サンダルウッドの情念
27.対峙揺れるそれら



竜崎のボールを他校から取り返すついでに山ほどボールを持ち帰って、そのときは「こんなにボールどこに置くの」なんて呆れて笑っていた名前が、家に着くなり部屋に閉じこもってしまった。

暗くなるまで隣の部屋はずっと静かで、恐る恐るノックをして扉を開けた。

「名前。晩ご飯できたって。」
「はぁい。」
「電気くらいつけなよ。」

ベッドに横になっていた名前は眠っていたわけではなさそうで、ゆっくり起き上がるとぼんやりとした目をしながら部屋を出ようとした、そのとき。あれ。

「ねえ。」
「…」
「なんか煙草の匂いすんだけど。」

思わず手を引いて引き留めると名前は作り笑いを浮かべた。だからその顔やめなって。

「そう?おじさんの煙草じゃない?今日車乗せてもらったし。」
「親父の煙草の匂いじゃないよ。…なんかあった?」
「なんかって何?なにもないよ。」


目を合わせて言うのに届いてない。優しく微笑みこちらを見る名前は全く俺の言うこと聞いていない。
こういうとき名前に本当のことを言ってもらえるにはどうすればいいのか俺にはまだ分からない。

「…大丈夫じゃなくなったらちゃんと俺に言ってくれる?」
「うん。いつもありがとね。」

違うよ。何もできてないよ。
なんと返せばいいのか分からず口籠ると、名前は声を落としてこちらを見た。

「リョーマ。」
「なに。」
「今日変わったことなかった?」
「…? 帰り道に話した通りだよ。竜崎のボール隠されたからゲームもちかけて勝って、それであいつらからボールもらって帰ってきただけ。」
「だよね。」
「?」

よく分からないまま濁されてリビングに向かうと食卓に着いた名前はいつもの調子で「美味しそう」と明るく言った。






翌、月曜日。今朝は朝練がないので、学校に向かう前に寺に向かった。朝食の時に顔を合わせた名前はやっぱりいつも調子に戻っていたので、もしかしたら本当になんでもないのかもしれない。考えすぎか。いやでも。
モヤモヤ悩むのも性に合わない。
バックからラケットを取り出すとそういえばいつも丸めて底に入れているレギュラージャージが綺麗に畳まれていることに気付いた。

「遅れちゃうよ。」
「…名前こそ。」

聞き慣れた声に顔を上げると制服姿の名前がいて。名前はうんと伸びをして珍しいことを言ってきた。

「私も打っていい?」
「できるの?」
「もう、これでもテニス部なんだけどな〜」

クスクスと笑いながら名前は髪を束ねた。部活中だってラケットを振っている姿は見たことがないから本当に珍しい。学ランをベンチに放って名前に予備のラケットを差し出した。

「これ使って。」
「ありがと。」

ふわり、ひらり。
向かいのコートでスカートとポニーテールとがゆらゆら揺れる。
…流石にその格好では激しく動かないほうがいいと思う。返しやすいだろうところを狙って軽いボールを打ち返す。セーラー服が風をふくんだ。白い太ももが晒されて目がくらんだのは黙っておこう。
決して強くはないけれどそれなりに正確な球が返ってくる。球出しくらいは部活でやっているのかもしれない。最近は専らその役割は乾先輩だけど乾先輩がレギュラーの頃はそんなこともあったのかも。打ちやすいボールだ。

軽くラリーを繰り返し、身体が温まってきたところで時計を見た。そろそろ学校の始まる時間だ。

「さぼっちゃう?」
「それもいいかもね。」
「冗談だってば。」

名前側のコートに入って一緒にボールを拾った。ネットを越えなかったり取れなかったボールが名前のコートにはいくつか転がっていた。

「これじゃあリョーマの練習にならないね。」
「たまにはいいんじゃない。楽しいじゃん。」
「うん。楽しい。」

拾ったボールを名前の持つラケットの面に乗せていくとそのうなじに沿う、束ね損ねた後れ毛が気になって、そういえばいつかそのポニーテールを引っ張ってやりたかったのだと思い出す。近づいて手を伸ばせば、するりと指と間から抜けていく、柔らかい髪。

「…?なんかついてる?」
「髪、仕舞えてないのがあったから。」
「うそ、どこ?」

手が塞がっている名前は背中を向けて首筋を差し出してきたからムッと思った。それ他の人にしないでよね。ポニーテールになれなかった毛束をすくってやると名前は小さく笑った。

「ここ。」
「ふふ、くすぐったい。リョーマ、ラケット持っててくれる?」
「…」

いつか引っ張ってやりたかったんだ。
するり。髪ゴムに指をかけて引き抜いた。はらはらと後ろ髪が肩にかかって、名前は目を丸くしてこちらを振り返った。名前のラケットからぽろぽろと数個ボールの溢れる音がした。
どっちも好きだなと思う、上げているのも下ろしているのも。

「じっとしてて。」
「?」

不思議そうな顔をしてこちらを見る名前の後ろに回ってうなじに指を入れて髪を絡めた。

初めて会ったときから思っていたが名前はいい香りがする。寺の匂いのような落ち着く香り。

「縛ってくれるの?」
「ん。…くすぐったい?」

尋ねれば名前は静かに首を横に振った。
見様見真似。いつも見ているみたいにひとつにまとめて結い上げた。しっとりと汗をかいた首筋に目がいく。出来心。密かに。後ろ髪にキスをした。




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