27:ここはきっと宇宙



 話し声の間を、シャーペンの走る音が縫う。
 伸びをして、優乃はノートから目を上げた。窓の外は、星が瞬く夜空だった。開け放たれた窓から入り込む風はやや生温かい。真夏の近づく匂いだ。
 許可を取って借りている教室では、練習後の部員たちが思い思いに座って問題やノートと睨み合いをしていた。数人で集まっている者たちもいれば、一人イヤホンをして黙々と取り組んでいる者もいる。山田は意外にも一人静かに机へ向かっていた。あくまで己の力で勝ちたいらしい。
 ファミレスで持ち上がった計画は、部の一年全体に広がった。山田のように競い合う相手がいた方がやる気が出るという者は、バスケ部には多かった。何をすればいいのかわからないという部員には成績上位者や先輩が選んだ問題集を勧めた上で、希望者が競争に加わっている。企画を話したとき、「今年の一年は面白いことしてるな」と大坪は目に面白げな色を乗せた。
「優乃ー」
 部員の一人が優乃を呼んだ。集団で問題に取り組んでいる部員が彼女を手招きしている。
「わかんねー、おせーてー」
「はーい、今行くね」
 企画の立案者である優乃は総監督だ。競争には参加していないが、テスト期間に入ってからはここにいる。
 ここ書いて! と差し出されたノートにシャーペンを走らせる。図を描いて、解説を口に出しながら添える。重要な部分を蛍光ペンでキュッと囲むと、周囲からおおーと低音の歓声が上がった。
「すげえ、めっちゃキレー。ありがとな」
「超わかりやすかったわ!」
「頑張って勉強した甲斐があったよ」
 嬉しそうに笑った優乃に対して、部員たちの心は一つだった。
(そして可愛い!)
 優乃は屈んでいた姿勢を戻した。制服の肩で黒髪がさらっと音を立てる。
 蛍光ペンのキャップを閉めた優乃の頬に、ぴたりと当てられたものがあった。
 優乃は驚いて首を竦めた。その後ろで明快な笑い声が上がる。
「はーい先輩たちから差し入れ―」
 アイスティーの缶を軽く振って見せながら、高尾はにっと笑った。
「高尾くん! おかえり」
「ただいま。残り教壇に置いといたぜー」
「おー!! 先輩たちありがとー!!」
「高尾もありがとな! 流石リアカー持ちは違うわ」
「アレはオレのじゃねーからな!!」
 椅子を引く音があちらこちらから聞こえた。差し入れの魅力は絶大で、部員が周りに蟻のようにわらわらと集まった。
 優乃はよく冷えたアイスティーを受け取って、プルタブを引っ張った。
 日によって、高尾は教室の勉強会にいたりいなかったりした。家のベッドに転がりながらノートを開く方が集中できる日も多いという。緑間は自宅以外で勉強する気は全くないそうで、一度もこの教室を訪れたことは無かった。
「進んでる?」
「みんな手応えは感じてるみたい」
 缶から唇を離した優乃に、高尾は違う違うと首を振った。
「優乃のこと」
「私?」
 きょとんと瞬きした後、優乃はうーん、と首を捻った。
「高尾くん、物理の解答集持ってない?」
「あー今日は無いわ。家?」
 優乃は頷いた。
「範囲のところ問題解いてたんだけど、答え合わせできなくて」
「他の奴持ってねーの?」
「みんな無いって」
「マジか」
 苦笑した後、高尾は一人頷いて踵を返した。
 彼が向かったのは優乃の筆箱が載った机だった。骨ばった大きな手のひらが伸びる。
「高尾くん?」
 歩み寄った優乃に、高尾は筆箱を差し出した。唐突で、自分のものだというのに知らない物体に見えた。
 高尾は優乃の手を取った。その手にぽんと筆箱が乗せられる。
「ほらしまってしまって」
 優乃が何か言う前に、高尾は教卓の辺りで駄弁り始めていた部員たちへぽんと放り込むように言った。
「今日優乃帰るから、あとよろしくなー」
「えっマジでか!」
 行かないでくれーと縋る声を無視して高尾はてきぱきと机の上を片付け始める。あっという間に朝と変わらぬ姿になった鞄が優乃の前へ差し出された。
「優乃が好きでやってんのは知ってるけどさ」
 一度、言葉を探すように口を閉じる。うーん、と首を傾げて、結局欲しい言葉を掴み取ることはできなかったようだ。
「高尾くん?」
「んー、まあとにかく、今日はオレと帰るってことで。な」

 高尾と連れ立って真っ暗の廊下に出る。当たり前だけどすげー暗いな、と高尾が笑った。二人を見送る教室の明かりが、とても特別なもののように眩い。
 後ろ髪を引かれる思いで教室を後にする優乃の肩を、とんとんと手が叩いた。
 優乃を覗き込むように頭を傾げた高尾は、どこか不敵ないつもの眼差しはそのままに口角を吊り上げる。
「今一緒に帰ってるの、誰?」
 優乃はおずおずと答えた。
「高尾くんです」
「オレもそうだと思った。つーわけでさ」
 高尾が優乃の手を引いたのは一瞬だったのに、その手はとても温かく感じた。
「帰ろうぜ、ちゃんと一緒に」


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愛しくなる衝動