サンダルウッドの情念
36.原動力


ボーリング場からの帰り道。先輩たちと解散して名前と並んで家路へのバスに乗った。
バスが揺れて肩が触れる。名前は窓の外を見ていた。
手塚部長が怪我の治療で九州に行く。そう知らされて。部長が怪我をしてから名前と部長の距離が近い気がして。さっきもボーリング場を二人で抜け出していた。

どこか、自分だけが特別でいる気がしていたから。今日見た静かに部長の隣に居る名前はなんだかいつもと違って見えて、いや誰にだって優しいのが名前なんだけれど、でも部長と名前にはどこか特別を感じざるを得なかった。

無言でバスに揺られる。
その場凌ぎ。悪あがき。このままでは名前がどこかにいってしまう気がして、つい咄嗟に言葉が口から滑り出る。

「ごめん、昨日の試合のあとのこと。」
「…。」
「勝手なことした。ごめん。」
「なんのこと?私は全然気にしてないよ。」

軽い調子で笑って、名前はこちらの肩にもたれかかって目を閉じた。着いたら起こして、と言って。
分かってた。こうなることは分かってたから簡単には謝っちゃいけなかったのに。くそ。
身体は密着しているのに、心がずっと遠くにある気がする。それでも伏せた長いまつ毛、髪の香りに心拍は上がるのだから俺は救いようがない。




そして翌日。あっという間に手塚部長は九州へと立ってしまった。三年生はみんな空港まで見送りに行ったようだ。もちろん名前も。人数の少ない静かな放課後に、俺はひたすらに落ちてくる葉を目掛けてボールを打ち込む。


『越前も強いけど手塚の一年の時の方が凄かったよな!落ちてくる葉っぱにサーブを当てるやつ。26枚連続で当てた記録はもう誰も破れないだろうなあ。』


見送りにはいかなかった。弱いままの自分が、まだ勝つことができない自分が、見送りなんて。









来たる関東大会2日目。
初戦から週を跨いだ今日、全国行きをかけた緑山中の試合が始まった。

全国。部長がよく口にしていた。そして、名前も。いまの三年と絶対に行きたいんだと言っていた。

元プロのコーチがついて本格的なレッスンを積んでいるのだという緑山中。ダブルス2試合、シングルス1試合を難なく突破し、気付けば危なげなく青学のストレート勝ちとなった。
桃先輩と菊丸先輩のペアが最後の一点を決めたとき、それまで眉間に皺を寄せてラリーを見つめていた名前は緊張が解けたかのようにその場に座り込んで少し泣いていた。

「使う?」
帽子を差し出すとくしゃりと笑ってありがと、と言うので、目深に被せてやると震える声でもう一度ありがとうと言われた。

あくまで俺の原動力は自分だ。自分の心だ。誰かのためじゃない。
でも、そうやって名前が笑ってくれるなら。







整列と挨拶を済ませて次の試合までの空き時間。備品をまとめ次のコートへと運ぼうとする名前を見つけて追いかける。

「落ち着いた?」
「わっ、」

帽子を脱がせて顔を覗くと目の赤みはだいぶ引いていたので帽子は返してもらおう。自身に被り直して横目で名前の様子を伺うと乱れたポニーテールを慌てて結び直していた。

「荷物持つよ。次どこだっけ。」
「反対側のコート…」
「ん。」

次の試合会場まで無言で歩いて、荷物を下ろす。まだ時間があるから休憩行ってきていいよ、と他の部員に言うみたいに俺を見た。

「名前も休憩するでしょ。」
「うん。リョーマも行ってきたら?」
「一緒に行こうよ。」
「…そう、だね。うん。行く。」

どこか日陰に行こう。途中でジュースも買って。
ギクシャクしながらも後ろをついきてくれる名前にホッとして自販機を探しながら進むと、規則的だった足音がリズムを上げるので不思議に思って振り返った。途端、突然名前に手を取られた。

「えっ、」

名前は俺の手を引いてずんずんと進んでいく。怒ってる?分からない。珍しく突拍子のない名前の行動におとなしくついていく。ぼんやりと揺れる束ねた後ろ髪がやっぱり可愛いなぁなんて考えながら。



ひと気のないところまで来て、名前はやっと足を止めこちらを振り返った。
個人練習用の半面コートの裏。なんだろう。名前はじりじりとこちらに近づいてきて、そして勢いよく飛び付いてきた。

「ちょ、っ何?!」

こちらの身体にしがみついてぐりぐりと頭をこすっては、こちらの表情を一瞬伺ったかと思えばきつく抱きしめてくる。なんだこれは。全国行きが決まって感情が溢れてしまっているのか、いや、違うな。

「ぐぬぬ、」
「ねえ、なに?さっきから…」

力いっぱいぶつかってくるその表情はなんというか、まるで八つ当たりというか、とても楽しそうな顔ではない。名前はたぶん全力でやってるのかもしれないけど所詮は名前の力なので簡単に引っ剥がすこともできるんだけど、大人しくされるがままになっておく。本人は何故か喧嘩腰だけど俺は内心、まあ、結果恋人にハグされているわけだから嫌な気は当然しないわけで。

「リョーマ!いまどんな気持ち?!」
「え、いや、非力で可愛いなあって…」
「…っ違う!そうじゃない!」

本当に珍しく容量を得ない名前に、笑ったらダメなんだろうけれどやっぱり悪い気はしなくて。部活中の芯の通った誰にでも優しい名前も好きだけど、こうやって表情をくるくる変える名前はもっと好きだと思う。

「私は、…びっくりしたんだよ。あのとき。」
「…、」

あのとき。先輩たちの熱い闘いを見て、氷帝の日吉と試合して、身体が熱くて熱くて頭がどうかしていてそのままのテンションで名前を連れ出して、身体に触れようとした、あのとき。

「…嫌じゃないよリョーマとぎゅっとするのも、キスするのも。されると嬉しいし、私も、したいよ。」

下を向いて言葉を選びながら名前は言う。

「でもあのときはすこし怖かった。」
「…ごめん。」
「違うの。謝ってほしくないの。」
「…?」
「リョーマに謝られたらこれから先、何もしてもらえなくなっちゃう気がして。それでどうすればいいか分かんなかったの。…ごめん。」
「そ、っか。」


帽子を返してもらっておいてよかった。深く被って息を吐き出した。名前にはいつも敵わない。何度だって俺は。


「怖い思いさせてごめん。」
「うそ。全然怖くないもん、リョーマなんて。怖くなかったもん。」
「ごめんついでに、キスしていい?今。」
「だめ。」

やっぱりだめか。期待はしてなかったけど。さてジュースでも買って今度こそ休憩しようか。そう顔を上げたところで帽子を取られ、ちゅ、と音が鳴る。

「うそだよ。」


名前は悪戯っぽく笑って俺の帽子を被って走り出した。



何度だって俺は、君に恋をする。







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