サンダルウッドの情念
7.酷暑うだる青



「Dブロック越前リョーマ。6-0っス。」
「はーい。さすがだね。」
「メシ食って来ていいっスか?」
「いいよ。お疲れ様。」

部室の横に受付台が置かれていて名前が試合結果を集計していた。
後ろには名前が書いたと言っていた例の組み合わせ表が貼り出されている。そこに綺麗な字で「6-0」と書き加えたうなじに汗が流れたのが見えた。今日は4月だというのに初夏のように天気が良かった。

昼食を済ませて部室を出るとき横目に見れば名前はまだ受付に座っていた。今日のスケジュールは朝から夕方までの一日掛かり。午前中から見ていたが名前の周りにはいつも人が集まっていてまるで彼女の人柄を表していた。

「またあの笑い方してるし…。」

気を紛らわすように壁打ちに集中した。部活中の名前はいつも笑顔でみんなに優しい。その笑顔が、本当に笑ってるの?と思うくらいにそれはもうお手本のような笑顔なのだ。壁の一点目掛けて黙々とボールを打ち付けたが後ろから女子テニス部の1年生から話しかけられそれも中断された。どちらにしてもそろそろ次の試合の時間なのでコートの方へ戻ることにした。

部室の前を通り過ぎると、はて。名前はまだ受付に座っている。

「ご飯食べた?」

お昼時のためかちょうど人がいなかったので話しかけると名前は困ったように首を傾げた。

「お腹空いてないんだ。なんだろう、ずっと座ってるからかな。」
「…代ろうか?休んできなよ。」
「でもそろそろ試合でしょ。…わ、次は海堂くんとだね。頑張って。」
「その笑い方やめなよ。」
「え」
「俺、次の試合終わったら今日の分はおしまいでしょ。そしたらそこ変わるから。」

名前は何か言い返そうとしていたようだが観念したように肯いた。
なんとなく分かってきた気がする。彼女は存外強がりで、それでいて頑固だ。




正午を回って益々日差しが強くなる。
しつこい海堂先輩のプレースタイルに尚のこと暑く、汗が止まらない。結果6-4で俺の勝ち。海堂先輩は感情をぶつけるようにラケットで自分の膝を殴りつけて血を流し、先にコートを出て行ってしまった。

続いてコートを出るとフェンスを取り囲んでいた周りの部員がこちらを見てザワザワとどよめいた。しかしその騒々しさは、違う意味を持ち始める。

「海堂くん待って、その怪我……、あ…、」

「名字!」

名前の声とその直後に海堂先輩の大きな声。受付台を見やると、名前が崩れるように倒れ込んでいた。
次にガシャンと派手な音がして、同時に救急箱が地面に落ちた。

「?!」

辺りは騒然となり、俺は勝手に足が動いて人混みを掻き分けた。何人か突き飛ばした気がするけれどそれどころじゃない。
名前は、海堂先輩の怪我の治療に当たろうと立ち上がって、そして倒れたのだった。

駆け寄って抱き寄せると名前はうつろな目をしていた、目が合っているのに合わない。不自然なほど汗をかいて、なのに顔は酷く青かった。

「…もういいよ、名前。」
「怪我、…」
「…いいから。」

名前は力の入らない右手で何かを掴もうとしていた。辺りに名前がひっくり返した救急箱の中身が散乱している。朦朧とした途切れ途切れの言葉に意思は痛いくらい伝わってきて。
なんでこんな状態になるまで、名前は…
気付かなかった自分に心底嫌気が差す。

「とにかく早く日陰に運ぼう!」

大石副部長も駆けつけて名前の真っ青な顔を見て語気を強めた。
海堂先輩は一歩前に出ると深刻そうに言う。

「おいお前そこどけ。俺が運ぶ。」
「…。」
「おい越前、」
「…それより海堂先輩は早く膝の手当てをして。」
「…」
「じゃないと後で名前が責任感じるだろうから。」

血の流れ続ける海堂先輩の膝。今の状況は海堂先輩のせいでも名前のせいでもない。ただ名前なら自分が何とかしなきゃなんて思うことは目に見えていた。
海堂先輩は押し黙ると渋々手を引いた。

「揺れるけど我慢して。」

名前の脇と膝の裏に腕を回して持ち上げる、軽い。前から華奢だとは思っていた。けれど。どうしてこんなに軽いんだろう。
悔しくて下唇を噛み締めた。

「保健室の鍵を持ってくる。リョーマ、先に行っててくれるか。」
「了解。」

かけつけたおばさんが校舎の中へと駆け足で入っていく。今日は休日なので通常保健室には鍵が掛かっているらしい。名前に余計な振動を与えないように、それでいてできるだけ速く、校舎へ続いた。あんなに騒然としていた部員たちは水を打ったように静まり返っていた。



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