48:あなたに愛されてあなたに殺された



 全中二連覇確実か。
 帝光への期待が様々な形で明言されるようになり、帝光はますますマークされるようになった。
「大丈夫っスよ、優乃っち」
 ベンチから立ち上がった彼が振り向く。にこっと笑った後、彼の瞳は好戦的に形を変えた。
「オレがサクッと逆転してくるから!」
「……うん!」
 上手に笑えている自信は無かった。手に持ったバインダーを見る。
(もっと、もっと私に)
「水谷」
 はっと顔を上げる。赤司が彼女を見ていた。
「戻ってきた彼にマッサージをお願いできるかな」
「うん。わかった。ぼうっとしててごめんなさい」
 赤司は穏やかに首を振った。
「試合中に集中を欠くのは良くない。が、君にはマネージャーの欠員している三軍の手伝いもしてもらっている状態だ。環境の改善はむしろオレの課題だよ」
「そんな……」
「事実だ」
 赤司はふっと優しい笑みを浮かべた。
「キミのマッサージや応急処置の腕は部に大きく貢献してくれている。助かっているよ」
(……私には、これしか)
 言いかけて、優乃はゆるくかぶりを振った。普段と少し違う優乃の様子に、赤司は気づいたようだ。心の内を見透かすような赤い瞳に、気にしないでともう一度首を振る。
 手のひらに身に付けてきたものたちは、己の証明だ。赤司の言葉は、泣きたくなるほど嬉しい。
「ありがとう」
 それでも、この手のひらだけでは、勝つには足りないのだ。
 ベンチを立ってマッサージへ向かう。
 頭の中で響き続けているのは、あの日の三軍コーチの言葉だった。

 二軍だけでは勝てない試合が増えてきた。
「課題の多い試合だったな」
 コーチは選手たちの後ろを、渋い顔で歩く。隣を静かに歩く優乃をちらりと見た。
 よく頑張ってくれている。自己管理能力が一軍選手より劣り、人数の多さ故にコーチの目も完全には行き届かない二軍三軍で故障選手が出ないのは、他校ではまず考えられない。監督や一軍コーチ、赤司や虹村ら主将陣が以前に言っていたように、ひとえに彼女の献身のおかげと言える。マネージャーの自主退部が続いた三軍が以前とほとんど変わらない雑務の量で回せているのも驚異的だ。
(だからこそ、欲が出てしまう……)
 優乃が口を開いた。彼女の口から転がり出た言葉は、コーチの度肝を抜いた。
「私に……もっと情報収集能力が」
 都合の良い白昼夢でも見ているのだろうか。コーチが思ったのも無理はなかった。彼が欲しかった言葉をそのまま、優乃が口にしたのだ。
 いや、違う。コーチは口元に笑みが滲むのを抑えられなかった。
 聡明な彼女は気づいていたのだ! 何が己に足りないものなのか!
 気づくと口は勝手に開いていた。
「自分を客観視できているのは、非常に良いことだぞ。あとはそれをどう克服するかだ」
 背中をもう一押しするのに最適な言葉を無意識に、死にもの狂いで探す。きらきら輝く彼女の瞳を思い出す。
「お前もこのチームの、チームメイトだからな」
「……はい!」
 返事が返ってくる。
 彼は大義名分を得た。

 二軍コーチにとって、優乃の情報収集能力は切り札となった。自分自身への切り札だった。
 彼女の能力が開花すれば、二軍の現状に変化が訪れるはずだ。この期待は、言い換えることができた。
 彼女が未熟な状態だったから、情報戦で劣っている状態だった。その中でも勝利を収めることができている。二軍は成長している、と。
 そもそも、マネージャーも教え導く対象だという認識は彼の中にはなかった。優乃と話をするとき、彼の目はますます自らへ向くようになった。
「お前ら、日々支えてくれている水谷に感謝しろよ」
 同じ口で、優乃へのねぎらいの口調で言うのだ。
「頑張れよ。お前もウチのチームメイトなんだから。桃井はめきめき上達しているらしい。負けていられないな」


「さつき、ごめんね、今いい? ここなんだけど……」
「うん! 何なに……うーんここは……」
「最近優乃っちと桃っち、ますます仲良いっスね!」
「ん。優乃ちんそのままこっちに連れてきちゃえばいーのにね」
「それはまず無いのだよ。桃井と同じことをしたとしても、何も意味はない」
「あー、それは同感ー。何で気づかないんだろー」
「……そうだね」


 三軍のマネージャーは、なかなか見つからない。増えてはすぐに減っていく。思っていたのと違う、と辞める直前彼女たちは揃って口にする。結局、一軍マネージャーも含めてローテーションで業務は行われている。
「水谷、いつもすまないな」
 タオルを配り終えた優乃へ、三軍コーチが歩み寄る。水槽に墨を一滴垂らしたように、優乃の胸がにごっていく。
「そういえば、桃井はついに相手がどう成長してくるか言い当てたらしいな」
「……はい。彼女は凄いです」
「お前も良い線いってるんだ。頑張れよ。このチームでやれるのはあと半年もないんだぞー」
「……はい」
 ぺこりと礼をして、第三体育館を出る。前は見ていなかった。自分の足元を見ていた。
「おっと」
「あっごめんなさい」
 慌てて顔を上げる。毒蜂の黄色がかった赤のオッドアイが微笑んだ。
「いや、いいんだ」
「赤司くん」
 自分の部活の主将なのに、ぞっと背筋を走るものがあった。前は違った。彼と話をすると絶対の包容力で安全に包まれて、それ故に何にでも果敢に挑もうという気持ちになった。
(あれ……前って、いつだっけ)
「そうだ。丁度お前に伝えたいことがあったんだ」
 その声は揺るぎない。凹凸がなく、なめらかで、鋼のように温度を感じない。
「情報収集能力やデータ分析能力を伸ばそうとする時間は、もうお前には必要ない」
 優乃は赤司のオッドアイを見つめていた。
「お前がそれを続けたとして、彼女に代わってベンチへ入ることはない。二軍には一軍が同行するから、敗北はあり得ない」
 どこかで、自分でもわかっていたことだった。赤司の一言はきっかけに過ぎなかった。腕の力が抜けていく。
(さつきと違って、私には特別な力は無い)
「もし部に貢献したいというなら、マッサージや手を使うことに集中することだ。嫌なら、別にしなくても構わない。意味はわかるね」
「……うん」
 ぶらりと垂れ下がるだけの自分の腕を見下ろす。
(チームにとって、私はただの<席>なんだ)
 心臓は確かに鼓動しているはずだった。知らない内に唇は動いていた。
「……ありがとう、赤司くん」


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愛しくなる衝動