サンダルウッドの情念
13.視線の音




「リョーマ時間はいいの?名前ちゃんは先に行ったみたいだけど。」
「青学は第一シードだから1時間遅くていいんだ、桃先輩も迎えにくるし。名前は会場でやることがあるって。」
「あらそう。」

食卓に牛乳が並べられていて朝から嫌な黒縁メガネが思い浮かぶ。
母さんは洋食が好きだ。別にいいけどたまには和食が食べたい。父親にちょっかいを掛けられながらクロワッサンを齧っているとちょうど桃先輩が迎えに来たので、自転車の後ろに飛び乗った。

「サンキュー桃先輩。」
「いよいよだな。ばあさん良いオーダー作ってくれてっかなー!」
「楽しみっスね。」
「だなー!ていうかお前はもう名前から聞いてんじゃねーの?」
「…なんで名字先輩?」
「聞いてねえならいいや〜」
「?」

桃先輩は初めて会った時から冗談なのかよく分からないことを度々口にする。実際名前からは聞き出せなかったしそこでどうして名前の名前が出てくるのかよく分からない。

「そうだ越前。知ってるか?マネージャーって試合中はベンチに入れないんだぜ。」
「そうなんスか?」
「だからよいつもは名前がやってくれっけどタオルとかドリンクとか今日は自分たちでやらねーとな。」

そうなんだ。知らなかった。



会場に到着するとおばさんがオーダーを発表する。希望通り。第一試合は桃先輩とのダブルスだ。試合開始に備えてコートに入る。ベンチにはタオルやドリンクが綺麗に並べられていた。

「越前―、それとってくれ」
「それって何?」
「お前の尻の下にあるそのタオルだ!!」

…。名前は前にマネージャーの仕事は難しいことじゃないって言ってたけど俺には絶対にできないな。


横目に名前を見れば、真剣な目でコートを見ていた。







初戦はストリートテニスでダブルスで負かされた因縁の相手。確かにシングルスならこっちに分があるけど、相手の土俵で叩きのめした方がユカイだからね。なんて啖呵を切っておきながら。

「バカモノ。勝ったからよかったものの!」

ダブルス相手にシングルスで迎え撃つという荒技におばさんはかなり腹を立てていたが勝ったんだから別にいいじゃんと思う。
なぜか正座させられるし次の試合は補欠にされるし。

「あれ越前どこ行くんだ?」
「ファンタ飲んでくる。」

初戦通過で盛り上がっている輪に入る気分にならず背中を向けると近付いてくる足音に、歩幅を狭めた。

「拗ねてるの?」

自動販売機までついてきて、名前がいたずらっぽく言った。

「別に…」


「ほら。あの子だよ青学のマネージャー。」
「ほんとだ。良いよなあ女子マネ。今朝も部員より早く来てドリンク作ってたらしいぜ。」
「健気だよなあ。あんな子いたら好きになっちゃうよなあ。」
「なー。取り合いだよ取り合い。」


「…」

遠くの方でそんな噂話が聞こえる。益々虫の居所が悪くなる。名前は聞こえていないのか、私もなんか飲もーと呑気に小銭を数えていた。

「今日の大会リョーマ目立ってるよね。オーダー出しに行ったときも注目浴びてたし。」
「どっちが…。」
「?」





名前のことを変な目で見てた奴らは準決勝の相手で。補欠と言われたので大人しく座って見ていたが、本当は俺が倒してやりたかった。先輩たちがコテンパンにしてくれたからいいけど。ため息をつくと顧問のおばさんに応援くらいせんかと咎められた。





順調に駒を進めた地区大会決勝戦。ダークホースかなんか知らないけれど真っ黒のジャージに身を包む不動峰中はノーシードから決勝戦に上がってくるだけあって実力は確かなものだった。
強烈なフラットショットに腕を痛めた河村先輩と不二先輩が棄権。ダブルス2は黒星となる。


乾先輩と共に冷却スプレーを持ってコートに入った名前は、アイシングを済ますと顔を上げた。

「今から病院行ってきても良いですか先生。」
「ああ、頼む。」
「河村先輩、病院はそれほど遠くはありませんが、歩きますので。腕以外は大丈夫ですか?」
「うん、ごめんね。よろしく頼むよ。」

すっかりバーニングが解けた河村先輩は弱々しく猫背になっている。対照的に名前はいつもの笑顔は見せず、凛と真っ直ぐに前を向いていた。


「皆さん。あとはよろしくお願いします。」




河村先輩と名前が病院に行ってからというもの空気が締まった。お調子者の菊丸先輩もまた真っ直ぐに前を向いていた。


「名字先輩なんかすごい迫力…。」
「いつもと違うね。」


1ヶ月ほど前、野試合で顔を怪我して帰ったときの名前の顔を思い出す。あのときの名前もそうだった。治療の手際が良く、そして真剣で、驚くほど強い目をしていたのだった。



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