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「七海、怪我してる…」

私もちょうど任務が終わったところで高専に戻ると、伊地知の車に乗った七海と出くわした。私にとっては噎せるほどの血の香りがして、それだけで酔いそうになったけど、任務前にたっぷりご飯を食べていたのでなんとか持ち堪える。
家入さんの治療を受けます。とぶっきらぼうにそう答えたので、私に治せそうならと思って傷口を見ようとすると、めちゃくちゃ拒否された。

「あなたは見なくてもいい」
「…お腹すいちゃうから?」
「ああ…、そういう意味ではありません。子どもは見なくてもいい、という意味です」

なんか七海って大人としてみたいな体裁めちゃくちゃ守ろうとするよね。それって子どもからしたら死ぬほどしょうもなくて、腹立つことだってある。
同じ一級呪術師として、頼ってくれてもいいのになあと思ったけど、渋谷での一件を思い出して、確かに私はクソガキだから頼るとかそういう対象じゃないんだな、と自己解決。

「痛い?大丈夫?」
「問題ありません」

肩貸す?と言っても七海はあなたの肩は低いので借りれませんなんて言う。
せめて血だけでも止めてあげたかったから、術式を使うとため息をつかれ、余計なお世話だったと自嘲した。

「やらない方が良かったね」
「いえ、ありがとうございます」

ごめんね引き止めて。と謝ると七海も謝ってくる。なにこの謝り合戦と思いながら自室に戻ろうと歩き出すと七海に呼び止められた。振り返ると、いつもの仏頂面。

「え、な、なに」
「もうあんなことはしていませんか」
「あんなこと?」

なんのこと?と思ったが、そうだよ、エンコー未遂のこと言ってんだ。まさか、してないよ。と笑うと表情が変わる訳では無いけれど、安心しました、と変なメガネをカチャリとあげた。

「ありがとう」
「…何に対してのお礼ですか」
「え、心配してくれてるんでしょ」
「大人として子どもの心配をするのは当然です」
「また私の事子ども扱いしてー」

体はもう大人って言ったでしょ。と七海の腕をとって抱きしめるように胸を押し当てる。さすが七海は経験豊富なのかピクリとも反応しなかったが静かに腕を外されてしまった。
なんか動揺でもするかと思ったが、クールな男である。

「七海は私たちのこと子どもっていうけど、体は子どもを産む準備は出来てるし、結婚だって一応できる。子どもの成長を遅らせてるのって、ぶっちゃけ大人だよね」
「その発言が既に子どもですね」
「だーかーらー。私たちを子どものままにしてんのは七海なのー」
「大人になるということはそう単純なことではありません。小さな絶望、その積み重ねが人を大人にするのです」
「じゃあ悟は子ども?」
「………。」

困ってる。七海ちょー困ってる。
だってその理論が通ったら悟は多分大人じゃない。え、それともあれかな、悟も小さな絶望を重ねてるのかな。なんか抜け毛多くなったな、とか?
抜け毛に絶望する悟を想像して笑ってしまった。

「ま、いいや。確かに七海ってガッカリすること多そうだもんな」
「どういう意味ですか」
「え、だって27歳には見えないし…なんか苦労してそう」

ショックを受けたのだろうか黙り込んでしまって、言いすぎただろうかと少し反省する。
でも本当に七海は20代には見えないから、せめてそのメガネと髪型とネクタイとスーツをやめたらどうかな。あ、でもそうなったら七海のファッション全否定してるわ。でも白スーツはないでしょ。せっかくカッコイイんだからもっとなんかあるでしょ。特にメガネとか。
そんな失礼なことを思っていると、七海はまたメガネをおさえてふう、と息を吐いた。
メガネの奥に見える細い目と目が合って、なんだろ、怒られるのだろうか、と少し警戒した。けど、別に怒っているわけではないらしい。頭に手をポン、と置かれて、1回、軽く撫でられた。

「あなたはいつまでも子どもでいれそうですね」
「え、それは褒めてるの?」
「褒めてはいません。ただ」
「ただ?」
「そのままでいてほしい、とは思いますね」

七海が笑った。
私にその顔を見せることなんて滅多になかったので、不本意だけど見蕩れてしまった。
七海はさっさと硝子の所まで行ってしまったが私はしばらく脳内で七海の顔を反芻する。
え、やば、七海に惚れるかと思った。