「えいっ」
横から伸びてきた指が、緑間からボタンをかっさらった。
緑間はその指を辿って振り返る。前に見たときより少し大人びた笑みを浮かべて、桃色の目が彼を見上げていた。
「コレでしょ?」
ひさしぶりミドリンと手を挙げる桃井の後ろで黄瀬がくあ、と欠伸を零す。
空を裂くホイッスルの音が激戦に幕を引く頃には、外の雨は止んでいた。雨の後の少し冷たい空気が、試合でひりつくほど火照った肌に心地よい。
気持ちはわかるけど、体を冷やすのはだめだよ。
ふっと耳の奥へ、水面へ広がる波紋のように声が響いた。その声の持ち主が、どんな表情で言うのかまでありありと目に浮かんでくる。おしるこを拾い上げるべく屈み、少し伏せられた目元が僅かに和らいだのは、桃井にも黄瀬にも見えていなかった。
「まぁ悪くない試合、だったんじゃないスか?」
白も黒もつかない釈然とせぬ引き分けだったが、勝負の燃え盛る炎が落ち着いた後、緑間の心は夜の焚火のように静かだった。今までに味わったことのない、悪くない後味だ。
次の試合の話題が上がり、彼らの話の中心は誠凛へ移っていった。全員が同じくらいの強さで注目しているチームなのだから当然だろう。緑間が口に出した花宮真の名前を聞いて、黄瀬も桃井も険しい顔で押し黙る。
「この決勝リーグ、奴は明らかに次の誠凛戦に照準を合わせてきている。勝つために必ず何かしてくるはずなのだよ」
人柄はまず目に表われるというが、全く以てその通りとよくわかる。思い出すだけで肺に煙が充満するような、誠実さの欠片もない眼差しなのだ。
目的のリアカーが見えてきた。「もうオレは行く」じゃあな、と言い掛けた緑間は、荷台の前にこちらへ背を向けてしゃがんでいる後ろ姿を見つけた。
「あれ?!」
「あ……」
緑間を追いかけてきた二人も気が付いたようだった。
「えっちょ、待ってあれ優乃っちじゃないスか? ていうか何でしゃがんで……もしかしてどっか具合が」
黄瀬が言い終わらない内に、緑間が猛然と小さな背中の方へ歩み出した。
「優乃」
黄瀬は目を見開いた。思わず口から声が転がり出る。
「え……?」
聞き間違いではない。確かに名前を呼んでいた。
「具合が悪いのか。というかそもそも何故ここに……」
「あ、緑間くん」
振り返った優乃はきょとんとして元気そうで、その腕に犬を抱いていた。
「……って犬?!」
黄瀬の声に気がついた優乃と、桃井の目とが合った。
もし次に会えたら、なんて言おう。
ごめんは論外だ。桃井も優乃も、お互いに何も悪いことはしていない。
元気だった? とスマートに言えたらいいけれど、自信は爪の先ほどもなかった。
「寂しかった」
桃井の本心だ。しかし言えるわけがなかった。彼女にとって唯一無二の大好きな親友を責め立てたいわけではないのだ。
久しぶりと笑うのが、きっと一番丸く収まるだろう。この一言からまた始めればいい。誰よりも濃い時間を笑ったり泣いたり、怒ったりしながら共に過ごしてきたのだ。すぐに元に戻れる。
彼女が纏ったオレンジ色のジャージは、あまりに眩しかった。眩しくて目が眩んで、どんどん熱くなった。
桃井は気づくと走り出していた。びっくりしている緑間を押し退けて、抱えている犬ごと優乃に抱きつく。ぼろぼろ零れる涙は止まらなかった。
「寂しかった……!」
橙のジャージをぎゅうと握り締める。
「さみしかった!!」
心の内を全てさらけだして、桃井は優乃に抱きついたままわんわん泣いた。
愛しくなる衝動