なのに、走っている私。
健太郎のお説教からの流れで、白石くんや途中からわらわら集まってきた四天宝寺の面々と山吹とでつい長話になった。中でも新渡米くんの葉っぱは大人気で、四天宝寺の面々はずっと貼り付いて離れなかった。さすが関西だ。
その後慌てて荷物を運び入れたら、すでに時間ぎりぎりだった。
合宿所の施設内マップを片手に、指定された教室に駆け込む。間に合った。途中で地図を貸してくれた幸村くんに、本当に感謝だ。
小会議室には、長机がぐるりと四角を描くように置かれている。集まった係の子たちはそこには座らずに、立って思い思いに話をしていた。まだ先生は来ていないみたいだ。
息を整えていると、窓際で一年生っぽい男の子たちと話をしていた太一ちゃんが、真っ先に飛んできてくれた。
「先輩*! 遅いです! 心配したですよ!」
「ありがと太一ちゃん……。健太郎怖かった!」
「先輩が榊監督のお話ちゃんと聞いてないからです」
「太一ちゃん手厳しい……」
さすが我が部のホープだ。前にキヨも言っていたけれど、亜久津くん相手でも物怖じせずに接するし、太一ちゃんは絶対将来大物になる。
「あ、あのー……」
太一ちゃんが話していた一年生っぽい男の子の一人が、おそるおそるといった様子で近寄ってきた。茶髪で、繋がり眉が真っ先に目に入ってくる。
声を掛けてくれるのは凄く嬉しいけれど、どうしてそんなにおっかなびっくりなのだろう。山吹の上級生は怖いと思われてしまっているなら、そのイメージはなんとしても払拭しなければならない。
優しい声といったら誰だろう。伴じいだろうか。真似はちょっと難しい。
「こんにちは。どうし……」
その瞬間に、会議室の前方のドアが勢いよく開いた。全員、急いで席に着く余裕も無かった。
その場で固まる。入ってくるのが榊監督なら、お説教コースだ。全員がそう思った。
そう思って五秒が経った。十秒も二十秒も経った。
一分くらい経っただろうか。やっと入ってきた、まるで生きる聖木のようなおじいさんは、木枯らしに耐えている枝のような腕を持ち上げた。指は、真っ直ぐ私を向いていた。
「あー……よろしくぅ」
開いたときの勢いが嘘のように、扉はとてもゆっくりと閉まった。
集まったマネージャー係は、それぞれ出身校のテニス部ジャージを着ている。
青学からは、男の子三人の他に、長い三つ編みの可愛い子とツインテールで猫目の可愛い子の二人、女の子が来ている。
女の子たちは女子テニス部の服っぽい格好だけれど、羽織っている新品の青いジャージは男子テニス部のものみたいだった。後に、二人は青学顧問の竜崎先生のお孫さんとその友達だと発覚する。二人とも思って凄く良い子で、ちょっとほっとした。
「……ということは、マネージャー係がいないのは、六角、四天宝寺、それに比嘉の三校かあ」
「先輩、不動峰さんもです」
「えっ? あ! そっか、杏ちゃんいないんだった……」
杏ちゃんはマネージャー係という感じがしなくて、つい別枠で考えてしまっていた。彼女は今不動峰の女子テニス部で合宿中だ。
マネージャー係が居るのは、私たち山吹、青学、氷帝、立海の四校だ。しかし氷帝から来ている一年生の二人と立海の一年生二人はスコア等試合に関係する仕事をやったことはあっても、その他の雑用についてはあんまりらしい。
逆に朋ちゃんは試合に関わることをやったことがあまりないみたいだ。朋ちゃんについてはよく試合観戦には行くみたいだから、すぐに何とかなると思う。
「……よし、わかった!」
「おお! どうするですか?!」
「とりあえず、合宿所内探検しよう!」
選手のみんなのサポートをしようにも、まずはどこに何があるか知っておかないとどうしようもない。結局先生方は姿を見せなかったけれど、必要なことだから決行することにした。私には幸村くんに貸してもらった地図がある。
まずは倉庫だ。
「あれ」
やってきた倉庫の前には、既に人影があった。黒いラインが横切る黄色のジャージは、記憶に新しい。
切原くんはぱっとこちらを振り返った。人の気配を感じた猫みたいな速さだった。
「あーっ!!」
次の瞬間、表情は子犬に変わった。切原くんはこちらへ駆け寄ってきた。
「切原先輩、どうしたでヤンスか?」
しい太くんの問いかけに対する答えは、その顔が語っていた。
「コートってどっち行ったら帰れるんだ?!」
「……切原くん、迷子なの?」
「トイレに行って戻ろうと思ったらこんな所に居たんスよー!」
早く戻らないと副部長に殺される、とガタガタ震える切原くんはすっかり青褪めた顔をしていた。
予定変更だ。
私は地図を広げ直した。立海が今日使っているコートはアルファベットBが割り当てられているところだ。倉庫からの行き方を確認する。
私たちは、選手たちのサポートのためにここに居る。それが全てだ。
「というわけで、堀尾くんバトンタッチ!」
「へあ?!」
素っ頓狂な声を上げた堀尾くんにマップをぐいと押し付ける。
「今から君が先頭だよ! 健闘を祈る!」
「ええーっ!?」
「あ、その地図は幸村くんから借りてるから後で私に返してね」
「ウソー!」
「堀尾くん責任重大……」
何とかなるだろう。私は切原くんに向き直った。
「よしっ、それじゃ切原くん行こう!」
「えっあのー、ありがたいんスけど……ほっぽり出していいんスか?」
「いいのいいの!」
合宿所は、また後で探索しておこう。それより、早く行かないと私も道順を忘れてしまう。
「えっとまずは……あっちの給水所を右、だったかな!」
「大丈夫すかホントに?!」
頼る人を間違えたかも、と私の後を付いてくる切原くんの顔にはわかりやすく書いてあった。
「たるんどるぞ赤也ぁ!!」
真田くんの大声に、フェンス越しのお隣の六角も四天宝寺も何事かと振り向いた。遠くには、小鳥が慌てて飛び去っていくのまで見える。
切原くんは平身低頭状態だけれど、真田くんは烈火の如く怒っている。背後の燃え盛るようなオーラは弱まるどころか勢いを増すばかりだ。
「三藤さん、すまないね」
コートの入り口のところで苦笑いするしかなかった私に、幸村くんが歩み寄ってきた。肩から掛けたジャージの裾がふわりと風に膨らんだ。芝の鮮やかなエメラルドグリーンに、黄色がとっても綺麗だ。
「いえいえ。切原くんはちょっと災難だったね……」
「赤也の気が緩んでいる証拠だよ。もっと集中しないとね」
さすがのストイックさだ。それだけ赤也くんに期待しているということでもあるのだろう。やっぱり私の視線はわかりやすいみたいで、幸村くんはちょっと照れ臭そうに口元に微笑を滲ませた。
「三藤さんはもう手伝いに入れるのかい?」
「入るよ! といっても、コート内でできること優先かな。みんなが戻ってきたら、道具の調達とかもやります!」
「それは頼もしいな。ありがとう」
幸村くんは柔らかく微笑んだ。
その後コートを見遣った瞳にすっと真剣な光が宿るのを見て、私も背筋が伸びる。鳥肌が立った。こういうのを、カリスマ性というのかもしれない。
「皆! 赤也も合流して、ラリー練習を続けるんだ。赤也はその後ペナルティーのランニングだよ!」
コート内の全員の動きがすぐに切り替わる。表情まで変わっていた。誰にも、どこにも気の緩みは無い。さっきまで怒られていた切原くんも、目に楽しげな光が見え隠れするけれど全力なのは打ち方でわかる。
空気に飲み込まれかけているのに気がついて首を振る。
ラリー練習ならば、しばらくマネージャーは居ずとも不便は無いはずだ。今は私一人しか係がいないから、他の学校も見て回った方が良い。
「必要があったらすぐ呼んでね!」
ラリー練習に向かう幸村くんは、私に目だけで頷いた。