喜びが募ると、唇の端がむずむずするものなのだ。
コーチを前に、優乃が初めて考えた余所事だった。叫び出したくなる気持ちはぎゅっと握った拳の中にしまっておいて、「はい!」と元気よく返事をする。
新米のマネージャーとして全中を経験し、いよいよ本格的にマネージャーとして部へ貢献できるときが来た。
優乃は指定された軍が練習する体育館へ、通い慣れた足で向かう。部の練習は既に始まっている。
開放されている体育館の扉から中へ入った。丁度二軍コーチがこちらを向いたところだった。
「正式に二軍専属になりました。よろしくお願いします!」
「話は聞いてる。これからよろしく頼むよ」
「はい!」
「次の休憩のとき部員たちにも紹介する」
「ありがとうございます!」
「それじゃあ早速だが……」
仕事を任されるのが嬉しい。スキップでもしそうなくらい軽い足取りで倉庫へ向かう優乃は、二軍の二年生とすれ違う。
「よろしくお願いします!」
「おう、よろしく」
「よろしくな」
その後に続いた微かな声は、恐らく本人たちにとっても不本意に、優乃の背中へと追いついた。
「明るくて良い子だけど……今年はどのくらい続くかな」
「そうだなー」
気がついていないわけではなかった。一軍専属のマネージャーには二年生、三年生の先輩がいるが、二軍、三軍にはほとんどいない。何か理由があるのだろう。
構うものか。
二軍は選手層が厚く、人数が多い分大変なこともたくさんあるに違いない。それをサポートできることが、優乃は嬉しくて仕方がないのだ。彼らが笑って、あるいは少し緊張した様子で、しかし胸のどこかにわくわくした気持ちを抱いて試合に臨む姿を一番近くで見られるのが、マネージャーの特権だ。
重たくて固い倉庫の鉄の扉を、優乃は渾身の力で引いた。ゆっくりと開いていく。
百戦百勝が絶対理念の帝光では、二軍の試合にも一軍が数名同行するのが伝統だ。
「かといって、オレらがいねーと勝てねーんじゃ困るよなあ、いくらカスでも」
ベンチから立ち上がった灰崎の声は、肩で息をしながら帰ってきた選手にもはっきり聞こえる大きさだった。
「……くそっ」
悔しそうに顔をゆがませた彼は、優乃からひったくるようにタオルとドリンクを受け取った。
マッサージをしておきたかったけれど、今は少し時間を置くべきだ。優乃はベンチへ戻った。試合を見ると、早速灰崎が得点を決めたところだった。応援席が沸く。
灰崎の言い方は、チーム競技を行う選手としてすこぶる悪い。
「……が、言ってることは最もだ」
隣に座る虹村の言葉に優乃はどきりとした。虹村はちらっと優乃を見る。わかっていて、怒るか? とあえて問いかけるような視線に、優乃はふるふると首を振った。
わかっているなら良し。虹村の考えていることは口にされずともよく伝わった。再び前を向いた虹村の横で、己の手のひらを見る。
二軍の彼らと一番長く時間を共にするようになって、あと少しで一年が経つ。一人一人に、そして彼らが掴む勝利に貢献したいと思う気持ちは、第二体育館へ足を踏み入れたときとは比べものにならないほど強くなっていた。
(私が……勝利に貢献できること)
その後虹村の投入により、帝光二軍は盤石の勝利を収めた。勝ちに沸く選手の様子に笑う優乃のもとへ、灰崎と交代でベンチへ下がった彼が歩み寄る。
「水谷、さっきはごめんな。チームメイトとしてオレ、もっと強くなるよ」
目を瞬いた後、優乃は花のかんばせ一杯の笑顔を浮かべた。
「うん! 私も……!」
(私も、もっと頑張らなくちゃ)
「いいね! そういう熱いのは大好きだぜオレは!」
「わっ虹村さん!」
二軍コーチが苦虫を噛み潰したような顔でスコアボードを見つめていたのは、彼らには見えていなかった。
「コーチも大変ですね」
その日、優乃の手を引いたのが何者だったのかはわからない。
スコアボードが一つ壊れてしまった。車輪が全く動かなくなった。すぐに買ってこられるようなものでもないので、倉庫の近い第三体育館へ取りに向かった。
そのすぐ近くで、二軍コーチと三軍コーチが話をしていた。
「簡単な話じゃないんですよね。相手は無敗の帝光を相手にするつもりで向かってくる、しかしこちらは……」
「今、たぶんこれまでで最も実力差がありますからね。一軍と二軍三軍は」
「ええ。一軍としては怪我のリスクも増えるし手の内もさらすことになるから、極力一軍の投入は避けたい。しかし二軍だけでは……」
「うーむ」
自分が聞いてはいけない話だ。優乃は直感していた。心臓が警報のように鳴っていた。しかし足はまるでスコアボードの壊れた車輪のように、全く動いてくれなかった。
「そういえば一軍専属の桃井。彼女の情報収集力が凄まじいらしいですよ」
「ああ、聞いています。一軍の大きな武器と言っていいでしょうね」
血の脈打つ音が耳元で聞こえる。振り返ってこちらを見た彼女が屈託なく笑っている。
「二軍のマネージャーにも、そんな能力があったら……」
ドンと背中を押された。気づくと踵を返して、優乃はその場を離れていた。三軍コーチの声は、まるで耳元で怒鳴られたように大きく鼓膜を揺さぶった。
愛しくなる衝動