03

「直飲み禁止」

いつものように悟から血液を拝借しようと服の襟をみよーんと伸ばしていたら顔を押さえられて、引き剥がされた。
一瞬なにされたか分かんなくなって、そのまま押されて馬乗りになってた悟の膝から転げ落ちてしまった。

「いたいっ!なんで!?」
「寧々子ももう高校生でしょ」

高校生だからなんだというのだろうか。
今の今まで手から首から血を啜り飲んできたというのに今更直飲み禁止とは。じゃあどうやって飲めというのか、コップにでもうつすのか。
視線で伝えたら、概ねその通りだと言わんばかりに悟は輸血パックを取り出した。

「僕の血だから」

そう言って投げられる。確かにほのかに香るこの血液の匂いは、悟のものだとわかった。

「それで3日くらいもつだろ」

もつにはもつがそういう問題ではない。
肌を舐めるのだって私にとってはキャンディーを舐めてるようなものだし、傷から肉の断面を少し舌でなぞるのだって、最高に幸せなんだ。
輸血パックでの食事なんて基本的に毎日してるし、それだけじゃ味気なくてしゃーないからこうして少なくとも1ヶ月に1回は悟から血を貰っていたのだ。
いわば寿司、肉、てんぷら。私にとって悟はみんなが大好きな料理そのもの。

「…。わざわざこんなものに入れなくても、そのまま飲んじゃえば早いのに」
「ダメだよ。だって寧々子、ちょっとムラムラしてるでしょ」

図星だった。
そりゃあ健全な女の子ならイケメンぺろぺろしてりゃあそんな気持ちにもなるだろ。
私だって体つきはえっちになったし、悟こそムラムラしねーのかこいつとムキになって執拗に首筋を舐めたこともあった。

「あのね、僕にとって君は妹のようなものだ。しかも今となっては生徒でもある。僕にそんな感情を抱かれても困る」
「いや、JKの性欲なめんな。悟だって高校生の頃はヤリまくりだったでしょうが」
「それとこれとは別だ」

私がまだちいちゃい頃、悟の血を貰う時に変な匂いがたまにしていた。
その時はなんか気持ち悪いなあくらいにしか思ってなくて、分からずに血を飲んでいた。今ならなんの匂いだったか分かってしまう。分かったところで気持ち悪いけど。

「じゃあ私の性欲は誰に発散すれば?」
「彼氏でも作れば?」

なんてムカつく男だ。
こんな、まともじゃない私がまともに恋愛できるとでも思ってるのか。
ていうかそこそこ強い男じゃないと、カマキリ宜しくセックスしたら即捕食しちゃうっての。

「指だけとかは?」
「ダメだよ。もう、直にはあげない」
「それは…結構キツいんだけど…」

そもそももう直々に血をくれる人なんて悟くらいしかいない。
硝子は貧血になるからってもうくれないし。
そしたら私はこれから何を楽しみに生きていけばいいんだ。悟の血だけが私のハッピーだったのに。

「も、もうムラムラしないから…」
「……。」

そういう問題じゃ無いんだけどなあ。と悟は困っている。

「…ごめんなさい」

悟が困るとあんまりいい気分にはならないので、大人しく、輸血パックを受け取ることにした。
ああ、じゃあもう、この匂いでオナニーするしかないじゃないか。くそ虚しい。

「あれ、寧々子…」

引き戸を力なく開けていると、ドアの向こうに同級生の真希ちゃんが立っていた。
慌てて手に持っていた輸血パックを隠す。
悟もそれに気がついて「あー!」と大袈裟に真希ちゃんに向かって反応した。

「真希!よかったよかった〜任務に行ってもらいたくてさー!」

ワハワハ笑いながら扉へ歩いてくる。真希ちゃんの視線が悟へと注がれているのを見計らって私はその教室を素早く出た。
私が鬼を取り込んでいることを、同級生は知らない。もちろん、人肉が主食だなんてことも、先生とかでも知らない人がいるくらいだ。
ただ、一人、一人?一匹、私の事情を知っているやつもいる。

「寧々子」

パンダだ。
でかい図体のパンダ。名前もパンダ。
夜蛾学長の呪骸。
私も小さい頃からここにいるし、パンダも小さい頃からここにいる。
親友と呼べるようなそんな存在だと思う。

「ぱ、パンダ…」
「うお、お前それ手ぶらでもってて大丈夫かよ。さっき真希がそっち行ったぞ」
「み、見られてはないと思う…」

ドッドッドッと心臓がうるさく脈打つ。
落ち着け、ともふもふの手が私の背中を撫でた。

「さ、悟がさ…」
「おう」
「私がムラムラしてるって…」
「してるだろ」
「してるけど…これからはこれで飲めって…」
「ダメなのか?」
「きみはステーキのスムージーを飲みたいと思うのかね?」
「ああ…」

なるほどな。とパンダは頷く。
お前ステーキ食わねえだろ、とかいう突っ込みは野暮というものだ。

「パンダって性欲あるの…?」
「人並みにはあるぞ」
「えっ」

そうなの?とパンダの目を見たら、三日月のような形で目が笑っていて、おまけに口角も上がっていて、気持ちが悪い。
と思ったら察したのか、パンダはすぐ真顔になった。

「いや、ないだろ。寧々子とはない」
「……いや、どっちかと言ったら、」

アリじゃない?
って言った瞬間に、顔面にパンチ。
鼻が折れるかと思うくらいに強いパンチ。
パンダは「ばばばば馬鹿なこと言ってんじゃねえ!」と照れているのか後ずさり、そのまま逃げてしまった。
思春期のパンダには刺激が強すぎる言葉だったのか。と流れてきた鼻血を、ぐいっと拭う。

「だってパンダのこと、食べらんないしさー…」

私にとって、まったく食欲のそそらない人って、パンダくらいしかいないもんね。
ポツリと呟いた言葉は、長い廊下に溶けていった。