角を使うんじゃなかった。デクくんからただ奪ってしまえばよかった。きっとデクくんはわかってくれたはずだから。焦ってしまった。
迫る氷を避けて、飯田くんの蹴りから大きく体を逸らす。本気じゃない。そんなところも本物で、泣けてくる。轟くんの氷が息吐く間もなく迫ってくる。私を攻撃するためじゃなく、私の体の動きを止めようとしている感じだ。1年A組はみんなヒーローなんだ。どこまでも、どこまでも眩しいヒーローだ。
手首を短く分かれた角で傷つける。血が飛び出す。足も鹿に変えないと、氷に追いつかれる。
氷は私を熊の倒れる開けた場所へ、よりみんなに近い方へ誘い込んでいる。わかっているけれど、そちらに逃げないと氷に足を取られる。みんなの顔がはっきり見える。
目を逸らす。
私は、私を殺してヒーローになる。ますますはっきりした。ここで成し遂げないと、永遠に叶えられない。
一度止まって氷を迎え撃つ。私を捕えるために、本気じゃない。左腕に思い切り角を突き立てる。血がだらだら流れる。誰かの悲痛に息をのむ声が聞こえたような気がする。
最大限まで大きくした角で、思い切り眼前に迫る氷を打ち砕く。縄に拘るのはやめよう。
左腕がどくどく脈打っている。深く抉れた感触はあった。
「そうだよね」
自分自身に笑えてくる。
「ヒーローになるのに、簡単な道なんてあるはずないよね」
予想外の試練だってたくさん訪れる。それが今なのだ。
最高に痛い思いをして、ヒーローになろう。
私程度向けの試練だから、ちょっと簡単だ。時間が経てば私は勝つ。失血によるショックが不安だけれど、意識が朦朧としてきたら、頸動脈でもなんでも掻き切ろう。
さっき聞こえた、自分が傷つけられたような短い悲鳴が頭の中に響く。
笑えてくる。どこまでもみんなのことを考えていない。私は自分勝手だ。周りがどれだけ苦しもうと、結局自分の夢が叶えばそれが一番なのだ。ますます本物から遠のいていく。だからますます、消したくなる。
「なんで自殺がヒーローに繋がる」
轟くんのこんなに険しい顔は久しぶりに見る。体育祭のあの試合以来だ。自分もデクくんに言ってもらえるかもしれない。そんな馬鹿みたいな希望を抱きかけて、見ていられなくなるちょっと前だ。
「周りのこと考えちゃいねえ。そんなのヒーローじゃねえぞ」
この状況で、気休めの言葉なんかじゃなくてちゃんと相手を見据えた言葉を送ってくれる。私なんかと全然違う。
「だからだよ」
轟くんが気を逸らしているのはわかっていた。背後に迫った梅雨ちゃんの舌は、一度その軌道上から消えれば避けやすい。梅雨ちゃんは寄りかかりたくなるからだめだ。仲良くなりたかったけれど、だからあんまりにも近づいてしまうのが怖かった。
「どこまでも贋物な自分を殺してヒーローになるの。その一瞬だけでも」
短く分岐した角を折る。痛そうな顔をしたその人の耳元に耳には当たらないように投げ放つ。
響香ちゃんのその個性は厄介だ。強力な心音だから、浴びている間動けなくなる。響香ちゃんは私が角を折るとき痛みを感じると思って、きっともう攻撃できない。攻撃の素振りがもし見えたら、また角を折って投げたらいい。
振り返った。目前に迫った力強い蹴りを躱す。拳じゃないのは、きっと私を倒さない無意識の意思表示なんじゃないかと思う。デクくんの焦った顔が見える。
激しく動いて、血がぼとぼと落ちていく。着地のときに頭がくらくらしてふらついた。いい具合に血が流れ続けていることに安堵する。隙が出来たのに攻撃してこない。私が激しく動けば動くほど血がどんどん流れるからだろうか。たぶんそれで、みんなも攻撃に戸惑いがあるのだ。
願ったりだった。自分で穏やかに失血死を待ちたい。殺したのは自分だと胸を張って言いたいのだ。
背中は見せられないから、バク転でみんなと距離を取った。全員不意をつかれたような顔をしている。
きっと、思考が鈍っていた。最後に言いたくなった。
みんなの顔が見える。ちょっとかすむ。
「ありがとう」
今まで見た中で、一番、何も背負っていない笑顔だった。月の光みたいに静かに笑うイメージだったのに、まるで花がいくつも咲き零れるようなその笑顔が、何より彼女にしっくりきた。
恐るべき速さを誇る彼女の鹿の足が、物凄い速さで彼女を森の奥へ連れていく。
見失ったらもう絶対に会えないことを、みんなが悟っていた。
「絶対だめ……そんなの絶対ダメ!!」
芦戸さんが絶叫した。みんな一緒だった。一緒に駆け出した八百万さんが泣いている。
鹿乃さんの流した血の量は尋常じゃない。急がないと見失わなくても手遅れになる。
スピードを上げる僕の横を、ものすごい勢いで影が飛んでいった。きっと、思うところがあったのだ。
「ふざけんなてめェ!!」
声が聞こえた瞬間に、思い切り横に飛び退いた。案の定爆発の音がする。
ずっと前だけ見据えている人だ。背後に残る私のことなど見ないで、とても純粋にただ真っ直ぐに、前に進む人だと思っていた。
「オイ隠してたんかその強さ! 勝ち逃げとか許さねェ、ブッ殺ス!!」
その言葉を聞いて納得した。あの熊は確かに強かった。一撃でも当たったら死んでいた。
もう後悔しても遅いけれど、熊だとわからないようばらばらに切り刻んで木の陰にでも捨てておけばよかったのだ。そもそも、追いつかれることすら予想していなかったのが私の失敗だった。
「私だって、それだけは絶対許さないよ」
長い角を折って短槍みたいに持つ。素早くて小回りが利く爆豪くん相手に、頭の角だけでは対応できない。
「私が殺す」
爆豪くんだけのことを考えるわけにはいかない。森の奥へと駆ける。当然爆豪くんは追いかけてくるし、追いついて近距離爆破を狙って腕を伸ばしてくる。足払いを狙いながら、鹿の角で思い切り腕を払う。足払いの方は当然避けられる。足は止めちゃだめだ。他の人にも追いつかれるし、動けばそれだけ血が流れてくれる。
きっとここが一番の試練だ。
手のひらが掴みかかろうと迫ってくる。加減したら殺される。頭の角で思い切り突き返す。お腹を狙って角の槍を突き出す。寸前で飛び退かれる。走る。
再び翳された手のひらは、何故か爆破直前で急に方向転換した。
「邪魔すんじゃねェ!!」
爆豪くんが吹き飛ばしたのは、迫っていた氷だった。もう追いついてきたことにびっくりする。
轟くんの声は怒っていた。
「状況わかってんのか?!」
「死にたきゃ勝手に死なせとけばいいだろが! ただしその前に優劣つけたる!!」
らしいなあ。
ふっと、みんなと過ごしてきた日々が頭をよぎった気がした。一瞬、気が緩んだ。
横から突如伸びてきた影に、咄嗟に反応することが精一杯だった。ダークシャドウを頭の角で思い切り弾き返して、でもそのせいで背後に手が回らなくなった。
「絶対死なせねえ!!」
切島くんの声だ。体を無理矢理捩じってやっと視界にとらえる。創造で作ったのか、漁網みたいなものを広げて持っている。その表面に峰田くんの紫色の玉がいくつも並んでいる。
私は、永遠にヒーローの権利を失うの?
「絶対に」
抉れた左腕を、さらに右の爪で抉る。「もうやめろって!!」切島くんが悲痛に叫んで、網がぐんと迫る。
人間の体だから、逃げられないのだ。
「?!」
びっくりしただろう。みんなには見せていない。四本の足で地面を蹴る。左前脚が使い物にならないのは、仕方ない。駆ける。木々が後ろに流れていく。もう色も風も感じない。
思い切り、首に腕が回された。傷跡の残った右手が見えて、その瞬間何もわからなくなった。
目が覚めて、少しの間上体を起こして呆然としていた。左腕に巻かれた包帯を、何も感じられずにただ見ていた。
一人の時間は一瞬だった。扉が開いた音に、反射的に顔を上げた。上鳴くんがびっくりした顔で私を見ていた。上鳴くんの反応を見て私が起きていることを知ったのか、お茶子ちゃんが部屋に入ってくる。真っ直ぐ私に向かってくる。
思い切り頬を叩かれて、思い切り抱きつかれた。わんわん泣くお茶子ちゃんの体温を感じながら、デクくんを先頭に病室に入ってくるみんなを見ながら、私はただ、ベッドの上で動けずにいた。
相澤先生は私の件でプッシーキャッツと話をしているそうだ。話は何故か、事務的なことから始まった。
私も、もうどうしたらいいのかわからなかった。唇に笑みが載ってしまうのはもう癖だった。笑っているけれど、何も考えられなかった。空っぽだった。ただ絶望していた。
「……あのさ」
デクくんの声だ。すぐにわかる。デクくんの声は、不思議に響くのだ。
デクくんの深い深い緑色の瞳を見る。こんなに深い色なのに、こんなに煌めいて見えるのがいつも不思議だった。
「ずっと、助けてって聞こえてる気がしてた」
デクくんの声は、静かに私の体に溶けていく。
デクくんの大きな瞳に、真っ直ぐこちらを見る私が映っている。
そうかもしれない。
不意に思った。
そうだったのかもしれない。
その言葉は、私の胸にすとんと落ちてきた。
私はずっと、救けてもらいたかったのかもしれない。
デクくんが目を見開いたのがわかった。後ろで百ちゃんが涙ぐむのが見えて、そしたらなんだか、何かが外れてしまったみたいだった。
拭っても拭っても、涙は大粒で零れてきた。こんなに泣いているのに、ずっと笑っている自分が滑稽だった。
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時間軸は
XV → XW → XX
