サンダルウッドの情念
3.縁側の木目




「起きろ青少年、行くぞ。」
「…うぅ……。」

まだ眠っていたいのに父親に叩き起こされ玄関を出る。最近は毎朝こうだ。

「今日は縁側の雑巾掛けだ。水汲んでこい。」
「……」

掃除は嫌いだ。でも渋々にも素直に手伝っているのは終わったら目一杯テニスができるから。
親父が住職になった日に作られたテニスコートは、最初こそ「そんなもん寺に作っていいの?」と思ったが、それが元住職、つまり名前の父親に出した条件だったそうだ。不在の間住職は引き受ける、その代わり庭にコートを作らせろ、と。
父親と名前の父親は古くからの友人だったらしい。

不揃いの石が積まれている鐘の吊された鐘楼の壁も、壁打ちには最適だった。デコボコした石壁は不規則にボールが跳ねる為、ステップの練習などに有効だった。
こういった寺の設備を練習に使うことも最初こそ躊躇ったが、親父曰くこの寺は俺のものだから俺がいいなら良いんだなんて言うし、念のためたまたま練習中に居合わせた名前に尋ねれば同じような反応が返ってきたのでそういうことなんだと思う。

『親父はそう言うんだけど、いいの?この上の鐘、一応神聖なものなんでしょ。』
『このお寺は越前さんのものだからね。越前さんが承諾していれば問題ないよ。』
『ふーん。』
『それに昔ね。ずーっと昔。お寺は武術の練習の場にもなっていたの。だから武道はよくてテニスがダメな理由なんてないと思うよ。』

難しい話は苦手だけれど、名前の話す言葉は耳心地がよかった。どうしてだろう。先日言った通り名前は頻繁に寺の手伝いに来ては俺と少し話して帰っていく。初めて会ったはずなのに不思議と、そう、悪くない。




長い縁側の雑巾掛けがやっと終わり、思わず深い息を吐いた。ふう、これで今日の掃除は終わり。さて、やっとテニスができる。

「おはよ。」
「!」

声がして、顔を上げると制服姿の名前が立っていた。

「お疲れ様。お掃除、大変だったでしょう。」
「…おはよ。それ制服?いま春休みじゃなかったっけ。」
「私ね、今日から部活復帰するんだ。」
「部活?」

名前は中学生で、次の4月から2年生になるらしい。最初聞いた時は年上だったとは、と驚いたが、今更態度を変えるのも違う気がしてこれまで通り名前と呼んでいる。

「部活休んでたの?」
「お寺の引き継ぎとかでバタバタしていたからね。でも越前さんが来てくれたから。」

いつものような落ち着いた話し言葉に、いつもよりも明るい声色を感じる。

「嬉しそうだね。」
「うん。私ね、青春学園の男子テニス部でマネージャーしてるの。」
「……へえ。」

嬉しそうな様子の名前を見てこちらも微笑ましくなる反面、雷が落ちるような衝撃を受けた。

「テニス見るの好きなんだ。だからリョーマの練習見るのも好き。リョーマは4月から中学だっけ。」
「…まあね。」
「テニス部入るんでしょ?あ、そういえばどこの学校なの?」

こんな偶然あるんだ。同じ学校、しかも同じ部活だなんて。案外世間は狭いのだと思い知る。でも自分ばかり驚いていてもつまらないから

「残念。青学以外のところ。」

嘘なんかついてみたりして。

「なんだそうなの。じゃあライバルだね。なんて学校?」
「ナイショ。」
「ふふ。なにそれ。」
「時間いいの?遅れるよ。」
「もー話題逸らすんだから。」
「いってらっしゃい。」
「うん。いってきます。」

4月から楽しみだ。学校で再会した彼女の反応を想像して喉の奥で小さく笑った。



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