10:たったひとつの真実でした



 既に集まっていた体育館入り口の観戦者に紛れて、二人は海常と誠凛との激しい応酬を見ていた。
 ギャラリーの話を拾い聞くに、もともとは半面コートで試合をしていたのが、ゴールが壊れて全面に変更となったそうだ。ゴールをダンクシュートの弾みで壊したのは誠凛の火神という選手らしい。試合を見ていても、彼が黄瀬と比べても遜色ないパワーとポテンシャルの持ち主であることは明白だった。
スキール音が幾つも重なって、鋭く館内に響く。黄瀬の顔から余裕の色が消えているのを、優乃は久々に見た。変幻自在のパスがコートを裂くように走る。周囲より一回り小さい影が見えたのは一瞬で、彼は再びコートの空気へ溶け込んで見えなくなった。
 黒子の姿を目にするのも、久々だった。
 デッドヒートの状相を見せた第四Qは、火神のブザービーターで幕を閉じた。
 気づかない内に息を詰めていた優乃は、はあと息を吸い込んだ。体育館内の熱気に中てられて、額に汗が滲んでいる。
 黄瀬が試合で負けるのも涙を流すのも、初めて見た。
「黄瀬は双子座なのだよ」
 優乃の隣で、それまで黙っていた緑間が口を開いた。優乃は静かな横顔を見上げる。
「おは朝占いの今日の最下位は双子座だ。だが負けるとはな」
 コート脇のギャラリーは、未だ騒然としている。すすり泣く声まで聞こえてくる。
 緑間は踵を返した。
「緑間くん?」
「用事がある。お前は先に帰るのだよ」
 大きな背中は数歩歩いて、ふと立ち止まった。
 振り返った深い緑の双眸が、優乃をじっと見据える。先程も同じことがあった。緑間を見つめ返す優乃に向かって、緑間は口を開いた。
「何があろうと真っ直ぐに、この学校を出ることだ」
 その声にはどこか念押しの響きが感じられた。それも親が子に言うような類いの雰囲気だった。優乃は理由のわからないまま、緑間の目力に頷くほかなかった。

 優乃は結局、緑間の言いつけを守って真っ直ぐに海常高校を後にした。帰る途中で可愛らしい喫茶店を見掛けて立ち寄り、もうすぐ一時間が経つ。
 優乃は黄瀬に、試合に呼んでくれたお礼を直接会って言いたかった。しかし今、それは黄瀬にとってどんなものに姿を変えるかわからない。自己満足のために黄瀬に不快な思いをさせてしまうとしたら、それは優乃の本意ではなかった。
 氷の融けてしまったアイスティーを飲み干して、優乃は立ち上がった。代金を払って、店員の声と鈴の音に見送られて店を出る。
(駅はどっちだっけ)
 ポケットからスマートフォンを取り出した優乃の耳に、微かにボールの跳ねる音が聞こえてきた。
 優乃は顔を上げた。朱の混ざり始めた空をスズメが数羽飛んでいく。その先に、公園の入り口とフェンスとが見えた。
 優乃の足は、知らずそちらを向いていた。車通りのない静かな車道を横切る。風にセーラー服が揺れた。
 今度ははっきりと、ボールをドリブルする音が聞こえた。靴の底がこすれる音まで、こちらへ響いてくる。たったそれだけで見に来てしまった。優乃は自分に笑った。
 小さな公園の隣に併設される形でバスケのコートが一面あった。風に揺れる木々に囲まれた公園へと入る。ローファーの下で砂の音がした。
 ゲームが行われているようだった。コートから、何人かの声が響いてくる。その中に聞き覚えのある声があった気がした。優乃はコートの方へと駆け寄った。
 木に遮られていた視界が開ける。瞬間、ボールがゴールネットを揺らした。
 ゴール下にいた私服の男が憎々しげに睨んだ先を見て、思わずあっと声を上げそうになる。
 カッターシャツ姿の黄瀬だった。同じコート内に、火神や黒子もいる。彼ら三人は鮮やかなプレーで、あっという間に点を重ねていった。あまりに強かったので、優乃は途中まで相手のチームが五人いることに違和感を覚えなかった。
 プレーする三人は、とても楽しそうだった。
(バスケ、好きなんだよね)
 胸が熱くなった。
 優乃は時間も忘れて、彼らのプレーを見続けた。

 三人に翻弄され続けた五人は、最終的にへとへとになってコートに倒れ込んだ。
 瞬殺だった。ピンチに颯爽と現れたヒーローのような三人は、それぞれ首を鳴らしたり腕を伸ばしたり、余裕を残した表情でコートを後にする。
「すげぇ……」
 ゲームの行方を呆然と見ていた三人の学生は、感嘆の声を零すほかに無かった。空はすっかり夕日の色に染まっていた。
 優乃はぼうっとフェンスに片手をかけたままでいた。鮮やかなプレーの余韻がフェンスの向こうにいつまでも残る。まだ冬用のスカートを、木の下風が揺らした。
「あの」
 男子の声で、優乃に時間の感覚が戻ってきた。睫毛を瞬かせた彼女を、三人の男子が見ていた。
「よかったら、一緒にやりますか?」
「あ、急にごめんなさい! けど、さっきから楽しそうに見てたから」
 純粋な親切心で言っているのは、目を見ていて伝わった。優乃は眉尻を下げる。黄瀬と黒子、そして火神の楽しそうな表情は、優乃の胸に柔らかな若葉として芽吹いていた。
「……あの、やるのはそんなに上手じゃなくて」
 でも、と優乃は続けた。三人をうかがい見る。
「ちょっとだけ、混ぜてもらってもいいですか?」


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愛しくなる衝動