X+5

「あの……ほんとはここまで付いてくるつもりはなくて……」
柔らかな胡桃色の髪を揺らして、彼女は確かにボクらと同じ船の上に立っていた。
真っ先に声を上げたのは、切原だった。目を月のように真ん丸にして、彼女を指さした。
「えーっ!? 三藤先輩じゃないスか!!」
すごく素直な一言だけれど、そのときのボクらの思っていることがそのまま形になったものだった。三藤さんは困ったように笑っている。どこにも何も怪我はなさそうだ。
「私なのです」
「無事でよかった」
並走する水上バイクから手塚の声だ。真面目な表情を崩さないものの、目に安堵の色が滲んだのは、付き合いが長いとわかる。手塚の目はまさに口以上に物を言う。
「貴女、行方不明扱いだったのですね」
「黙って出てきちゃったし、携帯は充電切れちゃって……本当に、ご心配おかけしました!」
「ほんとッスよ!? 越前に続いて先輩までどっか消えちまってもー大変だったんスから!」
「そもそも何故一人出ていったりしたのだ」
「あのシウっていう人、一人で行くって言ってたよね? でも私全身酷い怪我なのがわかって、この人もうテニスできなくなるんじゃって思っちゃったら、その、どうしても……」
「ああ、そういうことだったんだ」
「まーでもホント、何ともなくて良かったッスよー!」
「……うん。任せて! 私悪運強いからね!」
三藤さんの明るい笑みを斬ったのは、聞いたこともないくらい低い声だった。
「……は?」
決して大きくはないけれど、その場の全員を黙らせる絶対的な響きが、あった。三藤さんの頬から、さっと微笑みが消え失せた。三藤さんは、もしかしたら無意識下に、その声を予感していたのかもしれない。
三藤さんを見る白石の目は不気味なほど静かだった。冷酷ささえ感じられるくらいだ。
「何をわろてんの?」
茨のように鋭い。ボートの水面を泡立てる音だけが聞こえる。夕日の朱が、白石の表情を冷たく照らした。
「違うやろ? 自分、何をして今何を言ってんのかわかってへんよな」
その一言一言は、この場にいる全ての人間の耳に刻まれた。有無を言わさずに、彼の声色はそうさせた。
引き波が来て、船が大きく揺れた。立ち竦む三藤さんの手首を乱暴と表せるくらいの手つきできつく掴んで、白石が彼女を座らせた光景は、先程までの彼の声色とは酷くちぐはぐで、同時にこれ以上は無いくらい自然だった。
白石の手の指先が白くなった。彼女の手首をとらえたまま、彼の視線は鋭利な槍のようだった。
「奴らに捕まったら」
一瞬、白石の手にさらに力が込められた。
「どうすんの? 自分。逃げる? 戦う? 奴ら相手にどうやるんや?」
白石は間を置かなかった。
「何もでけへんのやろ」
最も温度の欠落した声だった。
三藤さんの目は、揺れていた。しかし彼女は一度たりとも、白石の向ける視線から、その奥の瞳から、目を逸らさなかった。
エンジン音が腹の底に響くようだ。真っ赤に染まった川の水を掻き混ぜて乱しながら、ボートは進み続ける。
結ばれていた唇は、ゆっくり開いた。一度震えを押さえつけるように閉じられたけれど、彼女の吐息はやっぱり震えていた。
「ごめん、なさい……」
きゅっと唇が結ばれる。頬に影が落ちる。彼女の目線の先で、ボクたちよりも一回りも小さい手がきつく握り拳を作った。
ぱっと顔が上げられた。大きな瞳は、大粒の雫に透き通っていた。
「ごめんなさい!」
白石の双眸に初めて、表情が浮かんだ。彼の指先に、ゆっくり血が通っていくのが見えた。
ボクたちは急に水中から浮かび上がったみたいに、唐突に自分の呼吸を意識した。川の音も耳元を過ぎていく風の音も、全てが鮮明に戻ってきた。
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