セイラルの唄
懇談会二人に届いた手紙は、グリムソンからのものだった。クリスマス休暇前の懇親会に招待するという内容であった。
教授が指名した「優秀な学生」を集めた食事会らしい。リョーマと名前、それぞれに手紙は充てられていた。書かれている内容は同じだ。二人はお互いの手紙を照らし合わせ肩をすくめた。言葉を交わすまでもなく当然欠席である。
「何も見てない。こんな手紙届いてない。」
「そう。フクロウが道に迷って森にでも落としたんだろうね。」
リョーマは二人分の手紙を丸めて潰し、魔法薬学のレポートの書き損じの紙と混ぜた。そのとき、大広間の喧騒の中でもぽっかりと不吉を纏ったようにそれは来た。グリムソン教授だった。
「おや、返事は書かないのかい?」
貼り付けたような笑みで見下ろされ名前の体が微かに強張った。リョーマは不機嫌を隠さずグリムソンを睨みつけた。
「さあね。何の話。」
すると男の目が細まり、口元が歪んだ。
「そうか。では別の提案だ。名字さん。私の更なる研究に協力してくれるかな?次はやや強引な方法になるがね。どちらか選びなさい。」
名前は下を向いた。嫌な感覚が思い出され、今にも心が乱れてしまいそうだった。浅く呼吸をしていると机の下でリョーマの手が伸び、名前の震える手を握った。
「開き直ることにしたの?随分と堂々としてるね。」
「あんなところを見られちゃあ隠す必要も最早あるまい。それに君にはお見通しなのだろう。しかし悪く思わないでくれ。闇の生物の研究は私の専門分野でね。魔法省からも研究結果の報告を期待されているんだ。何も彼女ばかりを悪戯に暴きたいわけではない。」
「闇の生物だなんて、偏屈な言い方だね。」
「我々からすれば未知とは闇そのものだよ。」
両者は火花が散るように睨み合い、重い沈黙が流れた。リョーマの手に緊張が走ったのが名前にはわかった。この人はリョーマにも興味を持っている。断れば名前だけではなくリョーマにも何かがあるのだろう。名前は眉を寄せた。リョーマのことは名前自身も多くは知らない。しかし多くを語らない彼を、他人に侵略されるくらいなら自分が我慢をすればいい。
今にも震えそうな声を抑え名前は言った。
「…懇親会、行くよ。それでいいでしょ。」
「よろしい。」
彼は満足げに頷いた。
「ちょっと!」
「何だね越前くん。名字さんが行くと言うなら当然君も来るだろう。楽しみにしているよ。」
そう言い包めグリムソンは立ち去った。リョーマの手を解き名前は机の上の教材をまとめた。
「俺のことは別によかったのに。」
「君と同じ理由だよ。」
「…。」
「魔法薬学のレポート、出しに行くけど君はどうする?」
立ち上がり振り返ればリョーマはため息をついてあとに続いた。
来る日、闇の魔術に対する防衛術の教室にて懇談会が開かれた。教壇や机は片付けられ、軽食やドリンクが置かれた腰の高さの円テーブルがいくつか並び、重厚に装飾されていた。焼き菓子と教授の葡萄酒の甘い香りが漂う。
彼曰く優秀な学生が集まり、笑い声が響いていた。制服の色を見るに、寮に偏りなく集められているようだった。各寮の監督生やクィディッチの選手、成績優秀者が名を連ね、立食パーティを楽しんでいた。その中でリョーマと名前だけが一年生として参加しており、明らかに浮いていた。輪の中に入る気など起きるはずもなく二人は窓辺にもたれかかった。
グリムソンは生徒たちの間を縫って歩き、愛想を振り撒いていた。二人に特別干渉をしてくるわけではない。目的が不明瞭で、穏やかな雰囲気が不気味だった。
人の熱気で部屋が暑い。それに酒の匂いが鬱陶しかった。名前は何気なく瞬きをすればグリムソンから視線を投げられ目が合ったような気がした、しかし見れば別の生徒と談笑をしている。ふと蘇るあの手の感触に気分が悪くなりそうだ。名前は冷や汗を滲ませ窓の外に目を向けた。早く時間が過ぎて欲しい。
それを見兼ねリョーマは声を落として問いかけた。
「ローブ預かる?」
「…いや、風に当たってくるよ。」
バルコニーに向かおうと名前は背を向けた。しかしその手を取ってリョーマは言う。
「一人にならないほうがいいよ。」
「だったらここで待っていてくれ。誰かがバルコニーに出ようとしたなら君が勝手に止めるなりすればいい。」
「…」
「悪いとは思ってる。でも今は一人になりたいんだ。」
観音開きのガラス戸を開けて外に出た。冷たい風が心地良く名前は息を吐いた。やっぱり来なければよかった。この向こうは禁じられた森があるのだと思う。暗くて何も見えなかったけれど木が風に揺れる音だけが聞こえていた。寒い。今にもまた雪が降り出しそうな寒さだ。名前は座り込み、フードを被って肌を隠した。
キイ、と音を立てて戸が開いたのでリョーマがやって来たのだと思った。全く君は心配性だな。先ほど私は中で待っていてくれと言ったばかりだろう。
「…っ、」
文句を言ってやろうと振り返ったそこには、あろうことかグリムソンが立っていた。
「まあそんな顔をしないでくれ。私も風に当たりに来たんだ。」
「お一人でどうぞ。」
リョーマは何をしている?否。名前は過ぎった考えを改めた。勝手にしろと言ったのは自分で、それを勝手に、本当に勝手に期待しただけの話だ。
名前は部屋に戻ろうと立ち上がった。問題ない。相手にしなければいいんだ。
「私は今夜とても嬉しいことがあってね。研究者としてひとつ成果を結んだ気分だ。とても高揚している。」
「…。」
そうですか。それはよかったですね。興味は無い。無駄口を止めないグリムソンの前を横切っり、部屋に続くガラス戸に手を掛けた。しかし彼が放った言葉に名前の足は止まった。
「彼が来ないことがそんなに気掛かりかい?」
グリムソンは葡萄酒の香りを振り撒きながら目を細めた。
「君のナイトはパーティーを楽しんでいるよ。忙しくて君どころではないのだろう。…不満があるならその魅了で彼に命令でも下せばいいんじゃないか?」
名前が単身バルコニーに出る、その少し前のことだった。
リョーマと名前がこのパーティに乗り気でないこと、特に名前の気が荒れることをグリムソンは想定していた。そんな名前にリョーマの注意が向くことも狙い通りだった。
グリムソンは二人が退屈そうに窓辺に立ち、感情の抜けた顔で会話をしている様を遠くから観察していた。穏やかな笑みを浮かべ、手にした葡萄酒のグラスを軽く傾けながら誰ともなく会話を交わした。
人が交錯し、すっかり冬だというのに部屋は熱気に満ちていた。名前の顔色がだんだんと悪くなり、ネクタイを締めた首元を緩めながら背を向けたのが見えた。リョーマは彼女を追いかけようと手を伸ばしたが拒絶されていた。いい感じだ。グリムソンはローブの下で杖を握り、刹那──喧騒に紛れ、誰にも気付かれないほど自然な仕草で、魔法を発動した。
名前がバルコニーに出た後、リョーマはしかめ面でパーティの人混みを眺めていた。
「おや、レディは一緒じゃないのかい。」
グリムソンはリョーマに歩み寄り、同じく窓辺にもたれた。
「あんたには関係ないだろ。」
極めて冷たくリョーマは返した。
「そうもいかない。大事な招待客だからね。」
「大事だって言うならもう帰してくれない?」
「私なりに君たちのことは大事にしてるよ。」
「研究対象だからでしょ。」
「言うね。」
二人は静かに睨み合った。すると背後から一人、生徒がやってきた。おそらく上級生だろう、肩を叩かれリョーマは飛び上がった。触れられるまでその男子生徒がいることに気付かなかったのだ。
「君が越前リョーマくんだね!グリムソン先生から噂は聞いているよ、とても優秀で箒に乗るのも上手いんだってね!」
「…」
口を開けば浅い男だということはすぐに分かった。気配を悟られないほどの使い手には見えない。教授に気を取られすぎたか。リョーマは感じた違和感をそう結論付けた。
「やだな、そんな目で見ないでくれよ。僕は先生から見込まれていてね。このパーティーの盛り上げ役を買っているんだ。多様な生徒、例えばそう、窓際で一人で黄昏ているような君のような生徒と親睦を深めるのが僕の勤めさ。」
「それはご立派だね…。」
リョーマはため息をつき、下を向いて会話をあしらった。リョーマは異変に気付いていない。そのときには既にグリムソンは姿を消していて、名前のいるバルコニーへと足を踏み入れていた。
饒舌な上級生の話を眉を寄せながら聞き流していると、冷気が吹き込み、ガラス戸が開いたことに気付いた。名前が戻ってきたのだ。リョーマは顔を上げた。二人は目が合って、リョーマは首を傾げた。名前は一瞬瞳を揺らし、そしてすぐに目を逸らして言った。
「…グリムソンがバルコニーに来たよ。」
「は?」
リョーマは耳を疑った。なんだって?そんなはずはない。だってずっと窓際に立ってここから人が出ないように見ていた。ハッとして見渡す。居ない。教授がいつの間にかいなくなっている。
隣の上級生は変わらずべらべらと話を続ける。今度は名前に向けて校内の交流がどうとか風紀がどうとかプレゼンしている。それをリョーマは遮ろうとしたが、その前に名前はそんな上級生のこともリョーマのこともまるで見ないで歩き出した。
「どこ行くの。」
「寮に戻る。」
「待って。送る。」
すぐ追いかけた。しかしその小さな後ろ姿が確実に人を拒絶していてリョーマは足が止まってしまった。
「君の助けはいらないよ。」
名前は背を向けて吐き捨てた。
「どうぞパーティーを楽しんで。」
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