海常高校を訪れるのは初めてだ。
穏やかな春の日の光の中、優乃は見知らぬ町に一人佇んでいた。
「明日の試合、見にいってもいい?」
黄瀬に尋ねると、すぐに大歓迎のメッセージが返ってきた。
何なら駅まで迎えに行くよ! と言葉が続いていたが、エースの練習の邪魔をよりによって部外者がしてしまうなどあってはならないことだ。
黄瀬の申し出を遠慮して、優乃は現在駅から海常高校を目指して歩いている。今は、坂道の途中だ。白く眩いガードレールが緩やかに湾曲する向こうを、車がぽつぽつと行ったり来たりしている。
坂を少し上ると、交差点が見えてきた。優乃は手元のスマートフォンに表示した地図を見る。
「……あれ?」
マップアプリ上の点は、優乃が思っていたところと別の場所に表示されていた。優乃はアプリの読み込みボタンをもう一度押す。点はぴくりとも動かない。
(……もしかして)
「迷った……?」
優乃はぶんぶんと首を振った。画面の上で指を滑らせる。
駅から途中までは道なりなので間違えることはありえない。おそらく、半分ほど行ったところにある三叉路の辺りで、曲がる道を誤ったのだ。
優乃はすぐに新しく海常高校への経路を探した。彼女は少し焦っていた。もし途中で変に間違えてしまっていたら、試合をろくに見られずじまいかもしれない。
画面に表示された道筋に従って、次の交差点まで歩く。ここで横断歩道を渡ってコンビニのある角を曲がれとスマートフォンは言っていた。
信号は赤だ。顔を上げた優乃は、白黒のストライプの向こうの道を、覚えのある後ろ姿が歩いていくのに気がついた。
滅多に見かけないくらいの高身長に、片手に持った奇妙なカエルの玩具を見て確信する。
(緑間くん!)
歩くポーズの人型に、ぱっと緑が灯った。軽快な音が流れ始める。
優乃は一瞬ためらった後、その背中を追いかけた。
「緑間くん!」
緑間はやや驚いた様子で振り返った。掲げられた左手の上に、円らな瞳のカエルが鎮座している。
「海常の試合、見に行くんだね」
優乃は緑間に追いついた。緑間は眼鏡のフレームを押し上げる。
「……そうだ」
彼はふうと息を整える優乃をちらりと見た。
緑間が何やら呟いたように見えて、優乃は首を傾げた。緑間は何も言わずに踵を返す。
「試合に遅れるのだよ」
「あ、うん。そうだね!」
優乃は手の中のスマートフォンに目を落とす。既に開始に間に合うか危うい時間だ。
スポーツに力を入れている海常高校は、その敷地も広大だった。校舎脇の広い通行路を、サッカー部と思われる生徒たちがジャージ姿で走っていく。
他校の生徒が来校することも頻繁にあるらしく、別の学校の制服を着た緑間と優乃は校門を素通りして体育館を目指していた。
「広すぎてわからんのだよ」
「黄瀬くんから奥の方のグラウンドの近くって聞いたんだけど、どのグラウンドだろう……」
海常の広さは想像以上だった。
(人に聞くのが早いかも……)
優乃は辺りを見回す。近くを通り過ぎる生徒たちは部活前なのか、慌ただしくしていて声を掛けづらい。
少し行ったところに校舎の入り口がある。玄関口であれば、話を聞けそうな人が一人はいるだろう。優乃は小走りでそちらに向かいながら、緑間を振り返った。
「ちょっと聞いてくるね!」
思った通り、広くて綺麗なエントランスには談笑している生徒の姿があった。一番近くにいたグループに話しかける。
「あの、すみません」
友人と話していた男子生徒は、優乃を振り返って驚いた顔をした。
(校舎にまで入ってくる他校生は珍しいのかな……)
不思議に思いながら、優乃は続ける。
「バスケ部の使ってる体育館って、ここからどう行けばいいですか?」
「あーそれならこの前の道真っ直ぐ奥の方まで行って、左のグラウンドの横だよ」
優乃の問いに答えたのは、最初に話しかけた男子生徒の友人の一人だった。優乃はほっとした。校門に入ってすぐに左側の道を来てしまったが、当たっていたようだ。
ありがとうございます、と頭を下げかけた優乃へ、男子生徒たちは何故か距離を詰めた。
「バスケ部見に来たの? てか秀徳じゃん!」
「うっわレベルたけー……!」
「おれ秀徳の子と仲良くなりたかったんだよ」
優乃は眉尻を下げた。
「えーと」
一歩後退った優乃を、静かで低い声が呼んだ。男子生徒たちがなんだとそちらの方を見て一瞬黙る。
優乃は慌てて男子生徒たちに礼を言って頭を下げ、その場を後にした。
「この通りを真っ直ぐみたい」
隣に並んだ優乃を、緑間はじっと見た。下睫毛の長い綺麗な緑の瞳の中に、優乃の姿が映る。
優乃は目をぱちりと瞬いた。
「緑間くん?」
首を傾げた優乃の白い首筋に、さらりと黒髪が流れる。澄んだ黒曜の双眸は、彼を真っ直ぐに見上げている。
緑間はふいと視線を逸らして歩き始めた。
(どうしたんだろう)
「あ、グラウンドは左の方であってたよ!」
優乃は小走りでその隣に並んだ。
愛しくなる衝動