セイラルの唄
新学期


クリスマス休暇が終わり、ホグワーツの日々が再開する。リョーマと名前はマグルに紛れ駅を歩いていた。リョーマの提案で二人は登校する時間を合わせたのだった。喧騒の中を進む。人通りが増えるにつれ刺さる視線も増えていく。

「あんたいつもこうなの?」
「こう、って何が。」

リョーマは眉を寄せて名前を見た。

「見られ過ぎだよ。こんな状況で今までよく生活してたね。」

9と3/4番線からホグワーツ行きの汽車に乗り込むと、今度は生徒からの視線が集まった。だが、今までとは違う。休暇前のような好奇や畏怖のそれではない。じとっとした、緊張感を孕む目線が名前を絡め取った。気にしない顔を作り二人は座席から窓の外を見た。空は厚い雲に覆われていた。

学校に到着すると、管理人が名前を呼び止めた。石畳を踏む足音が冷たく響く中、スリザリンの寮監チャンブリスの部屋へ連れて行かれた。重々しく名前を見下ろしチャンブリスが口を開いた。

「複数の保護者からのフクロウ便が届きました。要は、…あなたの特性について。風紀を乱すのは問題だと。しかしあなたにもここで学ぶ権利があります。そのためにはあなたの魅了が、他の生徒に影響を与えないという確約が必要です。教員間での協議の結果、専門分野であるグリムソン教授を目付役として配置することとなりました。」

粛々と告げられ、名前の表情は剥がれ落ちた。クリスマスに家に帰った生徒たちがそれぞれの家で「魅了を持つ人物がいる」とかそういう話をしたのだろう。問題視した保護者たちが旗を上げたのだ。当然である。一説にサキュバスとも呼ばれる問題児を我が子と同じ学舎に置いておくなど許しておけないのだ。

チャンブリスは次に、グリムソンの研究室へ向かうよう指示を出した。名前は手のひらに爪を立てて頷いた。




部屋の外で話を聞いていたリョーマが名前の後を追いかけた。

「本当に行くの。」
「行かずに済むならそうしたいけどね。」

名前は無理やり口角を上げた。
そうだった。初めて学校に来た日にも思ったことを、リョーマに出会ってすっかり忘れてしまっていた。外はこういうところだった。欲張らずにずっと家にいればこんな思いはしなかったのに。

グリムソンの研究室の扉前に到着すると、図ったように教授は顔を出した。名前の前に立ちはだかるリョーマを一瞥し、彼は言った。

「そこにいてもいいがね、これは私が公に任命された役割だ。無理な関与はしないことだ。」

グリムソンの口調は冷え切っていて、リョーマを門前払いし、名前を研究室に招き入れた。咄嗟にリョーマを振り返ればその顔を見たことを後悔した。酷い顔をしている。大丈夫、すぐ戻る。そう伝えるように名前は笑みを貼り付け頷いてみせた。扉が重く閉まった。




研究室に重い空気が漂う。名前は震え出しそうな瞳に揺れてくれるなと念じ、気丈に振る舞った。
グリムソンは静かに口を開いた。

「気持ちは分かる。しかし私も指名されてね。何もしないわけにはいかない。君だって自らの力で魅了を制御できるわけではないだろう。君はまだ魔女としても未熟だ。」

名前は教授を感情なく見据え、返した。

「あなたに関わってまでここにいる理由はない。私の存在が物議を醸しているなら、退学するよ。」
「それでは私の名誉に関わる。」
「関係ない。」

グリムソンは目を細め、低く笑った。

「冷静じゃないね。それではこうしよう。私が目付役になることを君が受け入れるなら、その暁には越前リョーマの力を元に戻そう。」
「…え、」

名前の声が漏れた。彼はその動揺を見逃さなかった。

「揺らいだね。本当に未熟だ。」

クリスマス前の懇親会以来、リョーマの直感に異変が起きていた。疑ってはいたが本当にこの男の仕業だったんだ。

「彼にしたことをあっさり認めるんだね。」

睨み返す名前を意に介さず、グリムソンは肩をすくめてみせた。

「まあね。否定しないさ。」
「彼に何をしたの。」
「少々曇らせているだけだよ。あれ程のものに下手に没収や封印を試みるのは危険だからね。私の魔法で感覚に曇りを被せている。」

彼は更に続けた。

「話を大きくし過ぎたな。彼の正体は私にもまだ確信が持てていない。休暇前の彼は煙に巻くのがうまかった。あの異常な勘さえ鈍ればボロが出る。私はそれが楽しみでね。でも君を頷かせるなら、それは一旦先の楽しみでいい。」

名前は黙って話を聞いた。流れるように滑り出るその反吐の出る言葉に歯を食い締めた。

「…。」
「取引だ。君は、私が魅了を管理することに了承する。私は越前リョーマの状態を元に戻す。これでいいね。」

休暇中、リョーマは自分の直感を「欠けた」ようだと言っていた。いつだって凛と前を見据えていた瞳が寂しそうに揺れていたのを思い出す。直感があるリョーマ、直感がないリョーマ。本来の彼はどちらだろうと少し考えて、でも、今の、人に変えられた彼が正しいわけがない。名前は前を向いた。

「わかった。必ず彼を元に戻して。」

グリムソンは目を細めた。

「よろしい。ただ彼を戻すのは君が私の信頼を得てからだ。いつ逃げ出して私の名誉を傷つけるか気が気じゃなくてね。それからここでのことは他言しない。それを約束できるね?」

名前は頷いた。リョーマが戻るなら、それでいい。




グリムソンは背を向け、机に積み上げられた分厚い本を一つ手に取り無造作にとページを捌いた。

「先生方と協議した際、君の魅了を魔法薬や呪文で沈める案があった。私も同意したが、それでは私の研究に成果が生まれない。」

彼は本を片手に考えを巡らすようにデスクの周りをうろつき、埃を被ったキャビネットの前で歩み止めた。

「例えばこんな方法はどうだろう。魅了を限界まで引き摺り出すんだ。力を出し切り、絞り尽くせば、ゲージが底を尽くように一時的に終息するのではないかと。」

教授はキャビネットの取手に指をかけた。開くとそこは収納ではなく、先に薄暗い空間が広がっていた。名前は息を呑んだ。まるで独房だ。キャビネットの奥行きほどの狭い通路を抜けたそこは、壁が冷たく湿り、シングルベッドが孤独に置かれている。横のサイドテーブルにはカラスが佇み、1本の蝋燭が揺れていた。

「こんな場所しか用意できなくて悪いね。派手な魔法空間だと他者に悟られるからね。」

息苦しいほどの闇。息の仕方を忘れていると次の瞬間、背中を強く押され、名前はベッドに倒れ込んだ。振り返ると、グリムソンが杖を向けていた。

「──コンファンド。」

彼が呪文を唱えると、頭に割れるような痛みが走った。それは錯乱呪文で、名前に魅了の発動を強制するものだった。瞳が意志に反して激しく震え出した。

「やめ、やめろ、」

名前は言葉を絞り出したがグリムソンはそれを鼻で笑った。そして冷たく見下ろし言う。

「実験の結果をこの目で見届けたいが、君の魅了を浴びて廃人になるわけにはいかない。記録は私のカラスに任せるよ。」

グリムソンは扉を閉めた。




どれくらい時間が経ったか分からない。解放され研究室を出た時、廊下ではリョーマがまだ待っていた。その姿を見た途端、涙が溢れそうになった。でも。彼に悟られてはいけない。リョーマを元に戻すために。名前は涙を飲み込んだ。リョーマは名前に顔を寄せ覗き込んだ。

「何されたの。酷い顔してる。」

名前は髪をかき上げ、平静を装った。

「君ほどではないよ。」
「誤魔化さないで。」
「…魅了を抑えるために魔法薬を飲んだ。強い薬で副作用があって、少し休んでいたんだ。」

リョーマは名前の瞳を見た。事実、魅了は今は尽きて姿を消している。枯れたように物を言わぬサファイアグレーに、リョーマは言葉を詰まらせた。
リョーマは何か言いたげな顔をしたが口を閉じた。二人は重い足取りで寮に戻った。新学期が始まる。その背ではホグワーツの尖塔が冷たく霧に沈んでいた。



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