帰ってきてからちょっと違うなあ、と山田は二人を見ていた。
「これ……セミの抜け殻?」
「お前の今日のラッキーアイテムだ。練習中も持っておけ」
「え?! でも割れちゃうよ」
「構わん。持っておくに越したことはないだろう。何故ならお前の星座は今日下から二番目なのだから」
「そうなの?」
「そうなのじゃないのだよ! お前はこれがどれだけ深刻なことかわかっていない」
「そんなに? 私秀徳に来るまで、おは朝見てもなかったよ」
「危機感のない奴め……。いいか、もしこれが壊れたとしてもあと三つある」
「そんなに持ってきてくれたの?」
山田の手の間から、ぱっとボールが消えた。手のひらがじわりと熱い。無意識に回していたようだ。
鮮やかに奪取されたボールは、高尾の手に収まっていた。彼の手も恐らく無意識にボールで遊び始める。
「縮んだよな、距離」
山田が首を傾げてダッシュの? と言う前に「ダッシュの? とか言うなよ」と半眼になった高尾が釘を刺した。
「同中二人のだよ」
「ああ」
山田はなるほどと頷いた。ちょっと違うなと感じたのは、二人の距離感のことだったのだ。
山田の思ったことは全てお見通しのようで、高尾はじとっとした眼のまま山田を見ていた。
「なんていうか……自然?」
「そー、それ」
「前は信じられなかったけど、今同中で同じ部活って言われたらすんなりそうなんだってなると思う」
「お前、ときどきハッとするようなこと言うよな」
指の先でくるくる回転させていたボールを、その勢いのまま高尾は山田に投げて寄越した。山田が受けとめて顔を上げたときには、既に高尾の背中は遠くなっていた。
「真ちゃんそのセミの抜け殻どこで調達したの?」
「フン、保存にぬかりはないのだよ」
「保存してたものなの?!」
「そうだ。おは朝ではわりに指定されるラッキーアイテムだからな」
「ブハッ!!」
「そうなの?! 私ますますもらえないよ!」
「遠慮をするなと言っているのだよ。まだあるのだから」
「ヒー! まだ在庫あんのかよ」
傍から見ていても腹が捩れてしまうのではと思うほど、高尾がますます大笑いし始める。体を休めるのも大事な練習だぞお前ら、ととうとう木村から声がかかる。口調は違えど三人が揃って返事をするのが愉快だった。
愉快だったので、練習後、山田は一人ゴールへ向かう緑間に声を掛けた。
「水谷っていうの、やめたら?」
「は?」
訝しげに山田を振り返った緑間の後ろで、ボールがゴールリングを通り抜け直に触れたネットを大きく揺らした。おお、と素直に声を上げた後、山田は繰り返す。
「やめたら? “水谷”っていうの」
「……何故」
「変だから」
「は?」と再び緑間は眉間にしわを寄せた。緑間くんが不機嫌だと迫力が凄いんだよ、と頭の中で優乃が笑う。確か、合宿前の買い出しのときだった。黒子がそれは間違いないですねと肯定していたのを思い出す。
山田は丁度ボールを持って通りかかった優乃を呼び止めた。きょとんとした顔で歩み寄る優乃を短く見て、余計なことをするなと緑間は牙を剥く狼のような目で山田を睨んだ。
「緑間が優乃のこと水谷って呼ぶの、おれはすごく変だと思う」
「へ?」
突然話をぶつけられて、優乃は目を瞬くことしかできない。それ以上何も言わずに優乃の言葉を待つ山田に、緑間は今まで最長と思われる深いため息を吐いた。
「こいつはオレに、お前を苗字で呼ぶのをやめろと言ってきたのだよ」
「水谷っていうのは、もう変だと思う。優乃の方がしっくりくる」
緑間はもう一度ため息を吐いた。優乃を見る。眉がしかめられ、眼鏡の奥でその瞳は不機嫌ですと語っていた。
「お前はどう思う」
びっくりしてまじまじと緑間を見る優乃を、彼は黙って見据えていた。
山田も、少なからず驚いていた。優乃に選択を委ねるような言い方だった。
(やっぱ優乃って呼んだ方がいい)
確信はますます強まる。あとは、優乃の返答次第だった。
少し考えるように目を伏せてから、優乃は口を開いた。
「緑間くんの呼びやすいように呼んでくれたら良いけど……」
照れくさそうに、柔らかな二つの瞳は緑間を見上げていた。
「私は……名前で呼んでくれたら嬉しいよ」
緑間の瞳から狼の険しさが一瞬にして消え去ったのを、山田は目撃した。長い下睫毛の双眸は、ぱっと二人共から逸らされた。
「呼び方で何が変わるわけでもない」
小さな声で付け足された言葉は、二人の耳にしっかり届いていた。
「……好きに呼ばせてもらうのだよ」
愛しくなる衝動