セイラルの唄
クリスマス休暇懇親会が終わり、間もなくホグワーツはクリスマス休暇に入った。リョーマと名前はそれぞれ故郷へ戻った。
名前は、何故自分がこれほどまでに落ち込んでいるのか困惑していた。リョーマがグリムソンをバルコニーに通したから?自分を放って上級生との会話に興じていたから?
あの日以来名前はリョーマに何も言えず、彼も何も言わず、二人とも言葉にしないままそれぞれの休暇が始まった。
名前が暮らす木製の小屋は、小さな村の林の奥に建っている。雪に覆われた丘に風の音だけが響く静かな場所だ。家に戻って数日、スコーンを焼いたり、鉢植えの蕾を眺めたり、暖炉のそばで本を読んだりして過ごした。
休暇中、エラヴィスは色々拾ってきた。公園にでも忘れられていたのか、ある日マグルの絵本を拾ってきて、それを褒めたらそれから本をたくさん運んできた。
濡れてページが貼り付いている雑誌。車に轢かれ最後のページが破れてしまった小説。もういいよとは言えなくて、彼は毎日懸命に本を運んでいた。『月下の糸車』『フェイの雪と金の鈴』『赤いピアス』『少女と羊のメル』。名前はエラヴィスの運ぶ本に目を通しては一つ一つと積み上げた。
ホグワーツでの日々を思い起こしては振り払い、日常に溶け込もうとしていた。静かに過ぎていく時間の中でどうしたってリョーマの顔が浮かんでは離れなかった。
君の助けはいらない。本音だ。それでも君は助けてくれるから私はきっといつの間にか勘違いをしていた。そうやって勝手に思い上がってしまっていたのだ。いらないよ。ごめん。君の助けは確かにいらないんだ。でも。ごめん。幼稚だった。八つ当たりだった。君を傷付けるつもりはなかったんだ。
一瞬、馬鹿げた考えが頭をよぎった。リョーマにフクロウで手紙でも飛ばそうか。衝動的に羽ペンを握って「拝啓 越前リョーマ」そう書いて、でも、
「…何だそれ。」
名前は自嘲し、走り書きしたそれをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。
何を伝えたいわけではない。ただこのわだかまりを吐き出して、自分が楽になりたかっただけだ。それじゃあ花を育てて勝手に見舞いを送りつけたあの頃の自分と何も変われていないじゃないか。
しかしもう一つ気になる事がある。
グリムソンがバルコニーに来たことをリョーマに伝えたとき、彼は驚いた顔をしたのだが、その表情がどうにも気になっていた。まるで彼が大事にしている猫のように、只の少年のように、目を丸めていたのだ。そうやって年相応にたまげているリョーマを名前は初めて見た。君、柄にもなくパーティで浮かれているのか。そんな考えも過ったが違う。まるで人が変わったかのように、いつもならどこにいたって見つけてくれで隣を守ってくれていたリョーマが、名前を一人で寮に帰した。
カタリ。背中で音がして、振り返ればエラヴィスがいつも通り家中の小物を嘴で突いてまわっていた。窓の外では庭の木が寒そうに枯れた葉を揺らしていた。
それから三日後のことだった。
昨晩は雪が深く積もり、今もなお綿雪が舞っていた。エラヴィスは雪に誘われたか、何日か前から出かけて行ったきり帰っていない。小屋は古く、よく冷える。暖炉に新たな薪を焚べ、ソファから燃えるそれをぼんやり眺めた。
そのとき、ドアを叩く音がした。
ここは山奥にあり、マグル避けの魔法を父が施している。ほとんど人は寄り付かない。珍しく父が訪ねてきたか、または一丁前にエラヴィスが扉を叩いているのか。
ガウンを羽織り訝しげに玄関を薄く開けて、名前の心臓は飛び跳ねた。
「…なんで、君が、」
そこにはリョーマが立っていた。
髪や肩に雪を纏った彼の、琥珀の瞳が名前を捉えた。リョーマは小さく笑い、コートのポケットから見覚えのある、くしゃくしゃの羊皮紙を取り出して見せた。
「エラヴィスが知らせてくれたよ。あんたが泣いてるってね。」
名前は言葉を失い立ち尽くした。するとリョーマの背後からすうとエラヴィスがやってきて彼の肩にとまった。
「…私、エラヴィスが誰かの肩に乗っているのを初めて見た。」
「あんたいつも重いって言うけど、カルピンより軽いよ。」
「…」
呆気に取られている名前を他所に、リョーマはいつもみたいに笑う。「入っていい?」と言いながら返事も待たずコートを脱いで暖炉のそばに座った。
「落ち着くね、ここ。」
その声は学校で聞くそれより柔らかい気がした。
名前は温かいハーブティーを淹れながらリョーマを横目に見た。彼は静かに火を見ている。彼がここにいるのは不思議な気分だ。
「手紙を出すつもりはなかったんだ。エラヴィスが勝手に持っていって、迷惑かけたね。」
「別に。来る理由ができてよかった。」
「でも一応反論させて欲しいんだけど泣いてはいない。」
「そう?ならいいけど。」
暖炉の火がパチパチと鳴る。どれだけ歩いてきたのだろう。リョーマの耳や指先は赤かった。特に足が冷えるのか、つま先を火に向けてあてていた。
湯気のたつカップを手渡すと暖を取るようにリョーマはそれを手で包んだ。
「植物がたくさんあるね。花が好きなの?」
「そういうわけではないけれど、私が育ててる。期待はしていなかったけど学校にいる間は父が世話をしてくれていたみたい。」
リョーマは部屋にある無数の花や木の鉢を見渡した。ハーブティーの香りが舞う。
「学校に入るまでは時間ばかりがあって他にやることがなかったからね。いっそ枯れてくれたならやめられたのに。父も余計なお世話だ。」
しん、と沈黙が訪れた。昔に人に贈るための花を育てて以来、やめるきっかけもなく何となく続けていた。本当のところ、そうしているうちに愛着が湧いてしまい、今では自分が好きで植物を育てている。庭のレモンなんかは種から育てて実がつくまで世話をした。照れ臭くてつい卑屈な言い方をしてしまった。リョーマは手元のカップを揺らしてじっと見ていた。
「…俺、道に迷うことは今までなかったんだけど」
「…?」
「休暇前に話せなくても、あんたのことならどこにいるか分かるしって思ってた。でも、いざ行こうとしたらそのとき気付いたんだよね。道が分からないってことに。」
リョーマは脈絡なく話し始めた。その目はどこか寂しそうに曇っていた。
「だからエラヴィスが来てくれて助かったのは本当だよ。」
「…ここはマグル避けの結界が掛かっているから、そのせいかな。」
「そうじゃなくて。…言い訳みたいになるんだけど」
なんだか弱気にも見える、そんな顔をするのは珍しい。儚げな横顔でリョーマは続けた。
「あのとき、…懇親会のとき。グリムソンがバルコニーに出たの、気付かなかったんだよね。」
「君が?」
「そう。」
リョーマは勘が鋭い。ホグワーツの日常の中で、些細な偶然とも呼べる奇跡を起こしてきたのを名前は何度も見てきた。
「君のそれは、直感、だったね。それが機能していないってこと?」
「あいつが何かしたのは確実だとは思う。」
「…あいつって、グリムソン…?」
バルコニーでの出来事を思い起こす。教授はあのとき名前に言ったのだった。嬉しそうに“成果を結んだ”とか何か。腑に落ちた。今思えば教授が言っていたのはリョーマのことだったのだ。確かにタイミングから考えれば教授が手を下したと考えるのは妥当だ。
グリムソンをバルコニーに通したこと。自分を放って上級生との会話に興じていたこと。どこか幼く見えたその表情。
それらの行動原理に納得ができたことで、名前は心のつかえが取れた。リョーマ自身が変わってしまったわけではない。何かの影響を受けているだけなんだ。しかし事態は悪い方向に向かっている。胸を撫で下ろしている場合ではない。
「…君に起こっているのは、封印とか、そういった類なのかな。」
「そこまでは分からないけどね。…前ならそれも分かったんだろうけど。ほんと不便だよ。」
「あの場でグリムソンが何かしたのだとして、でもそんなの自分が犯人ですって言っているようなものじゃないか。そこまで間抜けじゃないだろう。」
「いや、きっとそれが成功した時点でもう十分なんだよ。俺の足止めができれば。疑われたところで痛くも痒くもないだろうね。」
「だとしても。どうしてそんなことを。」
「決まってる。次こそ研究とやらを邪魔させないためでしょ。」
ああ。そういうことか。名前はポットの中に舞う茶葉を眺めた。
研究室にてマーピープルの名残りを探られたとき、リョーマはその直感で悪いことが起きていると予見し駆け付けた。グリムソンはそれが面白くなかったんだ。
「直感なんて無くてもどうにかする。かけられた魔法も解けるように色々試してみる。だから、学校に戻ったら今度は絶対に俺から離れないで。」
真っ直ぐにリョーマは名前を見た。暖炉の焔が琥珀色の目の奥で燻って揺れた。
「直感なんて、とか言うなよ。それも君の大事な一部だろう。」
見返せばリョーマは驚いたような顔をしていた。このサファイアグレーはリョーマからはどう見えているのだろう。空のカップが机に並んだ。
「顔も見れたしそろそろ行くよ。」
「もう?」
「何?もう少しいてほしい?」
「はいはい、さようなら。」
リョーマは悪戯っぽく笑うとコートを羽織った。玄関を開ければ雪は止んでいたが、見渡す限り白く染まった庭にリョーマが来たときにつけた足跡だけが残っていた。リョーマを見送ろうと外に出ると、息が白く吹き出て空気に溶けた。
「…ねえ。それってどんな気分なの。」
名前はひとりごとのように呟いた。
いつものあったはずの感覚。リョーマでいうところの直感、名前にとっては魅了。疎ましいわけではない。なくなって欲しいわけでもない。自分の一部であり、名前にとっては最愛の母から受け継いだもの。リョーマはどうなのだろう。鼻に染みる寒さに目を細めれば、これから帰るというのにリョーマは自身のコートを名前の肩にかけた。
「身軽、ではあるけど、…やっぱり、欠けた、って感じかな。」
「…これから雪道歩くってのに上着を譲るなよ。風邪を引く。」
「少しだけ預かって。」
リョーマは足元の雪を蹴り、杖を取り出した。
「校外で魔法を使うのは禁止って言われてるけど、ルーモスなんかは使っても咎められないんだから結構曖昧だよね。」
何をするつもりなのだろう。彼は杖を軽く振った。すると、足元の雪がふわりと浮かび上がり、風にのって小さな渦を作った。魔法と呼ぶほど大げさなものじゃない。ただ、雪がくるくると踊って、近くの樹の枝にそっと乗るような、些細な現象だった。でも、その様子があまりに綺麗で、名前は思わず笑った。
「何をするのかと思えば。」
ふ、と息を吐けば今度は吐いた白い息が薄い模様になって、雪の結晶みたいに広がった。それは、エラヴィスが運んできた童話の情景を彷彿させた。
「…君は、妖精みたいだね。」
「でも俺は杖を使う。」
「そうだね。」
二人の立てた雪風が太陽の光を反射しながらキラキラと輝いた。“フェイの雪と金の鈴”、そんなおとぎ話の如く遠くで鈴の音が響くような美しい時間だった。庭先で少しだけそんなことを繰り返して、リョーマがぽつりと呟いた。
「休暇中、また来てもいい?」
「…。うちは煙突ネットワークを切っているから、また君この道を歩く羽目になるよ。」
「うん。それでもいい。」
見上げた空にはふたりで宙に描いた雪の結晶がひらひらと名残惜しげに舞っていた。
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