セイラルの唄
図書館その日、魔法史の宿題を片付けるため名前は図書館に足を運んだ。埃っぽい本棚の間を歩き「ゴブリンの反乱」の資料を探していた。過去に起こったゴブリンの反乱の概要とその動機を羊皮紙一枚にまとめるというものだった。
適当な本を手に取ってパラパラめくる。そもそもゴブリンってなんだ。グリンゴッツ銀行の窓口で見かけた、背が低く耳の形が特徴的な彼らを思い浮かべる。分類としては妖精?
名前は一つの本を手に取り机の上に開いた。『妖精大全』という本だ。
『フェアリー(Fairy)。
魔法を使う超自然的な存在の総称。
語源:妖精フェイ(Fay)によって魔法にかかった状態“フェイ・エリ(Fay-erie)”から。
脚注:古来の伝承『始まりの妖精・精霊の王“フェイ”』について。未来を見通す全能的存在として童話等に屡々登場するが、実在した事実に欠け存在は認められていない。今日に於いてはフェイは妖精の総称としての意味合いで──』
違う、そうじゃない。
目当ての記載がなく、名前は目を閉じ首を鳴らした。するとそのとき背後から声がした。
「ここ綴りが違う。」
「…なんだ、君か。」
現れたのはリョーマだった。リョーマは机に並べられた資料や羊皮紙を一瞥し、一点を指さした。
「目ざといね。」
「鋭いって言ってくれない?」
くすりとリョーマは笑った。そういう顔もするのだなと、対峙するたびに名前の中で新たな発見が増える。だからどうしたという話だが。
記述を再開するとリョーマは黙って横の椅子に座った。名前は気にせず次の本を開いた。
『種:小鬼-ゴブリン。外見は背が低く、長い鼻、細長い指を持つ。杖を必要としない独特の魔法、金属工の能力に優れ──』これだ。要約して羊皮紙に書き写しているとリョーマは退屈そうに机に広げたままの妖精大全を眺めていた。
「…。」
「その本は間違えて持ってきたんだ。あとで片付けるから置いておいて。」
ゴブリンの反乱は過去に何度も起きている。要はゴブリンが魔法使いからの差別に抗議したということだ。同等の権利を、とゴブリン側が主張し、杖の使用の種族的制限についても抗議していた。
「…杖の使用権?」
「何?」
ひとりごとのつもりで呟いた言葉をリョーマは拾って顔を上げた。暇そうにしているが課題は終わらせたのだろうか。
「杖の話。使わずに魔法が使えるならそれでいいだろうと思うけどね。」
「魔法界は魔法使いの都合のいいようにできているから。きっと理由がちゃんとあるんだよ。」
名前は筆を止めた。反乱の概要を記したら羊皮紙のほとんどが埋まってきたのでこれ以上の記述は尻切れになる。
魔法使いの都合。魔法界にはカーストがある。それを決めているのは魔法使いだ。だからあらゆる決め事は魔法使いに都合の良いようにできている。
反発を目論むは種族は何もゴブリンだけではないはずだ。名前は天井を見上げた。高い本棚に囲まれた狭い天井。──母はどうだったのだろう。故郷の海を思い起こす。彼女はいつも幸せそうだったけれど魔法使いを、私を、羨むことはあったのだろうか。彼女は本当に幸せだったのだろうか。
「何難しい顔してんの。」
「…君は鋭いね。」
「目ざといって言いたいの?」
ああ、また笑った。
思考を切らすと胸が苦しくなった。だめだ。迂闊に母を連想してしまった。手早く記述を済ませて名前は羽ペンを片付けた。
「終わったから行くよ。その本も戻したいから、貸して。」
リョーマが肘置きにしていた妖精大全を引き抜き、フードを目深に被って名前は席を立った。荷物を抱えるとクイとその裾を引かれた。
「あのさ」
感情が揺れてしまいそうなこの危うい目をリョーマは躊躇わずに見つめて言った。
「中庭を出て、城の壁沿いを行くと湖畔に出られることがわかったんだ。あんたの鳥がきっと喜ぶ。」
「どうも。今度行ってみるよ。」
「そうじゃなくて。」
リョーマは、涼しげな顔を今度は照れくさそうに少しだけ赤らめた。
「一緒行こうって言ってるんだけど。」
連れられて外に出た。
リョーマは黙って先に行く。中庭の空が見えた頃に指笛を吹くと、静かな羽音を立ててミサゴのエラヴィスが名前の肩に降り立った。
「お前を散歩に誘いたいんだって。来る?」
リョーマの背中を一瞥して言えば、エラヴィスは名前のフードを嘴で引いて下ろした。
「わかったから、ちょっと待ってくれ。」
シルバーブロンドの目立つ髪が見えたことでリョーマが連れているのが名字名前であると周りの生徒は気付いてコソコソと噂話を始めた。
「やっぱり帰るよ。君まで悪く言われる。」
リョーマは振り返って名前の顔をじっと見た。居心地悪く下を向いていると抱えていた宿題と筆記用具を取り上げられた。
「ちょっと。何するんだ。」
「彼が乗り心地悪そうにしているからね。向こうまで持つよ。」
城の外周を回り込んで進めば開けた場所に出た。黒い湖が視界いっぱいに広がる。その浅瀬まで道は続いていた。湖では魚が跳ね水音を立てていて、名前の肩でエラヴィスが首を伸ばした。
「いいよ。行っておいで。」
腕を伸ばせば気分良さそうに飛んでいくその翼を見送って二人は並んで湖畔に座った。
「猛禽類なのにすごいね。随分あんたに慣れてる。」
「君の猫ほどじゃないよ。それに」
ああ、しゃべりすぎだな。そう思うのにどういうわけか口から聞かせるつもりのない言葉が滑り落ちる。
「それに…。彼、エラヴィスは私の鳥じゃない。私に母の面影を見ているだけさ。」
広い空を旋回してエラヴィスは獲物を探していた。その姿が昔から好きだった。自由で優雅でかっこいいなって思ってた。名前は眉を寄せる。何を言っているんだ私は。
「ごめん。こんなことを言うつもりはなかった。」
「じゃあその魅了、だっけ。その力も母さんから?」
「…君は本当に不思議な人だね。」
人目がないせいもあるのか、リョーマも名前もいつもより饒舌だった。
こんな風に人とまた話せるとは思ってなかった。名前は瞳を閉じた。こうしていると昔に戻ったつもりになってつい昔の話までしてしまう。リョーマはやはり顔色を変えずに話を聞いていた。それにこんなにも心が救われている。
「そう、全部母からもらった。母は人間じゃなかったけど私は母と瓜二つで生まれた。体の形は違うけどね。」
「学校の奴らから酷い呼ばれ方されてるけど、それとは違うんでしょ。どうして否定しないの。」
「そうだね。でも言ったところで、」
サキュバス。魅了の誘惑的な引力がそう連想させ、生徒たちはそう呼んでいる。
「…私は母のことが好きだったから。本当のことを言ったところで今度は母の種族を悪く言われる。だから私は今のままでいいんだ。」
そう、気にしていない。名前は目を瞑った。きっと少し疲れただけだ。ホグワーツに入学してしばらく経って緊張が切れてしまっただけだ。隣のリョーマに聞こえないように深く深呼吸をする。感情が揺れないように。なのにきっと君はまた見透かしたような顔をしているんだ。そうやって「そんなのいいのに。」って簡単に言うから、どうして。どうして。
「ねえ。どうして君は普通にしているの。」
「普通?」
「魅了はどうして君に効かないのかって聞いてる。」
息を吐き切って薄く目を開けるとリョーマは空を見上げていた。少し傾いてきた日の光がその琥珀色の瞳に映って夕焼けみたいに煌めいた。
「魔法界は魔法使いの都合のいいようにできているって話をさっきしたね。」
「それが何。」
「俺の持論では、あんたの魅了みたいに特性を持った魔法生物と渡り合えるのはその同族か上位の種族だけだと思っていて。カースト的には魔法使いは一番上のはずなのに学校の連中には効いている。変な話だよね。」
「…え、じゃあ、君もマーピープルの血を引いて…?」
そこまで話して名前はハッと息を止めた。リョーマは顔を綻ばせた。
「やっと白状したね。」
それっぽいことを並べてカマをかけたのだとその悪戯っぽい顔を見てやっと気付いた。マーピープル。水中人。半身が人、半身が魚の、水棲の魔法生物。リョーマはどこか嬉しそうに言った。
「そうだと思ってた。あんた声が綺麗だから。」
「そんなこと、…初めて言われた。」
私は母の歌声が好きだった。マーピープルの声は水の中でしか聞こえない。どう受け止めればいいか分からない言葉に口を開けていると「変な顔」と言われた。そんなことを言われるのも初めてだ。君って人は。
「俺のことはそうだね、さっき書いてあったアレってことにしといてよ。始まりの妖精、精霊の王ってやつ。」
「あー…フェイ、だったか。君、意外とロマンチストだな。」
湖の向こうで水飛沫が上がった。エラヴィスが急降下してその爪で魚を捕らえたからだ。
彼は舞い戻ると名前の隣に止まって顔を見上げた。
「私はいいよ。お前が食べな。」
少し濡れた羽をひと撫ですればエラヴィスは魚に食らいついた。その様子を見てリョーマは笑った。
「やっぱり俺にはあんたに甘えているように見えるよ。」
こんなふうに普通に、そう普通に人と話ができたのは本当に久しぶりなんだ。君に特別な感情を持っているわけではない。君が特別なのではなく、私が、ただ私が、それがとても懐かしくて、苦しくて、嬉しくて堪らないのだ。
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