サンダルウッドの情念
26.こしあんの呪い



「どこ行くんだよ親父」

せっかくのオフだっていうのに叩き起こされて何故か車の助手席に詰め込まれた。眠いんだけど。

「……それで何回か電話してる内にちょっとコーチにと頼まれちまってなぁ。…お前も食うか?」
「ん。」

まんじゅう。一体どこからもらってくるのか、家には親父宛らしい銘菓がよく置いてある。あ。こしあんだ。うまい。

「名前ちゃんも食うかい?」
「えっ、」
「わ。なに、リョーマ。びっくりした。」

いつからいたんだ。声のする方を振り返れば確かに名前が後部座席に座っていて。親父から差し出されたまんじゅうの箱を受け取っていた。

「なんだ青少年やっと目が覚めたか?」
「…」
「今日はねカルピンの病院。おばさんから頼まれたの。」
「ホァラ」
「ああ、そう…」

よくみればペット用のキャリーも積まれていてこれから何をされるのか気付いていない愛猫は呑気な顔をしている。

「だからお前を送ってくのはついでだよ。」
「?待って親父俺どこに連れてかれんの?」
「何ってコーチだよ。俺は仕事が入ってな。かわりにお前がいけ。」
「ヤダ!何で俺が。」
「ほれ着いたぜ名前ちゃん。リョーマお前も降りろ。こっから歩け。すぐそこだからよ。」
「ちょ、ちょっと親父!」
「嫌とは言わせねぇぜ。さっきのまんじゅうコーチのお礼にもらったモンだ。頼んだぞ孝行息子よ。」
「あっ、待っ…!!」

ラケットも帽子も車から投げ出され親父はあっさりどこかへ走り去ってしまった。
無理無理。無理なんだけど。人のコーチとか柄じゃないってば。

「…」
「諦めるしかないんじゃない?」

名前もさすがに苦笑いしていた。親父のああいう突拍子のないところちょっとどうかと思うよね。


「キャーッ本当に来てくれたよ!!リョーマ様!!」

「…」

突然の黄色い声。
…聞き覚えがある、確かこの声は————

「二人ともこんにちは。えっと桜乃ちゃんと…」
「え、名字先輩も一緒なんですか?!」
「ちょっと朋ちゃん…!」
「そう、朋ちゃん、ね。こんにちは。」
「あはは、こんにちは〜。」

…めちゃくちゃ気まずいんだけど。
いつかの校舎裏、名前の肩越しにこの女子たちと目が合ったのだった。思えばそれ以来現れる頻度が減っていたような…?

「じゃあリョーマ私行くね。カルピンの病院終わったらまた寄るから。」
「俺が病院がいい…」
「そんなこと言わないの。女の子からのご指名じゃん。」

まんじゅう、食べなきゃよかった。ついため息を溢せば嫌に作った笑顔で返された。

「…テニス見るだけ。」
「そう。リョーマはテニスを見るだけ。」
「……わかった。」

自分で勘付くのも小っ恥ずかしいけどどこか口角が上がってしまうような気分にもなる。
ねえ、名前。相当我慢しているでしょ。





名前とカルピンを見送ってとりあえずは二人に壁打ちをさせてフォームを見ることにした。しばらくそれを後ろから眺め、コーチったって何をすればいいのか分からないけど気付いたことを指摘してみる。女子たちは楽しそうにしている。嗚呼カルピン。今頃診察受けてるのかな。あいつ病院嫌いだからなあ。ぼんやり物思いにふけっていると竜崎が力んだフォームでラケットを振るった。

「あ」

大きな放物線を描いてボールは飛んで、遠くへ遠く、そして見えなくなった。

「ボール探して来ますっ」
「桜乃一人で平気?」
「大丈夫…!」
「…」
「…」

嫌な沈黙が流れた。いやいや。一緒に探しに行けばいいじゃん…。小坂田と二人きりになってしまって居心地が悪く帽子を被り直した。
特に話題もなく無言が続くと小坂田は竜崎の駆けて行った方を見たまま口火を切った。

「リョーマ様、」
「…なに。」
「名字先輩とは付き合ってるの?」
「…それを聞くために今日呼んだの。」
「違う…!桜乃は本当にテニス上達したいと思ってて、それを聞いた桜乃のお婆ちゃん、竜崎先生が張り切って話をどんどん進めちゃって、」

…なるほどね。あのおばさん猪突猛進だからなあ。

「…やっぱり名字先輩がリョーマ様の彼女だっていうなら、お二人に悪いから今日はもう桜乃のボール見つけたら帰ります。」
「…彼女じゃないんだけどね。」
「え?でも」
「うん。そのうち彼女になってもらうつもり。まだ俺が伝えられていないだけ。」

誰にでも優しい名前の、時たま見せる電光石火のような言動も全部。
名前のこともっとよく知って、ちゃんと好きになって、好きになってもらって、そしたらちゃんと付き合いたい。そう言ったのは俺だから。

「そっか…。でも私はリョーマ様のファンだから!これからも試合見に行くし応援もいっぱいするんだからね!!」
「…そう。」
「じゃ、私桜乃探してきまっす!」

小坂田は一転晴れやかな顔をして言い放つと背を向けて走り出した。
とりあえずコーチは無事解約かな。


ホッと胸を撫で下ろして壁打ちでもしようかとバッグからラケットを取り出したところで遠くに名前の姿を見つけた。危ない。今の会話聞かれていたら俺の何かが減っていた。
名前はキャリーを大事そうに抱えてこちらへゆっくりとやってきた。

「早かったね。」
「うん。カルピンいい子に頑張ってたよ。毛並みも褒められちゃった。」
「そう。よかった。」

キャリーの中を覗き込んだ。網目の隙間から指をいれてカルピンの鼻に触れる。よく頑張ったねカルピン。


「…そういえば女の子たちは?」
「ああ、それが…」

「リョ、リョーマ様!桜乃が!!」


静かな空間に大きな声が響いて小坂田がこちらへ慌ててやってきた。







小坂田の話によると竜崎が他校のテニスコートにボールを入れてしまったとかでトラブルに巻き込まれているとのことだ。隣を見れば名前はその話を静かに聞いていた。

「行ってあげなよ、王子様。」
「なにその言い方。」
「きっと桜乃ちゃん困ってるから。助けてあげて。」
「…名前はここにいる?」
「うん。カルピンいるしね。」

ぐっと堪える。仕方がない、知ってしまった以上サジは投げるなんてカッコ悪いこと名前の前ではできない。
ラケットひとつ掴んで背中を向けた。

「ごめん、バッグとか置いてくけど。」
「うん。」
「すぐ戻ってくるから。」
「うん。」

小さく手を振る姿に後ろ髪を引かれながら小坂田のあとを追いかけた。
公園を抜けるとそこには無数に転がるボールの中、竜崎が青い顔をして男たちに囲まれていた。



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