鸚緑


彼女の母親は、やはりあのふ頭から少し外れた路地で無残に殺められていた。遺体を隠す事すら、大っぴらな事件になってもいいという意図を感じるほど安直で、最低最悪の亡骸だった。
腹にぽっかりと開いた風穴は、おそらく同業者、シャーマンの力で開けられたのだろう。いつぞやの中国育ちの友人が死に直面した際できた傷を思い出した。あの時彼は今の伴侶によって息を吹き返したがこんな状態の彼女にでもそれが有効なのか。巫力の高いシャーマンの力なら、非常に不愉快な選択だが今のシャーマンキングの座に就く彼の力なら生き返るだろうか。
遺体を綺麗にエンバーミングすればきっと生き返るチャンスがあるかもしれない。そう思いリゼルグは黒く濁る魚の目をした彼女の眼を伏せ、知人に連絡を取ろうとした。
彼女を生き返らせたい、あんな幼子を一人にしないでほしい、自身と同じ天涯孤独の人生を送らせないでほしい。
スマートフォンを手に取ると、メッセージが一件。先ほど無我夢中でエリオとその母の元へと思い車を走らせていた時に来ていたらしい。

【私の携帯】

その一文だけが残されていた。
送信元はエリオの母、目の前で息絶えている彼女だ。
すかさず、彼女の身辺にあるそれらしいものを探し見つけ、ロックされていないスマホの中身を見ると、リゼルグは息をのんだ。
意味深すぎるフォルダのタイトル、【これを見ているあなたへ】。

きっと彼女は、死期を悟っていたのだろう。なんて、なんてひどく、悲しいことだ。
少しだけ震える指でそのフォルダの内容を読む。完全な遺書だった。

【お久しぶりです。多分きっとこれを読んでるのは私の友達だと思います。
何か有事があった際の為に書き残しています。理由はわかると思います。私も彼らに狙われている一人ですから。
娘の存在が非常に気がかりなので、それだけは絶対に、何としてでも彼女を守ってください。彼女が死んだら、私はグレートスピリッツでのうのうと過ごしてられなくなります。
死んだら生き返らしてくれそうな面子ばかりの友人ですけど、それだけは絶対にしないで。お願い。娘の、エリオの存在が知られてない内に私が退場すればきっと娘に危害が及ばないとおもうから。
私の最後のお願いは二つです。娘を守ること、私を生き返らせないこと。
今後また私たちに危害を加える輩がたくさん出てきます。みんなが無事だといいな。本当に気を付けて。退場者は私一人でいい】

殴り書きに近い雑な文章。いつ書いたのかわからなかったが、とにかく彼女はもうわかっていたのだ。
読み終えたリゼルグは、静かに目を伏せ十字を切り、彼女の意思のままに動くと決めた。
愛した人の最期を、愛した人の大切な存在を守りきり祈りを果たす。それがリゼルグの愛だった。


その後リゼルグはエリオに悟られぬようひっそりと彼女を冥府に送る式をした。参列者は彼女に届かぬ恋慕を抱いた男一人だけだった。
墓はリゼルグの大切な友人の墓という事にしてエリオとともに何度か祈りに参った。


そうして、エリオを家に招いてからもうすぐで一ヶ月になる。
本来ならば未就学児くらいの子供を保護すれば然るべき機関に預けられる筈だが。しかしリゼルグはお役所仕事やそういった物に手を回せるコネがあり、書類に少し手直しして提出すれば自身の家で保護様子見という名目で共に暮らせた。


家に来た数日は緊張と母の居ない悲しみと環境の変化でとてもストレスを感じていた。だからこそ出来るだけ大人として精一杯献身的なサポートを惜しまずした。エリオとの時間を第一に置き、今までの生活の全てを変えた。唐突に泣き出せば優しく抱きしめて満足のいくまであやした、少しでも良い事をすればやり過ぎなくらい褒めた。小さな子の心を潰さないように、寄りかかれる人間がここにいると理解させようと尽力した。
何故ここまで赤の他人の男が出来るかというと、単純に愛した人間の娘だからだった。そしてなにより、その愛した女性の最後の願いを叶え続けるために、幼子を立派になるまで守り続けると決心したからであった。
暖かな対応は直ぐにエリオに届き次第に緊張は解れ、本来の子供らしさが戻りつつある。しかしまだ母の帰りを今か今かと待っているのでそれを目のあたりにする度に彼は心を痛めた。

仕事の合間にリゼルグは彼女とエリオの事を調べた事があった。
件の日は母子でリゼルグが住まう国へ旅行しに来ていた。親子水入らずの場で彼女は襲われたと。
そしてエリオは彼と再開する数年前に入籍し娘を儲けた。が、少し前に離婚してしまっている。それを知った彼は、見知らぬエリオの父に若干の怒りが湧いた。
「ボクなら、あの人を手放すことなく幸せにしてあげれたのに。なんて身勝手な男だろう」とまだまだ諦めきれない気持ちを顕にしたがもう終わった事だ、意気地無しの人間がガヤを出しても意味は無いし不毛だしみっともないので直ぐに気持ちを切り替え、ふとベッド脇にあるデスクからエリオを見た。
すやすやと穏やかな顔で寝静まる幼子の姿は心に安寧をもたらす。
自然と強ばった表情が綻び、笑みがこぼれる。
あんまりにも可愛いのでつい眠っているエリオの頭を優しく撫でたが彼女は眠りが浅かったらしく、ふにゃふにゃとした様子で目を覚ました。

「…あれぇ」
「ごめん、起こしちゃった」
「よる、おきちゃだめだってママが言ってた…よるのおばけが出て、たべられちゃいます」
「よるのおばけ?」
「うん、こわいやつ…リゼルグさん食べられちゃう」

寝起きで若干聞き取りづらい口調で未だ起きているリゼルグに寝ろとエリオは遠回しに言った。
その意図を汲み取ったリゼルグは仕方が無さそうに笑って静かにエリオが横になるベッドに入る。そうすると、少女は眠そうにとろんとしながら、小さな手で彼の髪を撫でた。

「ほーら、はやくおねむり。夢の羊がまってますよー」
「……エリオ…」

きっとこの子の諭すような口調は、母の言葉をそのまま真似しているのだろう。そしてこうして頭を撫でるのも、あの人がエリオを眠り着かせるときにしていたんだろう。
さながら小さな母だった。リゼルグはそれを見てとても労しく思い、少しばかり強めに幼子を抱きしめて目を閉じた。
もどる