ディア・プランビー
18.ロサンゼルス郊外


オーストラリア・メルボルンで過ごした日々があっという間にすぎ去り、次に向かうはリョーマが生まれ育ったアメリカだった。

飛行機がメルボルンを出発したのは日が暮れてからで、15時間飛行機で過ごすもロサンゼルスに到着したのは同日の夕方だった。18時間ほどの時差があるからだ。理屈では分かっているけれど時差というものは不思議な感覚になる。

リョーマに続いて空港の到着ロビーを抜けて外に出ればヒヤリとした空気が肌を包む。夏のメルボルンから一転、ロサンゼルスは一月らしい冬の寒さだった。久しぶりにコートに袖を通す。

夜景を眺めながら暖房の効いたタクシーに揺られ、リョーマの自宅のある郊外へ向かった。
日が沈んでいくにつれ車窓から見える街明かりもまた少なくなっていく。

「…変な感じ。あんなに長く飛行機の中にいたのに、時間が戻ってるんだもんね。」
「今回はちゃんと寝れた?」
「少しだけ…。途中で目が覚めちゃうんだ。でもリョーマもあんまり寝てなかったよね?」
「こっちでしっかり寝ようと思ってたからなるべく寝ないようにしてたんだよ。」

眠そうな目をしながらリョーマは言った。
全豪の会場で幸村さんが言っていた。“プロの活動ってかなりハードだよ”
そうなんだろうとはぼんやり思っていたけれどこうして一緒に長距離のフライトや時差を体験すると幸村さんの厳しい言葉の意味がよく分かる。こんな生活を続けていたら普通なら体調を崩してしまいそうだ。



「外、真っ暗だね。」
「そろそろ着くよ。」

そうリョーマが告げて、車が入って行ったのは静かな住宅街だった。道沿いには背の高いヤシの木が並んでいて、そしてタクシーは一軒の白くて大きな家の前に停まった。リョーマが運転手にカードを差し出し支払いを済ませた後、二人で車を降りた。

え。
はじめに驚いたのは、波の音だった。どこからか聞こえてくるザーザーと絶え間ない音。暗くて見えないけれど、海が近いんだ。

「どうしたの?寒いから中入ろう。」

リョーマが荷物をタクシーから下ろして私を振り返る。

「海があるの?」
「うん。すぐそこにね。朝になったら見えるよ。」

意外だと思った。何がどう意外なのかと聞かれたら言い難いけれど、とにかく意外だった。リョーマの日本の家は庭に松が生えているような荘厳な雰囲気だったし、彼自身温泉や和食が好きだったりする。だから海が見えてヤシの木が生えているような街で、このようなモダンな平屋に生まれ育ったのだと思うとその二面生がなんだか衝撃的だった。

家には灯りがついていなくて、この家は今はリョーマ一人が使っているらしい。庭も広そうだけれど暗くてよく見えない。リョーマはあくびをしながら玄関に向かっていく。その背中に続いた。

「お邪魔します…」
「ただいまでいいよ。これから頻繁に帰るだろうし。」
「じゃあ、…ただいま。」
「おかえり。」

リョーマは私の頭を撫でて冗談めかしてそう言った。疲れた顔をしながらもその目が少し綻んだのが分かった。

「リョーマだって今帰ったところでしょ。」
「言ってみたかっただけ。」

リョーマは照明と暖房のスイッチを入れると無造作に荷物を下ろし、目をこすりながら浴室に直行した。

「適当にゆっくりしてて。」
「うん…。」

そうと言われたが初めて入ったこの空間に身の置き場が分からなかった。広いリビングを見回すと無数のトロフィーと家族写真が目に入った。南次郎さんのものと思われる少し年季の入った優勝カップや、リョーマが獲ったものだろう、キラキラと輝く盾などが入り混じって棚に並べられている。まるで他に置いとくところもないし、といった様子で無頓着に置かれたそれに、リョーマらしさを感じた。

「俺の部屋こっちだから、寝る準備できたら来て。」

リョーマは部屋着姿で戻ってきて、そのまま奥の部屋へと消えて行った。昨日は街に出かけたりもして元気そうに見えたけれど、やっぱり疲れが溜まっているんだろうな。続いて私もシャワーを浴びてその部屋に向かえば、セミダブルほどの大きさのベッドにリョーマは横になっていた。既に眠ってしまったようで目を閉じている。一緒に寝れないことはないけれど二人で眠るには少し狭いかもしれない。

先ほど家の中を簡単に見てまわったらツインのベッドが置かれたゲストルームらしき部屋があった。リョーマにはゆっくり休んでほしいし、私はそこで寝ようかな。そう思ったとき、リョーマの手が伸びてきて、私を捕まえるとベッドの中に引き摺り込んだ。

「待って、私他の部屋で寝るから…!」

ガッチリとしたリョーマの腕につかまる。声をかけたけど届いていないようで、規則的な寝息が聞こえてきた。まあ…いっか。まだ暖まりきっていない部屋にリョーマの体温が心地よかった。気付いたら二人、電池が切れたように眠りに落ちていた。






移動疲れで早々に眠ったので、翌朝、早い時間に目が覚めた。カーテンからは薄明るい光が差し込んでいた。
暖を取り合うように体を寄せていたからベッドの中は温かくて気持ちが良かった。私の気配を感じたのかリョーマも目を開けて、微睡んだまま唇を重ねた。

「おはよう。」
「…はよ。」
「今日は練習?」
「うん…午前中買い物して…午後少し打つつもり…」
「了解。コートはお家の近くにあるの?」
「うーん…その話あとでもいい?」
「え、うわっ!」

リョーマは気怠げに体を起こし、私の上に跨った。

「…名前もうちょっとこっち。落ちるよ。」
「ねえやっぱり今日から別で寝よう。私向こうのお部屋で…」
「それもあとで。」
「大事なことじゃん、」
「おしゃべりおしまい。」

会話が途切れ、静かに絡まり合う。リョーマの体の重みに胸がトクンと鳴る。部屋は薄明くて全てが見えるのが恥ずかしい。私は今夜からゲストルームで寝るとして、でもリョーマは慣れた寝具の方がいいよね。ホテルは同室で毎日一緒に眠っていたから、オフ中くらいは別室でもいいかもしれない。そんなことを考えながらリョーマの愛に応えていた、そのときだった。

遠くからエンジン音が聞こえ、その音は次第に大きくなる。そうかと思えばびたりと静かになって、バタン、と車のドアが閉まるの音。

「リョーマ、誰か来たかも…?」

背中を叩けば、リョーマは動きを止めて顔を上げた。彼は目を細め窓の外を覗くと途端に顔色を変えた。

「は…?親父?!日本にいるはずじゃ…!」
「おーいリョーマ!いるかあー?」

庭から声がする。間違いなく南次郎さんの声だった。

「くそ、最悪…!」

リョーマはベッドを飛び降り、急いで散らばる服を引っ掴んだ。

「名前服着てて!足止めしてくる!」

リョーマは雑にTシャツに腕を通しながら走って行った。余韻も何も無い。思わぬハプニングに心臓がバクバクと言っている。慌てて服を着込み、ここで隠れ続けるか少し迷って、リョーマを追いかけることにした。



玄関先では南次郎さんが、息を切らして飛び出してきたリョーマを見てニヤニヤと笑っていた。

「よお青少年。」
「あのさ親父…!名前もいるんだから帰ってくるなら連絡しろって言っただろ…!」
「なんだ?朝っぱらから見られて困ることでもしてたか?若いねえ〜!」
「うるさい!そんなんじゃないから!」

リョーマは抗議するも、南次郎さんは意味深に笑っている。気まずいなあ…でも家を使わせてもらっているのだし挨拶しないと。

「ご、ご無沙汰してます…。」

恐る恐る顔を出すと、早朝の冷たい風に火照った体が冷やされるようで少し気持ちが良かった。リョーマはギョッとした顔でこちらを振り返った。

「ちょっ、」
「おお、名前ちゃん!元気そうだな!」
「〜〜〜っ、親父、いいから!打ちに来たんなら先コート行ってて!」

リョーマは南次郎さんを押し出し、ぐったりと肩を落とした。南次郎さんは豪快に笑い声を上げながら庭に落ちていた古いラケットを一つ拾い上げて大股で歩き出す。

「…名前、出てこなくていいから…まだ顔真っ赤だよ…。」
「え、うそ…!」

先ほどまでの熱の余韻は吹っ飛んだと思っていたのにどうやら顔に残っていたらしい。リョーマはため息をつくも、お互いの額が付くほどに顔を寄せ、私の指先に軽く触れて囁いた。

「また夜に仕切り直しね。」






二人の背中を見送りながら、昨晩は暗くて見えなかった庭を見渡してみた。この家の庭にはテニスコートがあった。リョーマはポールのハンドルを巻いて緩んだネットをピンと張り直した。

そっか。
だから南次郎さんはあのお寺にコートを作ったんだ、納得がいった。リョーマが中学に入る前、越前家は日本に引っ越してきた。その時にお寺の境内にテニスコートを作ったのだ。
ボールを打ちたいときに打てる、この環境が彼らにとって切り離せない大事な日常の一部だったのだろう。

「…リョーマ楽しそう。」

二人がボールを打ち合う音が庭に響き始める。
昔は南次郎さんを倒すためにテニスをしていたリョーマは、今は世界に目を向け色んなコートで戦っている。それでもやっぱり南次郎さんと向き合う彼は楽しそうだ。今も昔もこの時間は特別なのだとリョーマの目を見ると思う。

まるで兄弟喧嘩のような軽口を叩き合う声を聞きながら、体が冷えそうになってきたので家の中に入ることにした。昨日放り出したままの荷物を片付けてしまわないと。スーツケースを開いて洗濯に出すものを分けていると、断片的に二人の賑やかな声が聞こえてくる。顔を上げれば、窓の外、木々の隙間から高くサーブトスを上げるリョーマの横顔が見えた。

リビングには微笑ましい家族写真。そして二人のプロ生活の軌跡であるトロフィーが入り乱れて置かれている。
リョーマ、ここで育ったんだね。
庭に響くボールの音を聞きながら、初めて来たはずなのにどこか懐かしさに似た心地よさを感じていた。







二人は1時間ほど打ち合い、南次郎さんは颯爽と帰って行った。リョーマは肩で汗を拭いながら家に戻ってきた。

「南次郎さんもう帰っちゃったの?このためだけにアメリカに…?」
「まああの人も色々あるしそのついでだよ。なんだかんだテニス界とまだ繋がってるし、どっかでコーチとかしてるのかも。」

リョーマは着ていた服を脱いで洗濯機に投げ入れると「名前、買い物行こ。すぐ出れる?」と私を振り向いた。


準備を済ませて玄関を出た。リョーマは家の外壁を沿って行く。どこへ行くのだろうとあとを追えばそこにはガレージがあり、知らない車が停まっていた。

「リョーマ、この車って…?」
「俺の車。」
「…」

本当に驚くことばかりだ。自分で買ったのだろうか。有名メーカーのエンブレム。言ってしまえば、これはいわゆる高級車の部類なのだと思う。同行を始めてからツアー生活の過酷な面も見えてきたけれど、そう、このような、華やかな一面も存在するんだ。

「練習拠点ここだし、車ないと不便なんだよ。バッテリー上がってないといいけど。」

リョーマは助手席側に回ってドアを開けてくれた。シーズンオフ中、リョーマの誕生日に旅行をしたときにもこうして彼の運転姿は見たけれど、これは正真正銘彼の車。一つ年下の彼がずっと大人に見える。

エンジンをつけるとリョーマはホッとしたような顔を見せた。

「家に帰れないのそんなに苦じゃないけど、これだけが気掛かりだね。バッテリーって一度上がると厄介なんだよ。」
「そうなの?」
「ハウスキーパーが入るタイミングで車のメンテも頼むんだけど、まあ、こっちの人って結構いい加減だから。」

車は家の敷地を抜け、道に出た。リョーマは慣れた様子で右車線を走る。
昨日ここに来た時はすっかり夜で暗かった。朝がやってきてようやく見えた街並み。昨日リョーマが言っていた通り、少し行けばすぐに海が見えた。ここはとても静かで、周りのお宅も庭が広く、背が低くて大きなお屋敷ばかりだ。平屋が多いのは海風から守るためだろう。

「綺麗なところだね。」
「そう?」
「こっちは西側なのかな。」
「うん。だから夕日が綺麗に見える。」

夕日。ふと思い出す、日本に出るときにリョーマが言っていた言葉。
『これ、サンタモニカの店で買ったんだよね。サンタモニカってアメリカにある、サンセットが綺麗な街でさ───』
サンタモニカ。どんな所だろう。ここみたいに静かで綺麗な海が見える街なのかな。

まだあの壊れてしまったネックレスをどうするか私は何も決められていない。約束通り私が言い出すまでリョーマはネックレスを預かってくれていて、見えないどこかにしまっている。サンタモニカに行くのがいつになるのかは分からないけれど、今は話題にも出さないでくれている。

海沿いから抜けて太い道を走りしばらくした頃、リョーマはハンドルを切って広い駐車場に入って行った。
到着したのは大型のスーパーマーケットだった。海外ドラマで見るような大きなカートを押してリョーマは店内へと入って行く。

「お店もすごく広いね。目が回りそう。」
「和食の食材揃えるってなると店が限られるんだよね。こういうでかいとこ来た方が確実なんだよ。」

リョーマは慣れた手つきで食材をカートに放り込んでいく。見慣れないパッケージばかりでどれがいいのか分からないから一緒に買い物に来ると勉強になる。

「ここにいるの一週間くらいだっけ。上手に使い切らないとね。」
「名前はそういうの考えるの得意そう。」
「うーん…やってみる!余っちゃったら冷凍できるものはして…」
「冗談だってば。そんなつもりで呼んでないから。」

ツアーの合間の束の間のオフ。また次の戦いへ向かう調整期間。プロアスリートとして食事を整えるのは基本中の基本。リョーマはそんなつもりじゃないと言ってくれているけれど、昨日の疲れ切って電池が切れたように眠った姿を思い出す。少しでも力になりたいな。




今までリョーマの日常を知る機会は少なかった。こうして家で過ごし、街を見て、一緒に買い物するだけで、心が近付く気がする。まだツアーは始まったばかり。これからも、もっと知っていくんだ。そしてもっと近付いていく。いつかネックレスのことも、ちゃんと話せるようにならないと。リョーマの横顔を見ながらそう思った。






その午後、リョーマはコーチと合流し練習を再開させた。そして夜、根負けしたリョーマは私がゲストルームで眠ることを許してくれた。

「え、何してるの?」
「模様替え。」

リョーマはツインのベッドの間にあったサイドテーブルを片付け、一方のベッドを押して二つをぴたりとくっつけた。

「俺もここで寝るから。」

不貞腐れたようにそう言ったリョーマが何だか可愛くて、今度は私が彼を布団に招く。朝の仕切り直し。









リョーマの家で過ごして数日経った。倫子さんのデスクを借りて私は今日もパソコンを開いていた。添付ファイルを念入りに確認し、送信ボタンを押した。

「やっと終わった…!」

ドッと力が抜けてため息混じりの独り言が出た。
ちょうどその時玄関が開いてリョーマが帰ってきた。車のキーをカウンターに滑らせて、リョーマはこちらを振り返った。リョーマはロサンゼルスでのトレーニングは自身で運転する車で通っている。

「リョーマ聞いてー大学の課題全部出せたよー。」
「頑張ったじゃん。」

リョーマは私の言葉を聞くなり真っ直ぐにこちらに来て、頭を撫でてくれた。

今日私は、ようやく大学一年次の全ての課題の提出を終えた。問題がなければこれで単位取得となり進級できる。肩の荷が一つ降りた感覚だ。これでこの先2、3月はリョーマのテニスと財閥のリモートに集中できる。

そろそろ夕食の準備をしたいところだけれど、今日私にはまだやることがあった。
『面談がしたい。時間取れるか?』
今朝、景吾さんから連絡が届いていたのだ。こちらは今夕方で、そして時差で時間の進んでいる東京は朝だ。この時間を狙って、このあとウェブ会議をする予定だ。

準備をして定刻に接続をすると、画面の向こうに会議室の椅子に腰掛ける景吾さんが映し出された。

「お疲れ様です。」
「ああ。顔を見るのは久しぶりだな。」

11月に自宅待機になってから景吾さんとは顔を合わせていなければ声も聞いていなかった。
見知った会議室に柔らかな朝日が差し込んでいる。あんなことがなければ今も出社してそこで働けていたのかもしれないとも思う。

「はい、なんだか懐かしいです。」
「だな。どうだそっちの生活は。」
「刺激的です。こんなに長く海外で過ごすのは初めてですから、驚くことばかりです。」

「どうも跡部さん。」
「ちょっと…!」

すると突然横からリョーマが顔を出し、画角に入り込んできた。リョーマが一緒なのは隠すことではないけれど、これは仕事の面談なのでさすがに憚られて、慌ててリョーマをカメラの外に押し出した。

「越前か。全豪、中継で見たぜ。しばらくハードの季節だからお前には有利だな?次はどこに出る。」
「そっすね。次はロッテルダム。」
「なるほどな。」

そんな会話をしてリョーマはどこからか椅子を引いて来て、私の隣の、カメラに映らないところに深く座った。退屈そうに、どこかじとりとした目で画面を見ている。

「名字。お前、全豪見てただろ?どこにいた。」
「どこって…客席にいましたが。」
「そうか…まあいい。リモートで回してる仕事はどうだ?やりづらくねえか?」
「? はい、わかりやすく手順も送ってくださるので助かっています。……っ!!」

そのとき突然、ずん、と膝に重み。リョーマが突然倒れて来て、私の脚を枕に寝転んだのだった。危ない。私とリョーマそれぞれが座る椅子二つを並べて、不安定な場所で横になっている。なんでこんな…。リョーマの頭を落とさないようにつま先を立ててバランスを取る。とんだ筋トレだ。むすっと目を閉じているリョーマは頑固に動かない。しかし景吾さんの質問は進んでいく。

「───今日のところはここまでだ。何かあればいつでも連絡よこせよ。」
「ありがとうございます。」
「それとな、余計なお世話かもしれねえが…」
「はい…?」
「…そのでけえ猫、ちゃんとしつけたほうがいいぜ。」

最後に景吾さんは呆れたような顔を作った。面談は終わり接続が切れると、膝に乗っていたリョーマはむくりと体を起こし何事もなかったかのように立ち上がった。

「…リョーマ。言われてるけど?」
「にゃー」

背を向けたままふてぶてしく鳴いて、リョーマは部屋を出て行った。








あっという間の休暇が終わり、ロサンゼルスを出発する日がやってきた。またスーツケースにたくさんの物を詰め込んで、日が暮れる頃、タクシーが来るのを家の中で待つ。

リビングに柔らかな冬の西陽が差し込んで、もう全ての暖房を切ってしまったけれど家の中は暖かかった。

車が到着し、2人で玄関を閉める。顔を上げれば空はオレンジ色で、明日もいい天気なるんだなんてと思ったけれど明日は別の国にいるのだった。



「おや、もう出発かい?」

隣のお家から犬を連れて出て来たご婦人が、タクシーに荷物を詰め込むリョーマに声をかけた。

「そ。オランダ行ってくる。」
「ガールフレンドも一緒なんだね。ナンジローがリンコを連れてここに来た日を思い出すよ。」
「パパラッチに売らないでよね。」
「生意気言ってんじゃないよ。私が口を割ったことがあったかい。こっちだって庭に記者が入られちゃあ堪らんからね。」

ご婦人はおおらかに笑ってリードを引いて歩いて行った。海辺が散歩コースらしく、潮風が吹く方へと向かっていった。

「空港まで。夕日見たいからなるべく海沿い走って。」

リョーマはタクシー運転手にそんなことを言ったので少し驚いたけれど私のために言ってくれているのだとすぐに分かった。ここがどんな街で、リョーマがここで生まれ育ったこと、私に見せてくれているんだ。

ヤシの木が静かに揺れる冬の晴れた海岸線。今にも沈む夕日が眩しくもとても綺麗で、空の橙が海に映って煌めいた。

「かける?」

そうリョーマは言って、自身の襟元に引っ掛けていたサングラスを私に差し出してきた。素直に受け取るもつい笑ってしまう。

「私も同じの持ってるよ。」

ハンドバッグの内ポケットに入れていたそれを取り出して見せれば、リョーマも「ああそうだったね」なんて、とぼけてみせて、私のそれをとった。
ツアーの始まりの地で、お揃いで買ったサングラス。いつかはどちらがどちらのものか分からなくなるくらいに一緒に過ごして、たくさん同じものを見たい。

綺麗な夕日を背に、私たちは次の街へと向かった。





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