胴体も手足もぎゅうぎゅうに縛り上げれば、犬紳士くんはむうっと頬を膨らませる。抜け出そうともがいているのか、それともただ駄々をこねているのか。ぐわんぐわんと縛られたまま左右に揺れる彼は、子供みたいに喚いた。
「あーやだやだ! お散歩もしてくれないし! せめて俺様ちゃん、とびっきりの話聞いてから帰りたいー!」
「なんでそんな駄々っ子するの、もう」
「うるせー! あのぎゅんぎゅん来るのがいいの! わかるだろ恋愛くそ雑魚ども!」
わかるー、楽しいよねー、と、さっきまで犬紳士くんを批判していたはずの人たちから同意の声が聞こえてくる。本当にのんきで危機感のかけらもないそれに苦笑しつつ、どうしたものかなあと眉を下げた。
「俺の好きな子は、名前も知らない子だよ」
ふと、やけに耳に通る声がして視線を向ければ、秋也先輩が地面に座り込んだまま、こちらをじっと見ていた。
どうやら雑に落とされて以来、ずっと隅の方で座っていたらしい。ゆっくりとした動作で立ち上がると、同じくらいのんびりと歩いてくる。止めようかと思ったけど、なんて声をかければいいのかわからなくて口を開閉させている間にも彼は近付いてきて、それから、縛り上げられたままの犬紳士くんの頭をぽんぽんと撫でた。
「五年前に助けてもらったことがあるんだが、その一度しか会ったことないから、名前どころかどこに住んでいるのかも知らない。でも、今の俺を形作るくらいにずっと特別な人で、ずっと好きな人だよ」
続きは恥ずかしいから内緒だ、と犬紳士くんの頭を撫で続ける先輩は、小さい子に内緒話をしているみたいだ。
この間からちょっとだけ、ちょっとだけ気になっていた先輩の好きな人の話。名前も知らない子の話。それに、なんとなく。あれ、と思って。何に引っかかっているのだろうと首を傾げたところで、犬紳士くんがそっか、と呟いた。
「……こういう一途な話が聞きたかった!」
「じゃあもういい?」
「どうぞ!」
やたらと覚悟の決まった顔で元気よく返事をするので、私も魔導書を開く。光の蝶と花びらとが辺りに舞って、彼を縛り付ける蔓に花が咲いて。それから、「やっぱり落ちはこうでないとね」と言っていた姉さんの言葉を思い出して。
花の中から空に向かって吐き出すように。まるで空に輝く星の一つに並べるように。勢いよく彼の体を空へと射出させたところで、今日の戦いは終わりを迎えた。
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ごちゃ。