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それは今からおよそ12年前。

「さとる、ち」
「あ?」
「ち!!」

最近東京の郊外で行方不明者が多数発生。確認し、呪霊の討伐をせよとの指令で俺は一人その町を歩いていると、原因と思しき小さな子どもを見つけた。
最初はネグレクトを受けているガキが公園で時間を潰しているのだと思って、このまま放置して呪いに襲われても気分が悪いし声をかけることにした。
それがそもそもの、はじまり。
「ち!!」と癇癪をおこすように足をダンダン踏み鳴らし、俺の血を飲ませろと催促してくる。
とてつもなく煩くてうざい、小さな生き物。皮肉にもそれを助けたのは、紛れもない俺。
このまま暴れられる方が面倒臭い、いつの間にか持ち歩くようになったナイフで自分の指を1センチほど切り、目の前のそれに差し出す。

「ん、んぅ…」

黙って飲めばいいのに、妙な声をだしながら、俺の血を啜るそれは、屍鬼の受肉体。今まで人を食べて生きてきた。初めは肉を食べようと暴れ回っていたが、血を飲ませるだけでも空腹は十分に紛れるらしい。流石に人肉は与えられないが、血液ならどうとでもなる。特に、このような世界では。
しかし妙なことがある。伝承によれば屍鬼は吸血はすれど人の肉は食べない。そこに齟齬がある。
しかし、六眼で映る情報には、それには屍鬼が混ざっていると言っている。その情報に恐らく偽りはない。謎に包まれた子ども。上の連中はそれを危険だと殺すことに躍起になっている。

「さとるおいしい」
「そりゃよかったよ」
「ごちそうさまでした」

そして恐らく5歳にも満たないそれは反転術式を本能的に使うことができる。硝子が少し教えただけで、すぐに使いこなした。他人を治せる範囲は狭いがこのような軽い裂傷なら難なく治してみせる。
ではキズのてあてをします。とドラマでよく見る手術前の医者のポーズをし、俺の指の傷を綺麗に治したそれは、俺に褒めてもらいたいのか、ニコニコと屈託のない笑顔を向けていた。
覚えがいい。むしろ良すぎるくらいだ。大体術式を自覚するのが4〜6歳。にしても俺でさえまだ習得していない反転術式を、硝子のあんな雑な説明で理解し、使いこなしている。

さらに、妙なのはそれだけではない。

傑が試しに呪霊を与えた。それは難なく呪霊を飲み込み、その呪霊を使役する。呪霊操術が扱えると傑は喜んでいたが、だが妙だ。俺にしか分からないこの違和感。六眼が映すその情報では、それは呪霊操術を持ち得ないと判断しているのだ。
ではなぜ使える?術式をコピーする術式?しかしそれなら六眼はなぜその情報を映さない。
得体が知れない。それが一番やばい。
それが今後どちらに転ぶかも分からない。呪術師として今後の呪術界を担っていくかもしれないし、もしかしたら呪詛師として人間を食い散らかすようになり、呪術界の脅威になるかもしれない。
どちらに転ぶかが分からないから、いっその事殺してしまおうというのが上の連中の腐った考え方。だから何者かもはっきりしない、得体が知れないのいうのが一番まずい。
俺が連れ帰って保護した矢先、それは上層部の連中に囲われて目の前で生かすか殺すかの審議に怯え、体を震わせていた。手足を縛られ、芋虫のように床に転がり、その瞳に映っているのは、醜い人間の姿か。
俺はたまらずそれを拾い上げて、小脇に抱える。

「俺が面倒見る。俺がこいつ、使えるようにしてやるよ」

言ってしまったからには、実行しなければならない。これは俺の責任。
得体の知れないやつでも最強の俺に言わせてみれば子犬のようなもの。
傑もいるし、硝子もいる。夜蛾先生は身元引受け人になってくれたし、きっとできる。
それから毎日のように術式のことを教えこみ、体術も、呪具の扱いも昭和の体育教師さながらの指導をした。
呪力の扱いはお手の物。近接戦闘に関しては力の弱い分、回避能力と相手の隙をつく事においてはかなり優秀で、俺も、夜蛾先生も、それは特級になれるほどの強さを持つことができると確信していた。
俺が、それを最強にしてみせる。

そう思っていたのは、僕の傲りだったのだろうか。



「まだ見つかんねーのかよ、悟」

真希が鋭い目で僕を睨みつけている。そんなことは僕が一番聞きたいと言うのに。
交流会の特級呪霊乱入の騒動に紛れ、寧々子が行方不明になった。寧々子の残穢は高専の敷地外からは途切れていて、何かしらの呪具を用いて計画的に寧々子を誘拐したものと思われる。
狙いは?目的は?何も分からない。ただ言えるのは特級呪霊と呪詛師で組まれた徒党が、寧々子を利用して何かを企んでいるということ。

泣いてはいないだろうか。
腹を空かせてはいないだろうか。
彼女は強いと分かっていても、どうしても心配をしてしまう。
呪霊に唆されたりしていなければいいのだが。

出会った時から鬱陶しいくらいのやんちゃな子どもだった。成長した今でもそれは変わらない。
ただ変わったのは、ちんちくりんだったはずの姿が、とても美しく、強く成長したということ。
いずれこの手を離れる存在。未だに甘えん坊な子どもだが、きっといつか彼女を理解してくれる存在に出会い、恋に落ち、僕のことなんて忘れてしまうだろう。
とりわけ、昨年、僕がこの手で親友を殺してから。
彼女はずっと傑のことを考えている気がするし、傑と同じ術式を使う度に切なげな顔をする。あれ以来余計に彼女は僕に頼るのを辞めたし、担任から外れたということもあるが、僕も必要以上に彼女に構うのを辞めた。

「寧々子のことは大丈夫。先生にまかせなさい」

でも本当は、お願いだから僕に甘えたままでいてほしい。僕を困らせて、翻弄して欲しい。
キミはそのままでいい。これ以上自分から何も変わる必要は無い。変わる時が来るとしたら、それは必ず僕が原因でなくてはならない。

「ナメた真似しやがって」

呪霊なんかに渡すわけにはいかない。
寧々子は俺が拾ったものだから。