サンダルウッドの情念
25.言いたいこと


不二先輩の勝利が決め手で青学は都大会ベスト4に進出。関東大会への切符を手に入れた。

都大会1日目を終えて帰り支度をする中でそういえば菊丸先輩が負けたら飯奢ってくれるって言ってたのを思い出したが気付いたときには先輩の姿はなく、桃先輩と顔を見合わせた。
「逃げられた!!」



仕方がなく大人しく帰るとして、これまた姿の見えない名前を探しにきたらこれだ。

「名前。帰るよ。」
「あ、待って今行く!じゃあ裕太くん、またね。」
「ああ。」
「…行くよ。」
「わ、」

早足で名前の腕を引いて歩いた。なんで他校のやつと。何を二人で話すことがあんの。

「リョーマ、速いよ、」
「名前が遅い。」

勝ったのに。俺そいつにテニスで勝ったのに。名前は俺じゃなくてなんであいつと話してんの?

家路に向かうバスに乗り込んだ。隣に座った名前は途端に小さく咳き込んで、驚いてそちらを見れば肩で息をしていることにやっと気付いた。

「…リョーマ、落ち着いた?」
「最初から落ち着いてるし…。」
「じゃあ私の話聞いてくれる?」

名前の腕を掴んだままだった俺の手に、そっと自分の手を重ねてきた。汗ばんでいてひんやりとした手。

「…なに。」
「あのねまずちょっとだけ痛いの。」
「あ、ごめん。」

確かに感情任せに引っ張ってきてしまったかもしれない。腕を解放すると名前はやっと笑ってくれた。

「不安なの?」
「不安ではないけど…」
「うん。」
「ただ、…心配なだけ。」
「うん。ごめんね。」

隣に座る名前がバスの揺れに合わせて時々こちらの肩にもたれては離れた。珍しく帰り道にも解かれていないポニーテールに、帰り支度もろくにさせずに引っ張ってきてしまったことを思い知らされて罰が悪くなった。バスが大きなカーブに差し掛かったとき遠心力で名前の毛束が揺られてこちらの首をくすぐった。

「…さっき、裕太くんが言ってたんだけど」
「?」
「左目の怪我、今でもプレイに影響あるの?」
「…あ、」

大会中、アイツが言っていた。『君の弱点をまざまざと増やして。あの子はマネージャー失格です。』
違う。違うから、名前。

「でも裕太くんは知ってて狙わないでくれたみたい。真っ向勝負がしたかったから、って。」
「…」
「ねえ、リョーマ。もしあの時…」
「名前、だめ」
「……リョーマが瞼を切った時。すぐに棄権させてあげてたなら…」

…ガコン!

「っ、あ!」
「え、」
「やば。降りるよ名前!」

バスのブレーキで前のめりになって顔を上げるともう降りるはずのバス停に着いたようで、慌ててラケットバッグと名前の腕を引っ掴んで降車した。

「危な…。」
「乗り過ごしちゃうところだったね。」

走り去るバスを呆然と見送って、ふと振り返れば名前も同じく呆然としていて。

「間抜けな顔。」
「へ、」

名前。

ぼんやりしている名前の手を取って、自らの左目の前にかざした。

「なんともないから。」
「ほんとうに…?」
「名前があのとき、止めないでくれたから。だから怖くないし死角でもない。」
「…」
「ありがとう。俺のやりたいようにやらせてくれて。」

目を閉じて少し待つ。名前の柔らかい指先が優しくそっと左瞼に触れた。

「ね?逃げないでしょ。」
「……うん。」
「俺が平気だって言うんだから、信じてよ。」

遠慮がちに離れたその手に、今度は指を絡めた。
名前は一瞬驚いたように目を丸くさせたが、構わず歩き出すと振り解くことなく半歩後ろをついてきてくれたので、ああ、もう。





通学路をしばらく歩いて寺の屋根が見えた頃、どちらかともなく繋いだ手を解いた。
無言でここまで歩いてきてしまった。顔を見られたくなくて、名前の顔を見ることができなかった。情けなくて。俺はとにかく顔が熱くて熱くて堪らないのだ。こっそりと名前の様子を伺えば、なんと耳まで火照って今にも泣きそうな顔をしていたのでギョッとしてしまった。

「だから繋がないって言ったのに…」
「ごめん、嫌だった…?」
「だって、」
「名前?」
「……離しちゃヤダ、…って、言いたくなる。」
「もう言ってんじゃん…」

なんて可愛らしいんだろう。思わず吹き出してしまって、それにむくれる名前もまた可愛くて。

「もっかい繋ぐ?家まで。」
「家はやだ。」
「俺は別に気にしないけど?」
「、今日はもうおしまい!」


名前は突然走り出した。それで逃げたつもり?無理でしょ。嫌がる名前の手をもう一度とって引きずるように玄関をくぐれば出迎えた母親に「あら仲良しさんね!」と言われた。
「まあね。」
平然と返して振り返れば名前はぐったりとうな垂れていたのでまた吹き出してしまった。




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