サンダルウッドの情念
37.猪突猛進


朋ちゃんとリョーマくんの試合の応援に来ました。なんていったって今日の試合は全国行きがかかっているのですから。
私竜崎桜乃はリョーマくんのテニスが好きです。フォームがとても綺麗で、上手で、見ていると勇気をもらえます。あんな風になりたいと思います。
緑山中との試合。ボールを目で追っていると後ろを通り過ぎていく他校の人たちが試合のスコアを覗き込んで、それから誰かを探すかのように周囲を見渡します。青学の選手は注目度が高いようです。なのでいつも試合にはたくさんのギャラリーができています。
でもその中で、ちょっと気になる声も時々聞こえてきて。

「ほら、あの子だよ。女子マネ。」
「ああ噂の!いいよなあ女子マネ。俺たちの部にも可愛いマネージャー欲しいよなあ。」

コソコソと。内緒話が聞こえてきます。男の人たちは女子マネージャーという存在に憧れがあるようです。確かに他の学校ではあまり見かけません。

噂の女子マネージャーこと名字名前さんは、そんなことを囁かれていることも知らず涼しい顔でスコアをノートに書き込んでいます。普段の部活の最中も時々男テニのコートに目をやるといつも名字さんが忙しそうに、でもそれでいて涼しげな顔で仕事をこなしています。
そんな名字さんといえば、以前、リョーマくんに抱きしめられているところを見かけました。そのときのリョーマくんは図書委員の仕事中だったようで、焼却炉まで名字さんを連れて歩いて、それから、荷物を下ろすと名字さんをすっぽりを隠すように抱きしめていました。部の先輩からおチビなんて揶揄われているリョーマくんがそのときはとても大きく見えて不思議な気分になったのを覚えています。

「リョーマ様の片想い、らしいけどね。」
「え、そうなの?」

その焼却炉事件から少しして、朋ちゃんからそれを聞かされました。リョーマくんが、私と朋ちゃんにテニスのコーチをしてくれた日。そう、銀河中のコートにうっかりボールを入れてしまったあの日の帰り道のことでした。あの二人はきっと付き合っているのだろうとは思っていました、だって普通付き合っていない人とは抱きしめ合ったりとか、しないでしょうし。

「でも私はリョーマ様のファンだから!ファンクラブの会長だから!もしかしたらいずれあの二人は付き合っちゃうのかもしれないけど、でもファンとしてリョーマ様のことは応援し続けるつもりよ!」

朋ちゃんはすごいです。半分は自分に言い聞かせているのかもしれないけれど、でもそう言えるってこと自体が強くてかっこいいなって思いました。そうなんだ、あのリョーマくんが、片想いをしているんだ。リョーマくんはあの人のことが好きなんだ。そう思うと私はどうしたってお腹の中がモヤモヤとしてしまいます。でも「なんで!」とか「どうして!」とか思わないんです。リョーマくんが好きになったのが名字さんなのは、「なんかわかる気がする」んです。だからこそモヤモヤとしてしまうのです。私は本当にだめだめです。


「全国進出おめでとうございます!リョーマ様親衛隊からの差し入れです!ババロア作ってきましたー!」

緑山中との試合を終えてお昼休憩の時間になりました。朋ちゃんと昨日手作りしたデザートを青学の皆さんに届けます。しかしリョーマくんの姿がありません。

「ねえカチローくんたち、リョーマくん知らない?」
「僕たちも見てないんだよね。お昼は別のところで食べたのかな。」
「呼びに行こうとも思ったんだけどさ、なんていうか…」
「?」

カチローくんもカツオくんも堀尾くんも渋い顔をしています。なにかあったのでしょうか。

「最近リョーマくんと名字先輩、なんかギクシャクしててさ。荷物運んだあと二人でどっか行っちゃったから喧嘩とかしてたら、ねえ?」
「喧嘩?」
「あれ、噂をすれば名字先輩戻ってきた。」
「ほんとだ。でも越前は居ねえな。」
「わ、わ、私行ってくる!!」
「え、竜崎さん!」

我ながら、猪突猛進だと思います。喧嘩をしたらしいです。でも名字さんだけ戻ってきました。じゃあリョーマくんは?余計なお世話かもしれません。それに、全国進出おめでとうと、言いたかったのです。だから今しかないんだと思いました。急いで自動販売機でリョーマくんがいつも飲んでいる炭酸飲料を購入します。冷たいそれを掴んで走ります。リョーマくんどこ?どこに行っちゃったの?

「あっ、いた…!」

見つけました。リョーマくん!

リョーマくんは木陰で寝転んでいました。駆け寄ると、なんと寝息をたてて気持ち良さそうに眠っていたのでした。

「わ、…試合後で疲れてるのかな。起こしちゃいけないよね。えっと、えっと、そうだお手紙書いておいておこう!メモメモ…っと、」

「…名前……?」
「…!」

ひゅ、っと音を立てて 背筋に氷が滑り落ちたのかと思いました。
リョーマくんが、あの人の名前を呼ぶから。
思わず振り返るとリョーマくんは目を擦って上体を起こしました。そして私の方を見ます。

「ああ、竜崎か…。」
「ご、ごめん!起こしちゃったね、えっと、あの、」
「なんか用?」
「その、ええっと…」

試合お疲れ様、全国おめでとう、午後の試合も頑張ってね、そう言いたかったのに、緊張して言葉が出てきません。手の中でツルツルと缶が滑ります。あ、そうだこれを渡したかったんだ!

「差し入れ!です…。良かったら飲んで!」
「ごめん。今ちょうど名前が買いに行ってくれてて。」
「え、」
「だからそれ貰えない。」

今度こそ目の前が真っ白になりました。
調子に乗ってババロアまで持って来なくて本当に良かったと思いました。でもファンタは名字さんが買ってきてくれる話になっていたから断られちゃっただけで、もしかしたらファンタじゃなくてババロアなら受け取ってもらえたでしょうか。

「そっ、そっかあ。」
「あ、名前。」

もう本当にだめだめです。私ってば本当に猪突猛進が過ぎます。二人は喧嘩をしていたはずではないのですか。なんでそんなに嬉しそうなんですかリョーマくん。

遠くからこちらにやってくる名字さんが見えて、リョーマくんはそちらを見て軽く手をあげました。名字さんも応えるように小さく手を振って。

「ごめん話し中だった?」
「あの、大丈夫です!私もう行きますから!」
「あ、待って。竜崎桜乃ちゃん。」
「は、はい!」
「これ、リョーマに?」

名字さんは私の手の中に取り残されたジュースを見て首を傾げます。果たしてそれにハイと言っていいのでしょうか、頭がぐるぐると回ります。喧嘩中?リョーマくんの片想い?名字さんはリョーマくんのことどう思っているのですか?でも、でも、私だって、リョーマくんに差し入れのひとつくらい渡してもいいですよね。

「えっと、あの、そう、です!リョーマくんに!」
「そっか、よかったぁ。」
「へ、」
「私ちょうど買えなかったの。売り切れになってて。」
「そうだったんですか…、じゃあ、あの、どうぞリョーマくん!」
「…さんきゅ。」

あわわわわ。
リョーマくんに渡せました。渡せました!
なんだかすごく緊張してしまって逃げるように走りました。はあ、怖かった。正直怒られるのかと、思いました。でも名字さんはにっこりと笑ってくれて、とても綺麗で、大人っぽく見えて、途端に心臓がばくばく言っています。でも受け取って本当にもらえてよかった!


振り返ってみればリョーマくんは名字さんの手を引いて木陰に座らせようとしていました。胸がズキンと痛みます。喧嘩なんてやっぱりカチローくんたちの勘違いだったみたいです。私はリョーマくんの手に触れたことはありません。私はジュースを人伝に渡すことで精一杯。いいなあ、とまたお腹の中がモヤモヤするのでした。




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