「ねえねえさつきちゃん! 青峰くんと幼馴染なんでしょ? いいなー!」
「え?」
まただ。
「彼女とかいるのかな?」
「ねー! この前の全中でも大活躍だったし……カッコいいよね?」
「え……そ……そうかな?」
愛想笑いを浮かべながら、桃井は二人の手元を見た。せっかく綺麗に洗濯したタオルが落ちそうだ。きゃあきゃあはしゃぐ二人は、それに気づきもしない。
(二人は何のためにここにいるんだろ?)
口には出さない。面倒なことになったら、それこそ幼馴染にも部にも迷惑をかける。彼女たちは友達だし、説教をしたいわけでもなかった。桃井は代わりにタオルの山について言おうと口を開くが、少し遅かった。山が崩れていく。
だめ、倒れちゃう! 両手が塞がっている桃井の傍らを、誰かが走り抜けた。
「あっ」
「おっと」
タオルを支えたのは二つの手だった。
「ごめん。叩いてしまわなかった?」
一つは赤司征十郎のものだった。手のひらがそっと離れていく。
その下に隠れていた小さな手は、タオルのバランスを優しく整えて離された。
「私もごめんなさい。大事な手なのに……」
眉尻を下げる、黒く澄んだ瞳の綺麗な女の子。気になっていたけれど、この四ヶ月ほど、話をするタイミングがあまりなかった同じマネージャーの一人。
「大丈夫だ。……あたたかい手だね」
一年生の水谷優乃を見てふっと表情を緩めた後に、赤司はタオルを落としかけた者へ目を向けた。
「気をつけて。あといつもありがとう。日々チームを支えてくれていることに感謝しているよ」
言われた本人でなくとも胸の震えるような言葉を残して、彼は緑間と共に去っていった。
真っ赤な顔で呆然と立ち尽くしていた女子たちは、魔法が解けたようにはしゃぎだした。
「やっぱ赤司様もいいよねー!?」
「もー結局かっこよければ誰でも……様!?」
「だって一年生でもう副部長だよ!?」
しかもお金持ちらしいし! と息巻く女子の隣で、もう一人が目を輝かせた。
「いいなー! 優乃ちゃん!」
「あ……」
桃井は優乃を見た。詰め寄らんばかりの勢いの女子に首を傾げた後、優乃は桃井の方を見た。
(う、わあ……!)
近くで見ると、ますます吸い込まれそうな透きとおった黒だ。月のある夜みたいに澄み渡った瞳は、柔らかく笑った。
「桃井さん、一軍コーチが探してたから呼びに来たの。タオルは代わりに私が運ぶね」
「あ、ありがとう!」
「ねえ、優乃ちゃんは? 優乃ちゃんは気になってる人とかいないの?!」
「うーん……?」
とくんと、桃井の胸が高鳴った。思い返すと、それは予感だったのかもしれない。
可愛らしく整った、目立つ目鼻立ち。スポーツ万能で、気の置けない幼馴染の存在。フレネミーにはうんざりしていた。ずっと探していた。
「……二人とも、バスケが好きでここにいるんだよね?」
(この子だ)
他の二人のもちろんだよー! だとか、それとこれとは別じゃん! だとか宣う声が、急速に世界から消え去っていく。
優乃の顔を見た。心底困惑した表情だった。見開かれた桃井の目が、色濃い期待に煌めく。
(この子は、この子は本当にバスケのことが大好きなんだ)
優乃の腕に収まっていた犬がぺろっと桃井の頬を舐めた。桃井はぐずぐずと鼻を鳴らしながらごめんね、と笑う。
「ちょっとしょっぱいよね」
それから彼女は、へたりこんでいる優乃を見た。目元の赤くなった桃色の綺麗な目が細められた。
何を言おうとしているのか、優乃にはすぐにわかった。
(だめだ)
「さつき」
(ここでこの子にこんな表情をさせて、私は最低だ)
「さつき、本当にごめんなさい!」
優乃の大声にびっくりして、犬はぴょんと彼女の腕から抜け出した。静観の構えの緑間も、おろおろと二人を見ていた黄瀬も、揃ってびくっと肩を揺らす。
「あのとき、逃げてごめんなさい。本当に、本当にごめんなさい」
目の前に優乃がいて、桃井の目を見て話している。声が聞こえる。それだけで桃井はまた泣きそうだった。
頭を下げる優乃は悲痛な面持ちだった。
知っている。
彼女は何もなしに、桃井やバスケ部から逃げるような人ではない。世界中の誰より知っているつもりだった。
「優乃」
彼女は顔を上げた。初めて会ったときと同じ、月のある夜のように澄み切った黒い瞳だった。
最後に会ったときの、濡れた瞳を思い出す。
「中学のとき、途中から優乃、ときどき辛そうな顔してた。あんまり話さなくなったときも。聞かせて。何があったか。なにかあったのは知ってるの、お願い」
桃井の言葉に続いて、口を開いたのは黄瀬だった。
「優乃っち。オレも、聞きたい。聞いてもいい?」
「……オレには聞く権利がある」
優乃の目が緑間へ向く。緑間は一つ息を吐いて、その場へ座った。何事もきっちりすることを好む緑間には珍しい光景だった。つられるように黄瀬も座る。その隣にしっかりおすわりの体勢をとって、ユニフォームを着た犬がわんと一つ吠えた。
優乃は目蓋を閉じた。蓋をしようとして何度も失敗した思い出の海へ、潜っていく。
「お前は今日から二軍のマネージャーをやってもらう」
一軍コーチの厳格な声を覚えている。優乃は嬉しかった。二軍はチームを支える中堅だ。帝光というチームの為に、自分が優乃として貢献できる場所を与えてもらえたと思った。
その日、優乃は眩い地獄に足を踏み入れた。
愛しくなる衝動