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「すぐゆ!ちー!」

まだ覚束無い足取りでそれは来る。
よちよちと言うほどではないが、今にも足がもつれて転んでしまいそうで、私の足にしがみついて来るもんだから、子犬のようで既に愛おしかった。

「ちょっとでいいかい?」
「ちょっとやだ」
「どれくらい飲むの?」

私の裾を引っ張りながら、それは一生懸命考えていて、「ひとの水分量くらい!」と答えた。
さすがにそれは死んでしまうよ。と笑うとそれは驚いた顔をして「なんで?」と聞いてくる。
3、4歳児くらいだろうか、それは、一般的な児童よりも知能は高く、身体能力も幼い子どもとは思えないほどの力を持っている。
なのにこんな当たり前のことで驚いて、「なんで?」と聞かれるから、返事に困る時がしばしばある。
その時は厳しい任務後で相当疲れていた。硝子に傷を治してもらったが、悟にすら心配されるほどに顔色も悪かった。
答えに言い淀んでいるとそれはじっと私の顔を覗き込む。
脚をぱんぱんと叩かれ、「座れ」となぜか命令口調で言われて、私は大人しくそばにあった丸椅子に座った。

「つかれている顔をしています」
「…そう?」
「つかれた血はまずい!」
「そうなんだ」
「だからいっこくも早くすぐゆはつかれをいやすのです」

それでは後ろを向いてください。と案内され、これも大人しく言うことを聞く。
後ろでなにか椅子を動かしているような音が聞こえ、一体今から何を始めるのかと振り返ると、椅子に乗っかったそれが私の肩に拳をおいていた。

「かたたたき、1回50円です」

夜蛾先生がさせているんだろうか、えらく安いマッサージに、思わず笑ってしまう。
いいも悪いも言ってはいなかったがそれはトントンとリズム良く私の肩を叩き始め、案外悪くないなと思わず目を瞑った。

「かゆいとこないですか?」
「ありません」
「おきゃくさんこってますねえ」
「仕事が大変でねえ」

すぐに飽きるだろうとマッサージ屋さんごっこに付き合っていると、急にそれの手が止まった。案の定突然に飽きたのか。お礼を言いながら振り返ると、そこには苦しそうに腹を抑えているそれの姿があった。
ああ、空腹だ。
すぐに私は自分の指を切り、それに差し出す。少しずつ自分の体内から溢れる私の血は、それの口の中へとどんどん吸い込まれていく。

「ん、ふ、」

恍惚とした表情で自分の血を啜るそれは幼児とは思えないほどの妖艶な空気を纏う。悟も「なんかあいつ……いや…、やっぱなんでもない」と困っているのをいつも見ている。
それにしても、本当にお腹が空いていたから私に声をかけてきたのか、しかも空腹なのに私を優先した。優しい子だ、と自分の指を舐めるそれの頭を撫でる。大分落ち着いたのか、いつもの子どもの表情に戻って少しほっとした。
可哀想だ。初めてそれと会った時、単純にそう思った。
人としての生活を呪いに奪われた子。
何が原因かもわからない。
肉体に浸透した呪いを祓うことはできず、すでに受肉されたそれごと殺すしかない。
殺すか、利用するか
それは自分の置かれている状況を理解していて、呪力の扱いにおいては本能的に使いこなせ、術式の訓練には熱心に取り組みすでに反転術式を会得している。
化け物のような吸収力。
きっとそれはいまに大物になるだろう。

「これを食べてみるかい?」

そうして差し出したのは、4級程度の雑魚呪霊。使ったことは無いが自分の手持ちの呪霊だ。主従関係を切り、それの顔の前にもっていくと、それは大きな目を瞬かせ、抵抗もせずその呪霊を

「げぼっ」

喰らった。
げとう、これまずいよ。と涙目になりながら、驚いたことにそれは教えを乞うこともなく呪霊を球体に変える。私のやり方を見たことがあるようだ。
そしてそのままに運び、また咽る。

「うえ、うええ…」
「ごめん、辛かったね」
「すぐる、こんなのまいにちたべてんの?」
「そうだね、最近はよく食べるよ」

体壊しちゃうよお。とそれは大きな目から大きな雫をこぼしていく。
そんなに辛かったか、やるべきじゃなかったと反省し、抱きついてきたそれの背中を優しく叩きながらあやした。

「すぐるにはこれおいしく感じるの?」
「ううん、くそまずいよ」
「なんかゲロふいたぞうきんみたいな味する…」
「ははっ!いい表現だね、それ」

ぴったりだ。自分しか知らなかったこの不快な味を、それはぴたりと当ててきた。
自分は呪術師でこういう術式だから、と諦めていたが、こんな幼子でも分かち合えると嬉しいものだ。

「私がこの術式を教えてあげるよ。強くなりたいだろう?」
「…うん、つよくなる。おしえて、すぐる」

こないだ食べたあんぱんよりはマシな味だよと言われ、本当に可哀想な子だなと思ったが、人の食べ物がよほど無理なら呪霊はまあまあ我慢できると言うことだろう。
じゃあ任務の時以外は毎日この時間に、少しずつ練習をしようと指切りをして、それと、寧々子と、別れた。