楕円形のホールの中は、既に声援とボールの音とに溢れていた。
笠松に小突かれたところをさすりながら、黄瀬は通路を抜けて観戦席へと出る。
コートを照らす目が痛くなるほどの照明に瞳を細める。スコアボードを見て、彼は思わず声を零した。
「……え?」
黄瀬の少し後ろで、笠松が眉を潜めた。
誠凛対正邦の試合が行われているコートの傍らにある得点板には、0対12と白く文字が浮かび上がっていた。
「12対0!? えええ!?」
「オイオイマジかよ」
コートの中では、火神が丁度ボールを受け取ったところだった。
そのマークについた坊主頭に、黄瀬は見覚えがあった。攻め込もうとした火神へ凄まじい圧力をかけている。中学時代に一度止められた相手だ。おかげであの試合の後は散々だった。
「何やってんスかもー」
彼の並外れてしつこいディフェンスに盛り上げる観客たちを見渡す。視界の端に一瞬、橙色と真剣な横顔とが映り込んだ。
黄瀬は慌ててその一点へ目を戻した。
黄瀬の思いつく黒色の中で最も澄んでいる瞳は、一般の観客とは少し違った表情でコートを見つめていた。時折抱えたバインダーの上を滑るように動く華奢な手が、存外温かいことを黄瀬は知っている。
姿をしっかりととらえた瞬間に、黄瀬の足は自然とそちらへと向いていた。
「優乃っち」
ペンを動かす手が止まる。今度は一度で気づいてもらえたようだ。
こちらを振り向いた彼女の瞳に、胸の奥が高鳴った。
「黄瀬くん」
驚いた優乃が名前を呼ぶと、黄瀬はにっこりと笑った。
「久しぶり」
「久しぶりだね。……あっ、こんにちは」
黄瀬の後ろで不思議そうにこちらを見る人物が見えて、優乃は頭を下げた。
「あ、ああ、こんにちは。……黄瀬の知り合いか?」
「同じ中学で、マネージャーしてくれてた子っス」
「はじめまして、水谷優乃です。海常のキャプテンの、笠松さんですよね」
優乃が問うと笠松は目を丸くした。何で知っているんだと顔に大きく書いてある。実直な人柄がうかがえた。
優乃は頬を緩めた。
「チームに笠松さんのことを話してくれた人がいて。それに月バスに載ってるのを見ました」
「あー、そうだったのか」
笠松は納得したように頷いた。
「優乃っち、隣いいスか?」
「うん、どうぞ」
黄瀬は再びにこっと笑って礼を言い、優乃の隣へ座る。ふわっと空間がシトラスの香りに色づいた。
その黄瀬のさらに隣に、笠松が座るのが見えた。
(黄瀬くん、先輩と仲良いんだな)
試合は先ほどから変わらず、正邦が優勢で進んでいた。誠凛は攻めが通じずに未だ点が取れていない。一見空いているように見えるコースも、古武術独特の動き方ですぐに塞がれる。厳しいディフェンスで誠凛全体がいきり立つ中、特に10番の火神大我がぐらぐら沸き立つマグマのように苛立っているのが目に見えた。
「んー、この前やって思ったけど、誠凛は基本スロースターターっぽいな」
少しの間試合の展開を静かに見ていた笠松が口を開いた。
「けどそこでいつもしょっぱなアクセル踏み込むのが火神なんだが……そいつがまだこねぇからなおさら波に乗れてねー」
そのすぐ後に、相手選手に挑発されたのか火神が無理に突っ込んだ。
ホイッスルの音は冷徹に響いた。ファウルだ。
「これでもう2個目だよ」
「は?! もうそんなに?!」
「大丈夫か誠凛……」
誠凛は今、間違いなく厳しい状況にいる。
火神が止められている上にコースが防がれているため、黒子の真骨頂であるパスが上手く機能しないのだ。火神の並外れた身体能力とセンスによる攻撃も誠凛の一つの要ではあるが、やはり黒子も試合において大きな役割を担っている。誠凛が決勝に駒を進めてきた場合、想定していた通り黒子の攻略は勝利の必須条件だ。
優乃は、ちらりと隣のコートに目を遣った。
丁度高尾から緑間へパスが通ったところだった。彼が撃ったボールは大きく弧を描いて、吸い込まれるようにゴールネットをつきぬける。
今日は一位だと言っていた。
優乃は己のすべきことへ気持ちを戻した。独特で掴みにくい正邦の選手の動きを、脳内の古武術の知識と今までに幾千と見てきた人体の動き方とを合わせて、一つ一つ読み解いていく。その上で、スカウティングした過去の彼らと照らし合わせて、今日のコンディションを書き留める。
このくらいならば、中学三年間の経験を駆使すれば間違えることなく行える。
脳裏をふと過ぎったのは、風に揺れる桃色の髪だった。
自分に彼女までの能力はない。脳内で呟いた自分の影に向かって、小さく首を振る。
能力は無いかもしれない。それでも少しは、秀徳の力になりたい。一回り大きな拳と合わせた感触の残る右手を一度開いて、また閉じる。
愛しくなる衝動