18▼どうしたらきみのほんものになれるだろうか
わたしを刺した女の子と、その仲間の女の子たちの行く先は、知らない。
けれどきっとあまり良くない道を辿るんじゃないかと思っている。お母さんが、学校の人と話をしているときとても冷たい目をしているのを見てしまった。
可哀想だなあとは思うけれど、別に止めない。大好きなお母さんとお父さん、それから武以外の人間ならば、どうなろうがどうでもいい。付け足すならば、あの子たちはわたしから武の隣を奪おうとしたのだから、むしろ積極的に放っておきたい気持ちになる。わたしが武の隣に立つことを邪魔する人がいなくなるのは、すごく嬉しい。
武は、ものすごく心配してくれた。
もちろん原因を知りたがったけれど、わたしは武がこのことに関わっていることは言わなかった。学校の人にも、内緒にしてほしいと頼んだ。
もし自分が原因だと知った優しい武がわたしを遠ざけようとしたら、わたしは何のために怪我を負ったのかわからない。
お腹の傷の治療をするために少し入院していたけれど、今は体育以外の授業を受けられるくらいには回復した。入院生活は幸せだった。武が毎日、部活が終わって疲れているのにお見舞いにきてくれたからだ。それだけでも、怪我をした価値があった。
「美月、もう大丈夫?」
「うん」
お母さんが、玄関まで見送りに来てくれていた。頬が緩む。大好きな人から心配してもらえるのは、とても嬉しい。
「全速力で走っても、もう大丈夫だと思うよ」
「そう……?」
「心配してくれてありがとう。行ってくるね」
「いってらっしゃい」
お父さんが以前大好きで堪らないと笑っていたお母さんの柔らかな笑顔に見送られて、家を出る。
と、丁度向かいの竹寿司の暖簾が大きく揺れた。自然と、目がそちらに向いてしまう。
飛び出してきたのは、すごく綺麗な女性だった。長い髪が美しく靡いている。日本人のものではないとはっきりわかる顔立ちだった。普通の男の子なら一目惚れしてしまいそうな外見だ。
彼女はこの前、勉強会や体育祭に来ていた女性だった。勉強会のときには、武が完璧だと褒めていた。
今まで竹寿司で見たことがなかったから、常連ではないだろう。しかしもし今後ここの常連になるようだったら、気をつけよう。場合によっては、彼女をここに絶対近づけさせない。
そのお姉さんは、黒いロープのようなものを携えていた。ロープを目で追うと、黒いスーツの赤ん坊がその先に捕まっていた。赤ん坊と一瞬目が合う。彼はわたしににやりと笑った。
その後を追うようにして、牛柄の服を着た小さな男の子が走って出てくる。顔色があまりよくない。どこかで見たような気がするけれど、思い出せなかった。
思わず立ち止まってしまったわたしの耳に、武のお父さまである剛さんの声が聞こえてきた。
「坊やおあいそはどーしたっ」
先ほどまでの人たちの様子を思い出す。彼女たちが走っていった方を見た。もう姿は見えない。けれど、まだ追いつけるかもしれない。
少しの間全力で走って追いかけてみたけれど、結局三人を見つけることはできなかった。赤ん坊がよく一緒にいる沢田くんの家と、獄寺君の家にも向かってみたけれど、誰もいない。
引き返して、わたしは竹寿司の暖簾をくぐった。
「剛さん、先ほど大声が聞こえましたけど、どうかされましたか?」
剛さんは、電話の受話器を置いたところだった。わたしを見て、剛さんは眉を上げた。続いて豪快な笑顔を浮かべる。
「おおー、美月ちゃん」
わたしは笑って剛さんに会釈した。
店内を見渡してみる。一つの机の上に、お皿と湯呑みが散乱している。
そして、お店の床で男の子が半泣きの状態で正座していた。
その男の子にわたしは見覚えがあった。
沢田くんはわたしを見て、顔を輝かせた。救世主を見るような視線だ。
わたしは、再び剛さんに目を向けた。剛さんは眉間に皺を寄せていた。
「この坊やが食った寿司の料金持ってねーって言うんだよ」
竹寿司は、武の実家だ。
わたしは沢田くんに目を向けた。沢田くんがひいっと声を上げた。確かにわたしは今、相当怖い顔をしていると思う。
剛さんは、頭をがしがしと掻いて言った。
「家の電話は誰も出ねーしなー」
沢田くんの前に立って、剛さんは彼に厳しい視線を向けた。沢田くんの顔色がますます悪くなった。
「やっぱケーサツに連絡するしかねーなー」
「それだけはカンベンしてください! 騙されたんです!」
「そーしてやりたいが……心を鬼にしねーとな! 無銭飲食ったら立派な犯罪だ」
「そこをなんとかーっ」
沢田くんは泣いて頼み込んでいる。助けてほしそうにわたしを見たけれど、わたしはそれに眉を寄せた。
「沢田くん、食い逃げはよくないことだよ」
「違うんだ、誤解なんだ宮内さんー!!!」
剛さんの言い分や店内の状況によると、沢田くんは食べた寿司の料金を払っていない。これはよくないことだ。しかし、それはわたしが彼を援護しないために見目のいい建前に過ぎない。わたしにとって、沢田くんよりも剛さんの方が大切だというのが、何よりの理由だ。
武と、武のお父さまはとても仲が良い。剛さんに嫌われてしまったら、私はきっと武の隣に立っていられなくなる。
電話の方に向かおうとする剛さんと、それを必死に止める沢田くんの様子をぼうっと眺めていると、後ろで店の扉が開く音がした。
「ただいま」
聞き慣れた、大好きな声がした。
わたしは振り返った。
武はきょとんと目を瞬かせた。
「あれ、美月?」
続いて彼は、わたしの後ろに目をやった。
「どーしたオヤジ?」
「食い逃げだよ」
剛さんがそれに答える。その後ろで、顔を上げた沢田くんがあっと声を上げた。武の眉が、驚いたように上がった。
「ツナじゃねーか」
「山本ォ!」
店内に、笑い声が広がった。
「チビ達にだまされるかよふつう」
「そんなこといったって」
沢田くんは、未だに一体どれだけ返せばいいのかと真っ青になっていた。
わたしは、湯呑の二個目にお茶を注いだ。隣で剛さんが言った。
「ありがとな美月ちゃん」
湯呑の表面で、お茶の滴が波紋を作った。わたしは笑って首を横に振る。
「わたしがやらせてくださいって言ったんですよ」
わたしは暑いお茶の入った湯呑を、剛さんの持つお盆に乗せた。剛さんが、それを武と沢田くんに持っていく。
剛さんの表情から、きっと沢田くんのことは許してあげるんだろうな、とわたしは思った。
と、店の方から、二人と剛さんの話し声の他に音が聞こえた。わたしは奥の調理場から、カウンターの方を見る。
寿司の入っているガラスケースが開いていた。その周辺に、先ほど店から走って出ていった三人の姿があった。
食い逃げの実行犯たちだ。わたしより一瞬早く、彼女たちは店の外へと走り出した。それでも捕えられない距離ではない。髪を留めていたピンを一本外して、彼女たちの足もとへと投げる。
牛柄の服を着た子供が、それに躓いて転んだ。
わたしは走ってそのまま外に出る。剛さんがわたしの名前を呼んだけれど、止まっていては残りの二人に追いつけない。
女性が持った紐を掴んでいるあの黒いスーツの赤ん坊が、追いかける私をニヒルな笑顔で見据えていた。相変わらず、何もかもを見透かすような黒い円らな瞳だった。
わたしは髪のピンをもう一つ外す。と、赤ん坊が銃を構えた。
銃声はしなかった。銃口から放たれた煙玉がわたしの前で弾んで、視界を奪う。手で払ったが、特殊な煙なのかなかなか視界が晴れない。
走って煙を抜けると、既に二人の姿はなかった。
しばらく二人を探してから、わたしは竹寿司に戻った。
裏口から店内に入る。瞬間、湯呑がこちらへ飛んできた。わたしはとっさに手を伸ばして、それを掴む。
竹寿司のお客さんに出す湯呑だ。掴まなければ割れていた。わたしはほっと息を吐く。
「あ、危なかったー!! 宮内さんありがとう!」
「はははちょっと手がすべりました」
調理場には、沢田くんと、いつの間にか獄寺くんがいた。獄寺くんは沢田くんに向かって、何やら弁解していた。
と、奥で洗い終わった皿を片付けていた武が、わたしに気が付いた。
武は何故だか、驚いたような顔をした。続いてははっと笑う。
わたしは首を傾げる。武は皿を置いて、わたしに歩み寄った。
「美月どこ行ってたんだー? 髪が粉だらけだぜ」
大きな手のひらが、私の髪を少しはたくように撫でた。わたしは自分の頬が熱くなるのを感じた。思わず、視線を武から逸らす。
「ありがとう……」
「いーって」
武は笑い声交じりに言った。大きな手のひらを頭の上に感じる。
嬉しくて、心臓がうるさい。
「あ、そうだ。美月もツナのバイト手伝ってくれねーか?」
武がそう言った瞬間に、天井で何やら固い音がした。
続いて、床から何かが割れる音がする。武と二人で音がした方を見ると、剛さんが気に入っているお皿が、無残に割れていた。
わたしは息を飲む。
「何やってんのー!!」
沢田くんの叫び声が、調理場内に響き渡った。
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