23:きみと共に生きていくということ



 インターハイ予選で敗退してしまった秀徳に、試合後の戦士の休息など存在しなかった。
 普段と同じ時間に起きて、優乃は殆ど準備万端だった。昨日寝る前に洗濯しておいたジャージを鞄へ入れたら完成だ。毎日繰り返すようセットしている出発十分前のアラームが鳴り始めたので、スマートフォンの画面を指でなぞる。途端に画面は通知で埋め尽くされた。
 優乃はその場で固まった。心臓が急に存在を主張し始める。震える指で画面を下へとスライドさせる。
 着信が九件、メッセージが十七件来ている。
 当たり前だ。優乃は山田に出てくると言ったきり、控え室に戻っていない。
 気付くと、優乃はその場で正座していた。まずは着信履歴のページを開く。
「ごめんなさい……!!」
 優乃は思わず声に出して謝った。
 “高尾和成”の名前が、ずらりと並んでいた。画面を下にスライドさせると、山田と大坪、そして木村からも一本ずつ入っている。優乃は申し訳なさにがたがた震えた。メッセージアプリを開く。
 一件以外は、全てバスケ部の面々からだった。
 一件は母からだった。昨日黄瀬をしっかり見送った後に、ご飯要る要らないの連絡くらい返しなさいと、持っていた回覧板で頭を叩かれた。
 優乃は新着の数字が付いているアイコンを一つ一つ確認する。上から二番目の黄瀬のアイコンの横に2の数字が並んでいる。山田のアイコンの横に1、宮地のアイコンの横に1、それ以外は全て高尾からだった。
「ごめん……本当にごめん……」
 謝罪の言葉が口を突いて出る。本人が目の前に居るわけではないが、謝らずにはいられなかった。
 スマートフォンを左手に持ち替えて、右手の甲を見つめる。高尾と合わせた拳を思い出す。それから、公園で黄瀬が真っ直ぐな目で紡いだ言葉を思い出した。
 恐らく彼は、自分が優乃にとってどれだけ嬉しい言葉を贈ったのか、わかっていないだろう。
(チームメイト)
 いつからだろう。帝光でマネージャーをし始めて、気がつくと追いかけ続けていた言葉をなぞる。
 眩しくて見ることが精一杯だった言葉を、こうして手に取ってみるのは初めてかもしれない。
(……そもそも、チームメイトって、どういう存在なんだろう)
 勝利を手中にするために必要で、代替が存在しないもの、というのが長らく優乃にとっての認識だった。
 優乃は帝光の制服を着ていた頃、一度たりとも一軍としてチームの勝利に貢献したことはなかった。「大事なチームメイトだったっスよ」黄瀬の声が頭の中に蘇る。
(同じ帝光っていうチームにいた。けど、私にとってのチームメイトと黄瀬くんにとってのチームメイト、違うみたい)
 ベッドの脇のスポーツバッグを見る。中央の秀徳の文字が目に留まる。
 優乃にとってかけがえのない人々は、チームメイトをどう表すだろう。何を以ってチームの一員となるのだろう。

 突如震え出したのは手の中のスマートフォンだった。優乃はその場でとびあがった。
 家を出る時間を知らせるアラームだった。
 秀徳は、王者だ。優乃はぐっと拳を作った。
(……覚悟、しとかないと)
 優乃は階段を、家族を起こさないようにそっと降りる。
 とりあえず、届いているメッセージは全て読むべきだ。ロック状態になってしまった画面に指を滑らせながらローファーを履く。メッセージ画面を改めて開きながら、玄関のドアをそっと開けた。
 まず最も多くメッセージをくれていた高尾のアイコンを選択して、一度玄関の鍵を掛ける。鍵をしまいながら画面に目を落として、優乃は固まった。
<マジで心配なんだけど、家着いてんの? とにかく、明日の朝覚悟しとけよ>
 その直後だった。
「で、覚悟できたわけ?」
 ぞくりと背筋から全身にかけて電流のようなものが駆け巡った。
 いつもより数段低いと錯覚する、妙に艶のある声だった。怒っているのだとわかったのは、振り向いた優乃を見る高尾の目を見た後だった。大きな手が伸びる。訳も分からないうちに、とんと肩を押される。玄関に軽く背中がぶつかった。
 額に短く痛みが走った。高尾の指が弾いたのだ。小さく声を上げて、優乃は片手で額を覆った。
「これくらいはさせてもらわないと、気が済まない」
 いつもの親しみやすい朗らかな様子は一切鳴りを潜めていた。高尾の口は一文字に結ばれている。
「……オレが、どんだけ心配したか、わかる?」
 一言ずつ区切って、ゆっくりと低い声が言った。鷹のように鋭い視線は、優乃を突き刺した。
 優乃は、とっさに謝ろうと口を開いた。
 違う、と心が言った。首を振って口を閉じる。高尾は怒っている。そしてそれは、優乃を本気で心配していたことが何より明瞭な形となっているものなのだ。
 灰色の瞳を真っ直ぐに見つめて、優乃は言い直した。
「心配してくれて、ありがとう。本当にごめんなさい」
 吊り目の表情は変わらなかった。「許さない」とだけ高尾は言った。優乃は目を伏せる。
「ごめんなさい……。どうしたら、許してくれる?」
「……んじゃーちょっと、後ろ向いて」
 優乃は言われた通り、玄関扉の方を向いた。少しの間、空気すら身じろぎしない時間が続いた。
 とん、と左肩に重みを感じて、優乃はびくりと体を揺らした。優乃の首筋を髪がくすぐる。
「すげー心配した」
 優乃の肩に額を当てたまま、高尾は言った。呼吸が肩を通して伝わってくる。
「それにさあ……ちょっと、慰めてほしかったんだぜー?」
 続いたのは、とても小さな声だった。
 負けて何も感じない人間などいない。高尾は普段、周囲に気を配るタイプだ。しかしそれは何も、彼自身の心が全てを受容しているというわけではないのだ。それはこの二ヶ月近くを共に過ごしてきて、わかっていた。
 優乃はふと、昨夜のことを思い出した。真っ直ぐに言葉を紡いでくれた彼を思い出す。
 スマートフォンをスカートのポケットへ滑り込ませた。
「高尾くん」
「……なに?」
「振り返らないから、手を貸してほしいんだ」
 後ろに向けて、バトンを受け取るような形で開いた優乃の手のひらに、そっと男らしく角ばった手が乗せられた。優乃はその手を、ゆっくりと、大切に握った。
「ありがとう。それから……お疲れさまでした」
 優乃の手の中で、高尾の手が小さく動いた。直後、するりと抜けて、今度はその手が優乃の手をすっぽりと覆った。
「それ言うなら、オレもだって」
 ぎゅっと力を込められる。
「お疲れ、優乃」
 少し掠れた声だった。


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愛しくなる衝動