セイラルの唄
研究室昨夜のハロウィンパーティーから現実に引き戻されるかのように、今日からあっさりと通常のカリキュラムが再開された。ホグワーツの冬が少しずつ近づき、校内には冷たい風が吹き始めていた。
その夕暮れ、リョーマと名前は闇の魔術に対する防衛術の教授、グリムソンの研究室に並んで立っていた。変身術の授業が終わり、カルピンとエラヴィスを連れて寮に戻る道中で、彼から声をかけられたのだ。
部屋は薄暗く、棚には古い本や奇妙な道具が並ぶ。グリムソンは二人を見渡し、朗らかに言った。
「君たちに研究の手伝いを頼みたい。簡単な作業だよ。少しだけ時間をくれないか。」
リョーマは教授に一瞥をくれ言った。
「珍しいことを言うね。」
リョーマは目を細め教授の動きを追っていた。グリムソンは笑みを浮かべ、机に広げた羊皮紙とインクを示す。
「大したことじゃない。呪文の記録を整理するだけだ。優秀な一年生に手伝ってほしいのさ。」
「…悪いんだけど、」
胸によぎる些細な違和感。堪らず名前は口火を切った。
「別に謝罪が欲しいわけじゃないけど、あなたが組み分けのとき魅了について言及したの私はまだ許していないんだ。雑務のために呼んだと言うなら私は帰るよ。」
「私はあのとき何か間違えたことを言ったかな?君の了承をとらなかったことは確かに不適切だった。しかし君のその宿命は果たして本当に私のせいか?遅かれ早かれ向き合う問題だっただろう。」
教授は有無を言わせぬ物言いで捲し立てた。穏やかな表情を貼り付けているが凄みを思わせるその圧力に二人は顔を見合わせた。これは断ると面倒なことになりそうだ。
名前は眉をひそめ、ため息をついた。
「いいよエラヴィス。威嚇するな。…わかった。早く終わらせよう。」
リョーマも肩をすくめた。
作業は教授の予告通り大したものではなく、粛々と進んでいた。リョーマは教授が指定した本を棚から取って並べ、名前は羊皮紙に呪文を書き写した。エラヴィスは名前の椅子の背で辺りを見渡し、カルピンはリョーマの足元をついてまわっていた。グリムソンはその様子を眺めながら軽い調子で口を開く。
「昨日はいい夜だったね。ホグワーツのハロウィンは楽しめたかい?」
「まあまあだね。」
「君たちはとても洗練された立ち振る舞いで、見ているこちらが誇らしかったよ。」
「それはどうも。」
リョーマも名前もグリムソンの言葉を話半分に聞き、努めて平坦に返答した。わざわざ一日の終わりに研究に付き合ってやっているんだ。雑談にまで構ってやるほど暇ではないし、お人好しでもない。
「…ときに越前くん。」
教授は手元の羽ペンの毛並みにするりと指を這わせて切り出した。
「君の鋭さには目を見張るものがある。授業でも反応が早い。まるで、何か特別な力でもあるようだ。」
リョーマの手が一瞬止まった。名前はリョーマを横目で見た。彼はクールな顔のまま言った。
「別に普通だよ。」
そう言い切ってリョーマは本を手に取った。
彼の勘が並外れていることは名前にも気付いていた。特別な力。そういう視点もあるのかと少し感心し、名前も作業を進めた。
要は名前の魅了に由来があるように、リョーマに在る何かを教授は疑っているのだ。リョーマはいつも偶然だと言い張るので深くは考えていなかった。
グリムソンは目を細め笑った。
「そうか。謙虚だね。まあいい。」
それから教授はいくつかの取り留めのない話、例えばホグズミードのバタービールは口に合わないとかそういう話を二人に聞かせた。二人は平然を装っているがこの不毛な話題と、それから欠伸の出そうなこの作業を早く切り上げたかった。聞こえるようにわざとため息をつき、リョーマは言う。
「ねえ。こんな作業、誰でもできるよね。」
「確かにね。だが、君たちの几帳面さが役に立つよ。」
グリムソンは穏やかに返す。リョーマは続けて言った。
「カルピンが眠そうだ。早く終わらせてほしいんだけど。」
教授はカルピンを一瞥し、笑った。
「そうかね。確かに優秀な君たちにはあまりにイージーだったかな。ではその可愛い猫に免じて今日はここまでにしよう。」
リョーマは顔を顰めてカルピンを抱えた。グリムソンは杖を一振りして机の上を整頓すると二人を解放した。
「二人とも助かったよ。また頼むかもしれない。」
名前はエラヴィスを腕に呼び寄せ、背後の男に吐き捨てた。
「次が無いことを祈るよ。」
二人は研究室を後にして廊下を歩いた。思ったより時間が経っていたようで空は既に暗くなっていた。
「夕食、急がないと間に合わないかも。」
「私はそれより早く眠りたい。」
「居るだけでいいから付き合ってよ。」
「カルピンだって眠いんだろう。行くなら一人で行ってくれ。」
リョーマ曰く眠そうなカルピンは、主人の肩に登って丸い目で窓の外を眺めていた。その背に手を添えリョーマは笑った。
「何言ってんの。猫は夜行性だよ。」
大広間ではひと気がまばらだった。ほとんどの生徒は食事を終え、既に寮に帰ったのだろう。中には残ってその場で課題を広げる者、ボードゲームに興じながら談笑している者もいて、一番空いているグリフィンドールの席に二人は座った。
「君、随分とグリムソンに興味を持たれていたね。」
教授は探るような目でリョーマを見ていた。今思い出してもとても薄気味悪い目で。
「まあ研究の手伝いなんて口実だろうね。」
「…」
否定しないのか。いや、ただ関心がないだけか。
リョーマは大皿から料理を取り分け始めた。
「あんたは食べないの?」
「私はいいよ。」
「そう。」
「研究者なんて好奇心の鬼だからね。きっとまた来るよ。しばらくは気を付けた方が賢明だろうね。」
「気を付けろって?誰に言ってんの。」
「…。そうだったね。」
リョーマは勘が鋭い。例え教授の思惑が災難として降りかかろうとも問題が起こる前に彼は身を交わすことがきっとできるのだ。
だからというわけではないがこんなときにもリョーマはいつも通りに食事をする。名前はやはり気分が乗らず頬杖をついてリョーマが食べ終わるのを待っていた。
一人、また一人と席を立つ。消灯時間が近付いていて長机の上の料理が下げられ始めていた。
「はい。あんたいつもパンでしょ。」
リョーマは自身の皿によそったパンを半分に千切って名前に差し出した。
「…どうも。でも別に好きってわけじゃないよ。」
名前はそれを更に割ってエラヴィスに差し出した。しかしすぐに顔を背けられ、名前は閉口した。
「…。」
「“お前が食べろ”ってさ。」
リョーマはどこか嬉しそうに笑った。
≪前 | 次≫
←main