サンダルウッドの情念
20.昂



いよいよ都大会の組み合わせが決まり、乾先輩の指示のもとゾーン練習を始めとした本格的なメニューが組まれた。ついでに練習のペナルティに変な汁を飲まされるという謎儀式が定着化してしまい、負けたくない、と、飲みたくない、の二つの意地でみんな気合いに火がついていた。




大会前日。
朝から寺に向かうとカルピンがついてきた。ボールをひとつ渡すと抱えて後ろ足で蹴り上げ始めた。可愛い。ひっくり返りながらボールと闘う愛猫を横目に、鐘楼のデコボコした壁にボールをひたすら打ち続けた。


しばらくそうしていると名前もやってきて、いつもみたいに本堂に賽銭を入れて手を合わせた。練習の手を止めて名前の横に立ち、同じように手を合わせた。大会が始まるなあと実感する。

「楽しみだね。」
「ん。」

顔を上げるといつも通りの笑顔を見せる名前に安心して、もう一度石壁に向き合おうとラケットを握ったが。

「…あれ?」
「どうしたの?」
「カルピンは?」

先程までコートのベンチのあたりで遊んでいたのに。

「家に戻ったのかな。私探してくるね。」
「サンキュ。」
「リョーマはしっかり練習してて。」


カルピンは基本的に家猫なのであまり散歩はしない。
寺は家の延長線みたいなものだからよく今日みたいについてくることもあるが、ひとりでどこかへ行くのはあまりなかったのに。


名前の言う通りしばらく打ち込みを続けたがやっぱりカルピンのことが気になって練習を引き上げた。


「おかえりなさい。」
「ただいま。カルピンいた?」
「それが…この近くも見回ってるんだけど見当たらなくて。」
「わかった。俺も行く。」

とりあえずラケットを置きに二階に上がった。名前は暗い顔をしている。

「名前、カルピンのご飯持ってって。つられて出てくるかもしれないし。」
「うん。」
「大丈夫だから。」
「うん…。」

あとはカルピンの好きな猫じゃらしでも持っていこうかな、床に転がったそれを拾い上げたとき。

「おーい越前!!」
「え、」
「名前、座ってて。」

窓の外を伺えば、やはりその声の主は桃先輩で。

「お前んとこのネコだろ、こいつ!?」
「ホァラ」

見ると、カルピンが行儀良く桃先輩の自転車のカゴに入っていた。なんだよお前心配したのにそのふてぶてしさは!手にしていた猫じゃらしを振ってみせるとカルピンはこちらに首を伸ばした。

「サンキュー桃先輩!」

安心したら気が抜けて。練習を中断したことを思い出して。いいところに桃先輩もいるし。

「そーだ、ちょっと打っていきません?」
「?」
「今そっちいくんで。」


窓を閉めて振り返ると、名前も安心した様子でため息をついていた。その頭を軽く撫でると気持ちよさそうに目を細めた。猫みたいだなあと思った。

「名前もサンキュ。心配してくれて。」
「うん。」
「ちょっと出てくる。」
「ん。いってらっしゃい。」






「すげーなお前ん家、コート持ってんのかよ!」
「知り合いのボーさんのコートっスよ。」

軽い打ち合いと言ったものの、桃先輩は前よりずっと重い球を打ってくる。桃先輩は先日ストリートテニスで氷帝学園の部長と鉢合わせたらしく、それ以来妙に燃えているのだった。


「なあ越前…明日は暴れまくってやるぜ!」
「ふーん。残念スね桃先輩…俺の方が暴れまくりますから!」


辺りが暗くなるまで汗を流した。そろそろ終わりにしないと。桃先輩がラケットをバッグにしまったので一緒に寺の門を抜ける。
石階段を降りながら、桃先輩は言った。

「大会前にお前と打てて良かったよ。気合が入った。」
「俺もっス。」
「なあ越前。」
「はい?」
「ここ、名前の家の寺だよな?」

桃先輩はこちらを振り返ってニヤリと笑った。

「お前の言う、知り合いのボーさんって……」



いつも騒がしいように見えて、桃先輩って勘がいいというか、なんというか…








「ごめん、桃先輩にバレた。」
「え?」
「一緒に住んでるってこと、知られた。」

帰宅して、風呂場でカルピンを洗っていた名前にそう伝えるとこちらを振り返って目を丸くした。その名前を直視してこちらも思わず目を丸くした。ええ…ずぶ濡れじゃん…。

家のことはバレたというか、バラしてしまったというか。
桃先輩が変なこと言うからつい余計なことが口から出てしまって。



『で?結局お前と名前ってどんな関係なんだ?』
『どういう、って…』
『お前、好きだろ?あいつのこと。』
『…別に。たまたま一緒に住んでるってだけで、それ以上は』
『はあ?!お前ら一緒に住んでんの?!』
『やべ』
『…はー、すげえなお前。俺だったら……』




「…桃先輩は黙っててくれるって言ってたけど。」
「うん、桃なら大丈夫だと思うけど、…わ!カルピン待って!」
「ほぁら!」
「こらカルピン!じっとしてろよ。」

名前の手をすり抜けて泡だらけのカルピンが逃げ出そうとしたので咄嗟に捕まえた。

「びっくりした〜。カルピンもう少し我慢ね?」
「ホァラー」
「いい子いい子。偉いね。」
「…」


―――すげえなお前。俺だったら、同じ屋根の下に好きな女がいて手出さない自信ねえよ。



カルピンを抱えながらシャワーで泡を流す名前のTシャツはみるみる水を含んで、肌に張り付き、ついには下着が透けて…
名前は気付かず作業を続ける。濡れた衣服のせいで体のラインがはっきり分かった。


「俺も自信ない。」
「…?明日の試合の話?」
「それは自信しかないけど。」
「ふふ。頼もしい。あ、そうだ。私明日も準備あるから先に出るね。」
「ん。…あと俺代わるから、名前上がっていいよ。」
「ありがとう。じゃあお願い。」

名前は立ち上がるとTシャツの濡れた裾を絞って風呂場から出て行った。引っ張られたTシャツは背中にぴったりとくっついて全部が透ける。そして驚愕したのはその腰の細さ。

はー…。

重いため息が出る。カルピン。good jobだよ。目に焼き付いた光景に頭を抱えた。



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