25:君を待つプラットホーム



 夜の帳に覆われた道を、三人分の足音が行く。
「そういえば今度、うちがいつもお世話になってるお店でセールやるみたい」
「おっマジで?」
「対象品はシューズやボールとか高めのもので、限定品もあったよ」
「それは助かるな」
「だよなー。バスケ関連のものってたいてい高いし」
「良いものは高いと相場が決まっている」
「うーんそれちょっとなんか違う気がすんなあ真ちゃん」
「仕方ないけど、高いよね」
 足にいくつも錘をつけているような疲労感を抱えているものの、三人の声はまだはっきりとしていた。あーなんか腹減ったなーと両手を頭の後ろで組む高尾を見て、優乃は頼もしさに微笑む。
 夜道を三人で帰るのは、恒例の光景となりつつあった。二人はどうやら、優乃が夜遅くに一人で帰ることにならないよう、気遣ってくれている。帝光の頃と違って一緒に帰るマネージャー仲間もいないので、優乃は彼らにとても感謝していた。
「そいえばもうすぐだな」
 今日の晩御飯予想をしていた高尾が、ふと思い出したように呟いた。
「もうすぐ、って……あ」
 高尾はややげんなりした顔で優乃に頷いてみせた。
「そうそう。テスト期間なー……居残りできねーんだよなー」
「勉強は大事だ。良い部活の証なのだよ」
 緑間が眼鏡の橋を押し上げた。「それに体育館でなくとも練習はできる」と続けた彼は、高尾の「でも体育館の方がいいじゃん」という言葉に押し黙った。
 秀徳は、文武両道が学校の理念の一つだ。それを尊重する部活が殆どで、部活動に打ち込んでいても優秀な生徒は多い。緑間や高尾、そして優乃も例外ではなかった。
 彼ら三人は、勉強に困っていなかった。
 優乃は、そろそろと手を挙げた。
「あの……その貴重な練習後の時間、今度一日だけ貰えないかな……」
 これは、他の二人にとって驚くべき発言だった。
「え?! 優乃なんかヤバいの?!」
「お前は苦手科目は特に無いだろう?」
 目を丸くする高尾と怪訝な顔で言う緑間から、優乃は目を逸らした。
「私じゃないんだけど……監督に頼まれたの。その……山田くん」
 最後に現れた人物に、二人は合点がいったようだった。
「あーいーつーかー……」
 高尾は苦笑いだった。教科書を借りに行ったとき、「さっきそれだったけど、おれは無い」とあっけらかんと言い放った山田の姿が浮かぶ。緑間も思うところはあるらしく、険しい表情で額に指先を押し当てている。
「この前から少しずつ見てるんだけど、私だけだと間に合いそうになくて」
 言いながら、優乃は昨日までの昼休みや居残り練習の後の様子を思い返した。
 山田は集中が続く間は、優乃や目の前の課題に真摯だ。しかし一度糸が切れてしまうと、彼はたちまち手のかかる生徒に早変わりした。どこからともなくバスケの雑誌を出してきて読み始めたり、目の前で夢の世界に旅立っていったり、勉強している内容に全く関係ない話を突然し始めたり、目も当てられなかった。
 山田もチームの一員だ。せめて彼が赤点を取らないようにと、優乃は試行錯誤を繰り返したが、彼女自身も部活の仕事に自分の勉強も抱えている。どれも一切手を抜いていない。自由気ままな問題児を一人で相手取り続けて、体力はあっという間に消えてなくなっていった。
 申し訳なさそうに二人を見る優乃に、高尾の口角は珍しく下がっていた。
「優乃さ、いつもオレらと帰ってんじゃん」
「うん」
「山田の勉強、いつ見てんの?」
 緑間は彼も気がついた。綺麗な目が丸くなって優乃の方を見た。
 優乃はえーと、と二人から視線を落とした。口ごもる。これほど気まずそうにする優乃を、二人は初めて見た。
「オフの日とか、昼休みとか」
「……そんで?」
 三人は、誰からともなく歩みを止めていた。
 ややあって、優乃は重たい口を開いた。
「……二人と帰った後に、山田くんの家の方のファミレスとかで」
 高尾と緑間の深いため息が見事に揃った。優乃は叱られた子猫のように首を竦めた。
 高尾は、じとっとした目で優乃を見た。
「優乃あのさー……」
「ごめんなさい! 二人の親切を台無しにしてるの、わかってたんだけど」
 優乃は、二人が女子一人で夜遅くに暗い道を行くのは良くないと考えていて、その恩恵に自分が預かっていることを知っている。二人の気持ちを尊重するのであれば、正直に事情を話して同じ方向へ帰る部員に一緒に行ってもらうのが正解だ。
 優乃には、それができなかった。
 二人は駅まで送ろうと申し出るのではないか。それどころか手伝いまでしようとしてくれるかもしれない。そう思ったのだ。彼らには彼らの勉強も生活リズムもあって、それは多からずバスケにも影響するだろう。あくまでそれを崩すのではなく支える立場にありたかった。
 そしてもう一つ、彼女にとってとても個人的で、大きな理由がある。
「その……た、楽しくて」
 街灯の下、二人はそう言う優乃の頬が、徐々にうっすら色付いていくのに気がついた。
(……山田との勉強が?)
 ふと脳裏を過ぎった考えに、高尾は何故か嫌な虫を見つけてしまったときのような気持ちになったが、それはこちらを見た優乃の眼差しを前に吹き飛んだ。
「二人と一緒に帰るのやめたくないなって思っちゃって!」
 眼鏡の奥で緑間の瞳が少し揺れた。高尾はぽかんと口を開く。
 夜光灯に照らされた、優乃の長い睫毛が震える。彼女の漆を塗ったような美しい双眸が、二人にはきらきら光って見えた。
 優乃は二人が、じっと彼女を見つめているのに気がついた。ほんのり染まっていた頬は一瞬にして真っ赤になり、彼女はぱっと俯いた。口元に手の甲を当てて押し黙る。
「えーと」
 そう口火を切った高尾は、己の頬がいやに熱いのに気がついた。そのまま珍しく言葉に詰まった高尾の隣で、緑間が睫毛を伏せた。
「今日もやるのか」
「え?」
「……今日も山田の勉強を見るのかと聞いているのだよ」
 緑間は少し早口だった。優乃は顔を上げた。モスグリーンの真摯な双眸は真っ直ぐに彼女を見ていた。
「うん」
 優乃は自然と、素直に頷いていた。
「……っし、じゃあ行きますか。な、真ちゃん」
「オレは行くとは一言も言ってない」
「出たよツンデレ!」
 歩き出した二人の背中を慌てて追いかけて、今日は良いよと引き止めようとした優乃を高尾が振り返った。
「ちなみに止めても行くからな、オレも真ちゃんも」
「だからオレは別に」
「あーはいはい」
 秀徳の制服を纏った背中は、そのままぐんぐん進んでいく。
 疲れているはずなのだ。
 申し訳なさが募る。しかし同時に、彼女は同じくらい大きな喜びが胸に迫るのを抑えられなかった。
 謝るのは簡単で、そしてきっと自己満足だ。
(私はその分マネージャーとして、二人にもっと貢献しよう)
 そのためならばどんな努力も惜しまずできる。胸に宿った思いは、とても自然なものだった。
「ありがとう!」
 優乃は二人の隣に並んだ。


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愛しくなる衝動