだろう。

彼らもやはりちゃんと気付いていたかと、アルヴァートは小さく笑みを浮かべた。


「…ああ。」

「ま、来ないわけが無いですよねー。じゃあ準備を始めればいいですかい?」

「そうだな。逃げる準備をしてくれ。」


セイに返ってきた返事に、彼を始めとする全員が一瞬戸惑いの表情を浮かべた。

彼はなんと言った?
逃げると言った。
今更逃げると。



「ここには俺一人で残る。俺が時間を稼ぐ間、お前ら全員ラルドを連れて逃げろ。」



彼のはっきりとした宣言に聞き間違いではなかったと、全員はきっと彼を見た。

特に今にも食ってかかりそうなカタリーナを軽く手で制して、ディランが弱々しく笑いながらアルヴァートに話しかける。


「…センチョ、じょうらんきっついよ。」

「冗談じゃねぇよ。」

「アタシらにあんた置いて逃げろだなんて冗談にしか聞こえないよ。」

「冗談じゃねぇって。海賊から嫌な事を抜くと家族だ。家族を守るのは船長である俺の役目なんだよ。」


アルヴァートの言葉に、カタリーナはぐっと言葉を詰まらせた。
それはこの船…いや、この船のホームであるモネウィルドに暮らす者全ての間で交わされる言葉だ。

誰が言い出したかは知らない。
けれどそれはしっかりと根付き、そして…その言葉の下で、彼らは繋がっていた。



「確かに海賊から嫌な事を抜くと家族になるっすけど、家族に“い”っしょに生きる事を足すと海賊になるっすよね。」



ふと、今まで黙っていたディーがそう言った。
いつもと変わらない、何てこと無いような口調で言われたそれは、だがアルヴァートの言葉をひっくり返す意味を持つ。

それに気付いた者達は一度零すように笑みを浮かべて、それからいつもと変わらない様子でアルヴァートを見た。


「船長、あっしら、家族である前に海賊なんですぜ。」

「んだべ。だから一緒に戦うなんてあたりめーだ。」

「それを忘れちゃ困ますよねー」


船の上に、一瞬だけいつもと同じ空気が流れる。
和やかで能天気で、だがどこかしっかりとした意志を持つ空気。

それがあの日と同じ物だと気付いて、アルヴァートは不覚にも目頭が熱くなるのを感じた。
あの日、船に新しい仲間が増える日、出会って、そして…彼が、彼になった日々。

アルヴァートはひとつ息を吐くと、大きく肩をすくめてみせた。


「…ったく、しょーがねーなぁお前らは。船長の顔を立てる気はねぇのかよ。」

「無い!」

「あっそ。なら仕方ない。ラルドはライノルズに頼んで、俺達はみんなで海軍様でも沈めるかぁ。」


仕方ない仕方ない、と言いながら、アルヴァートはくるりと背中を向ける。

そして小さく、だが全員に聞こえる声で、言った。


「…ありがとな。」