サンダルウッドの情念
12.穴あき硬貨



「あ、リョーマちょうど良かった。」
「おかえり。出かけてたんだ。」
「ただいま。」

校内ランキング戦が終わって数日後。玄関で靴紐を結んでいると扉が開いて名前が帰ってきた。気が付かなかったがどうやら外出していたらしい名前は紙袋を抱えている。

「注文していたリョーマのレギュラージャージが出来上がってね。取りに行ってきたの。」
「ふーん。」
「もっと嬉しそうにしてよ。」

眉を下げて笑う名前は紙袋から青のジャージを取り出して、まるで自分のものかのように嬉しそうにそれを眺めた。

「明日から部活の時はこれ着てね。部屋に置いとく?」
「バッグに入れといて、絶対忘れるから。」

背負ったまま背を向けて名前にバッグを開けてもらう。中にジャージが収められると次にチャックの閉まった音がした。

「おせんべい入ってた。」
「あげないよ。」
「ケチ。ジャージあとで念のため丈とか見といてね。」
「ん。」

見送られて玄関を出た。今日は部活はないが、同じ部の同学年数名でカチローの父親が勤務するテニスクラブに行く約束がある。…どこにでもいるよね口ばっかり達者な奴って。品無く騒ぐマナーの悪い大人にテニスを『教えてもらった』のは名前には秘密だ。








今日からレギュラージャージを着ての練習となる。部室から出るとボールカゴを運ぶ名前と鉢合わせた。続いて出てきた堀尾たちが慌てて手伝いを申し出る。

「持ちます!」
「ありがとう。そこのコートに置いといてくれるかな。」
「はい!」
「あれ、このボール、色がついてる…?何に使うんですか?」
「ふふ。秘密。」

名前が笑顔を見せると、男子三人が固まった。みるみる顔が赤くなって、失礼しました!なんて荷物を持って走っていく。あーあ。
不思議そうな顔をしてそれを見送った名前はこちらを振り向くとパッと表情を明るくさせた。こんなことで息が止まるんだから俺も大概だ。

「サイズ良さそうだね、よかった。」
「…まあね。」
「今日からレギュラーは乾先輩が組んだ特別メニューだって。楽しみだね。」
「…?」

花のように微笑んで、名前はまた倉庫へと戻っていった。



意味深に言った理由はすぐに分かった。乾先輩の考案した練習メニュー、それは足にパワーアンクルを付けながら動体視力、そして精密さ求められるプレイを長時間行うというもの。このパワーアンクルの鉛の枚数は次第に増やしていくらしい。あまりのハードさに地面に転がった。

「毎日2本ずついこう。」「飲めよ。」
ヤな先輩たちに言われてしまったので今日から我が家の冷蔵庫には牛乳が常備されることになるのだった。








「おかえり。今日も遅かったね。」

明日からいよいよ地区大会が始まる。桃先輩と作戦会議をしていたら遅くなってしまって、家に着くと名前は出かけようとしているところだった。

「まあ、ちょっと桃先輩とね。」
「昨日もハンバーガー食べに行ってなかった?仲良いね?」
「別に。」

確かに昨日の部活の後は一緒のタイミングで腹の虫が鳴いたので桃先輩に誘われてファストフード店へ行った。でも帰りが遅くなった一番の理由は、そのあとストリートテニス場に寄り道をしていたからである。生まれて初めてのダブルスの試合は情けない結果となった。負けず嫌いに火がついた俺と桃先輩は公式戦で雪辱を果たすことを誓ったのだ。それを宣言すると顧問のおばさんは渋い顔をしていたけれど。

「それより名前はこんな時間にどこ行こうとしてるの。」
「お寺。」
「?…ああ。」

そういえば校内ランキング戦の前日も名前は…

「みんなが怪我しませんように、って。」



もう辺りは薄暗いので一人で行かせるわけにもいかず、照明の乏しい石階段を登れば案の定名前は躓きそうになったので慌てて腕を捕まえる。

「あんたが怪我しちゃ世話ないよ。」
「ごめんね、ありがとう。」
「ほんと部活以外だと緊張感ないよね。ま、いいと思うけど。」
「褒めてるの?」
「あんまり。」
「ふふ。」

階段を上り切って門の前に来ると名前は足を止めてお辞儀をしたので、見様見真似で腰を曲げた。

「…?」
「リョーマって、あんまり他のお寺にもお参り行ったことない?」
「うん。寺って聞くとテニスするところって感じがする。まあさすがにそれはうちだけだろうけど。」
「そっか、向こうで暮らしてるとこういう機会もあんまりないよね。」

寺。いまいちピンとこないがおそらく教会のような神聖な場所だろうとは察しているが。
LAで通っていたセイントユース小学校は名前の通りカトリック系の生徒が多く、教会も学校の行事で何度か行ったことがあるが、それだけだ。でも確かマナーや決まった様式があったはずなので、きっと日本の寺院にもそういうものがあるのだろう。

「教えてくれる?お参りの仕方。」
「もちろん!」

名前は目を光らせた。

「と言ってもうちはそんなに堅くなくて、お父さんもよくこういうのは気持ちの問題だって言ってた。だから私もお参りじゃないときはそんなに気にしてないんだけどね。」

門を通る前には頭を下げる。水で手と口を清める。本堂の賽銭箱にお金を入れて手を合わせる。お祈りをして辞儀をする。最後にもう一度一礼しておわり。だそうだ。

「よく聞く二礼二拍手一礼ってあるじゃない?あれはね神社だけなんだよ。お寺では拍手はしちゃいけないの。」
「ふうん。」

正直そのニレイなんとかというのも聞いたこともないし神社というのもこことどう違うのかよく分からなかったが、名前が楽しそうにしているので良しとする。

「明日がんばろうね。」
「ん。」

本当は名前に明日のオーダー聞き出したかったが、まあ明日顧問のおばさんから発表があるだろう。楽しみは取っておくことにした。




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