ディア・プランビー
5.言わなくても跡部財閥主催の総会を無事に終え、同時並行して通っていた車校は、本日が最終日である。路上の検定をパスすれば仮免許取得となり、あとは免許センターに試験を受けに行くだけだ。
「お、越前リョーマの。」
路上教習の時間を待つためにロビーに座っていると、久しぶりに財前くんに会った。財前くんは隣に座ると、私の手元の用紙を見て身を乗り出した。
「え、もう卒検なん?」
「うん。財前くんはどんな感じ?」
「俺はもう何回か来なあかん感じやね。あんた大学行ってるやんな。」
「通信だけど一応。午前中はインターンに行ってるんだけど、午後なら割と融通効くんだよね。」
「もうインターンやってるん?変わってんなあ。」
財前くんはいつものように退屈そうにスマホを取り出した。
「そういえば、この前大丈夫やった?」
「この前?なんのことだっけ?」
「越前リョーマ。王様とのゴシップ気にしてた?」
ゴシップとは、跡部さんと私がミーティングで食事をしたところを週刊誌に抜かれたあの記事のことを言っているのだろう。
「うーん、どうだったかな。特に何も言われなかったかも。」
「ええ…。それはそれでどうなんやろね。」
「どうって?」
「いや。あんたら長く付き合ってるからなんかな。普通はもっと焦ったり妬いたりすると思うんやけど。」
焦ってはいたのだろうか。4月に私のマンションに来た時の、記事を見たであろうときのリョーマの様子を思い出す。静かで、無口で、少しだけ気が立っていて、思うところはあったのだと思う。言葉にはしなかったけれど…してないのはお互い様か。
「…普通ヤキモチとかそういうことって相手に言うの?」
「さあ。人によるとは思うけどノーコメントはちょっとどうなんかなとは思う。」
「そう、なのかな。」
「あんたさ、越前リョーマ以外に男いたことある?」
「…え?」
財前くんは相変わらずの興味のなさそうな、無責任な口調で続けた。
「なあ、一生一人しか知らんってどんな気分なん。」
「…」
「冗談。あんたらが純愛なのはなんとなく分かるよ。それはそうと謙也さんがあんたが高校でマネ続けなかったんかなり凹んでたから、二十歳なったら俺らの飲み会来てや。面白そうやし。」
「ええ…やだ。」
「ははっ。振られたって伝えときますわ。」
その後無事に卒業検定を合格し、この日以来財前くんと顔を合わせることはなくなった。
後日試験を受け問題なく合格。これで運転免許はとれた。車校に通う時間が浮くことで、今度はこの時間を別のことに充てられる。次にやりたいことは決まっていた。一生一人しか知らんって───そう言い放った財前くんの言葉を思い起こして小さく笑った。思うことがないわけではない。でも、越前リョーマの代わりなどいないのだ。「免許とれたよ」とわざわざ連絡もしないのは、次会った時に驚いた顔が見たいからだ。大丈夫。顔を上げ、書店に足を向けた。
中学時代、私は男子テニス部のマネージャーを勤めた。高校でマネージャーを続けなかったのは、高等部には既に何人かマネージャーがいたことと、それから将来を考えるにあたって放課後を自分のために使おうと考えたからだ。
いつか海外にリョーマの試合を見に行く。そう決めてから英語の勉強を始めた。自主学習に加え、放課後には英会話教室に通い、旅行会話レベルならなんとかこなせる程度には身につけた。
そして今回車校に通う時間が浮いたので、次に取り掛かるべくは料理の勉強だ。料理といっても腕前の話ではなく、どちらかといえば栄養的な勉強がしたい。
先日リョーマが私のマンションに一泊した際私は食事を作った。食べた物がこの人の体の一部になるのだと思うと正直身がすくんだ。リョーマが日本に帰る機会はそれほどないのかもしれないけれど、自信を持って振る舞えるようになりたい。
「スポーツ栄養学」「アスリートの栄養食」等々。書店で関係のある文献を端から手に取り自宅に戻った。
勉強を進めていくうちにいくつか気付いたことがある。これまでテニスの世界大会にてケータリングの炭水化物の定番はパスタであったらしいが、近年では寿司の人気が上がっているそうだ。グルテンフリーの観点や、コンパクトゆえ良質なタンパク質と脂質を適量摂れるからという理由があるらしい。寿司だけでなく低脂肪のメニューが多い和食は人気が高い。じゃあいつか帰国したら一緒に河村寿司に行こうかなと考えながら、そういえばリョーマは昔から和食が好きだったことを思い出す。
『…母さんまたパンなの?』
『あら。またそんなこと言って。』
『…俺、米がいい。』
『だってリョーマ牛乳飲むでしょう?お米よりパンが合うわよ。』
お母様は洋食派なので、リョーマは朝食のパンによく文句を言っていた。もしかして、シンプルに味が好みというのもあるのかもしれないが、栄養面もその一因あって和食好きをうたっていたのだろうか。
リョーマは感覚派に見えて意外と理屈も大事にする人だ。テニス雑誌の記事も熱心に見るし、桃と初めてダブルスを組むときも教本を読み込んでいた。どこかで“テニスプレイヤーの理想の食事スタイル”とかそういう記事に影響を受けていてもおかしくない。
レシピを参考に自宅のキッチンであらゆる試作を繰り返す。一人暮らしでは作るよりも食べることの方が大変だ。リョーマがいてくれたなら一緒に食べてくれたのかな、などと、どうしようもないことに思いを馳せる。会いたいな。リョーマを想って作ったご飯も結局彼が居ないので私が一人で食べている。
どうせなら。
思いつきで写真を一枚撮って、試しにリョーマに送ってみた。少し時間を置いて、「食べる」とだけ返ってきたので笑ってしまった。
ありがとう。今はその言葉だけで十分だ。
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